学制を考えたくだらない話 〜悪夢の単線型教育思想〜

戦後の学制には、「単線型と複線型」というバカらしい論争が付き纏った。

これで量産された、物を知らない半ば狂った熱情に絆されて無自覚な「自称戦士」達が暴れまわったのが学生闘争であったともいえるだろうし、70年代に入り(主には大菩薩峠事件と浅間山荘事件などで)曲がりなりにも少なからずは現実の端っこに気が付くも対して変わることはなく非生産的非建設的な論争は続き、更に後の拉致被害者帰国によって又少なからずも改心したように見えた。

これらは、単線型教育の害の本質の現出した結果の表層の一部であろうし、その経緯をサラッとでも調べてみれば背後にキナ臭いものを感じることを禁じえないのも明白な事実だろう。


私がこれを本で読み知ったのは、中学生の時であったが、だから教諭に如何に大学進学の為の進学校受験を奨められようとも、国内でのストレートの大学進学は元々眼中にすらなかった。

学制に纏わるクダらない論争の史実と併せて今でいうシラバスに当たるカリキュラム・オリエンテーションを読んでから教授陣や講義内容をサラッと眺め、クダらない事に無駄な時間を使いたくもない、と考えたからだった。

その根本は、大学に行くというのにその経路には無駄な反復過程ばかりである上に、当の大学では実学的やら啓蒙的な講義内容ばかりだと思えた(学問には資さない)からであり、それならば学術研究教育機関としての大学たる高等教育機関(としては中途半端な大学)に進学するよりも、専科学校かそれに類する教育機関に進学する方が「そもそも学者に成るつもりもない私」にとって有意義であろうし、歪な啓蒙によって個を失うことには何の優位性も感じなかったからだ。

当然にも、学歴による恩恵など一瞬たりとも考えたことはないし、コネやらで渡世のための処世術を構築しようと思ったこともない程に、私個人はクソバカであるから同時に専門範疇での甲斐性もない(笑)


自分個人が他より優位に業界を渡世したところで、阿呆な勝ち組を名乗りつつ少しばかり華美な生活ができる可能性が広がるだけであろうから、生まれ出た意義も意味も薄れるし何よりも世の役に立たないでは無いか、と(当時)思ったのだ。


この、単線型教育という馬鹿げた思想を掲げ推進した人物こそが、悪名高き南原繁東大総長…

やたらと「新日本」やら「民主化」という具体性も定義すらも怪しい意味不明な言葉を好み、サンフランシスコ講和条約締結時には「全面講和が必要で、これは片面講和に過ぎない」と意味不明な論を展開して時の総理大臣であった吉田茂から「曲学阿世の徒」と罵られた人物である。

戦後占領下に「天皇の自発的退位」を主張し総スカンを食らったことでも有名であるが、国体護持の為にも「堪え難きを耐え、忍び難きを忍び」再建を志そうという当時の我が国においてそんな主張をすれば当然の仕打ちであるし、同時にこの主張は単なる怨念的思想の元にある屁理屈だったのだから学者としての矜持を棄てて身勝手な願望のために学識を悪用しようとしたとしか捉えられなくて当然だろうとも思う。


この南原繁という人物の足跡の一部にあたるだけでも、彼が主張した「新日本のための民主的な教育制度構築には単線型教育課程が絶対的に必要」とするのが如何に馬鹿げた屁理屈に過ぎないかが判るというものだ。
斜に構えて考えれば、後の混乱を招くための量産装置として適するから推進したとさえも思える。

新学制施行の混乱も当然広範に無駄を生じたが、それ以上にその後の産業界からの複線型教育制度の希求は強く、使いにくい人材を更に無駄な時間経過してから掴まされるのであるから堪ったものではない。
その過程の終わり際に実現した専科学校に近い制度が「高等専門学校」であった。


この経過を知った私は、工業高等専門学校に進学することを決意し、その時点では専攻科システムがなかったから大学に編入してテキトーに過ごした後に留学する事を志したが、無能な私には叶わなかった。
私が志望したのは全て第一期校と呼ばれる国公立であったが、そもそも受験勉強は愚か試験勉強すらもしたことがない上にしなかった私は国立の受験を当日に放棄し公立に進んだ。

私の母校は、後の少子化による統合運用政策により消滅し、今では二校が合併した学校に姿を変えている。

ただし、修学意欲のある学生の為の専攻科設立と共に拡充された高専に纏わる進学制度はより改善されたと感じるし、更に進んで欲しいとも考えている。

専攻科制度と同時に準学士号が制定されたが、一年違いで私は準学士ではなくお似合いの無号低学歴である(爆)
蛇足ではあるが、誠に悲しいことに、私の母校は、幼稚園から最終学歴まで含む全てが既にこの世に存在しない(笑)


ぁ…大概において「シタリ顔で間違っても無自覚なのは、選択的に本を読んでは身勝手に納得して無自覚なお方々」なのだと思うけどね(汗)
戦後、そこに本を提供し続けてきた代表的な出版社の一つが岩波書店であることは周知の事実よね(それでも読まねばならぬ苦痛を伴わざるを得んのは、学びの上で仕方のない事だけども…)。
まぁ良くも、あっち方面の方々は「憲法義解」も読まずに「憲法」だけ読んでシタリ顔出来るよなと思うし、南原繁に連なる憲法関連の本なんて読んでりゃ吐き気を催すし、議事録の類やら岩波書店の南原繁著作集なんてのもぶん殴って燃やしても足りずに…ってお高かったから古書店に売っぱらったけども(笑)
彼の専門外のところであれに感化されるのは、マルクス読んで心酔するよりも稚拙で異常だと思う…って彼の専門は私の様な頭が悪いのにはサッパリ解らんけれど(私は解る素養も持ち合わせない低能だし、無論読んでも何も感じない…だって実質的には読めないんだから…仏文系の人ってそんなの多い気がする。因みに南原の専門は法学)、なんだろーなー、欧州哲学の前近代から近代に感化された人なのかな?彼自身はマルクス主義批判者を自称したことがあるみたいだけど…私には屁理屈ばかりでコロッと変わる良く判らん人。たぶん、私が良く判らんのは私自身が頭が悪いからだろうけれど、アレを読もうとするとまぁ何冊別の本を読んでは反芻せねばならんのか…っていう感じかな?理路整然を装いつつ押し付ける人?
たぶん…「そんな事も知らんのか!(と口には出さずに屁理屈の裏の無言で語りかけて威圧したり)」「話にならんな…(とは云わずにも屁理屈を並べてそう論旨口述するとか)」…そんな偏屈な人なんじゃないかな…本やらを読む限りでは(笑)

つかさ、選択的に本を読んで身勝手にも自己満足な人ってのは、本に書かれた文字を読んだだけで「読了しました」なんて云ってのける様な奴等なんだろうね(笑)
そりゃ学問の資質に悖る以前に無駄な贅肉溜めてるだけじゃないかな、とも思う。
南原繁というお方がそういう人だと断定しているのでは無く(あれだけ大成したんだから彼は有能な学者様だったんだろうし)、そんな決め付けで学問してるツモリの学者多数には困るね、という話ね(苦笑)。


前置きが多くなったが、私自身は学校教育に全くの門外漢であるし、教育的に携わった事があるといえば社内教育位ではあるが、その都度々々場面々々で毎度の様にブチ当たるのが「単線型教育と無用な啓蒙による弊害」であると感じたから、少しばかり学制に関しては思うところがあった。

以下は、以前イイカゲンに記した物の抜粋であるが、問題意識としては「そも修学意識に乏しくその評価認定にも不完全極まるとしか思えない」ことと「適性などを殆ど加味せずに途中から路線変更する事がほぼ適わない」上に「無用で針小棒大な啓蒙を許容してしまう」現在の単線型を主型とした学制を、実用的で広がりあるものとしつつ早熟な者の短期間化を図れることを主眼として考えての雑記である。


つか…留年再履修が無いとかやら、転科に社会人学習にさえも不自由だとか…6・3・3制ってホントに教育を大事だと思っているのだろうか(汗)
そんな中でキレイゴトに過ぎない高校無償化やら高等教育無償化なんてやった末には、啓蒙に感化された夢想家の集団によって断末魔…

とは思いもしないのだろうか?

ま、イッカ🤣



〜以下抜粋〜


ワシは4・4・4(初等前期・初等後期・中間教育)で十二年、最後ん四年制中間教育(secondary education)は後の進路別構成(専科なら四年一貫制でも良いし、大学組は前期二年の後に予科二年で受験、今の高校普通科相当は大学組の後期二年分を就業学科とするか補講を加えて専科後期に転科できる)により飛び級・留年在り(年限退学制で修学出来んヤツは卒業させん)とか好いかと思うんじゃ。
ま、年限論や組織機関構築論は色々在ろうが…

何にしても、今の制度では早い人には無駄が多すぎるし、落ちこぼれる方々を救う手立てもなく、更には履習ではなく修学の評価認定が全くない…こんなの幾ら何でも先進諸国とやらでは我が国だけじゃないのか…良くは知らないけれども。


※因みに「中等教育(前期・後期)の事を私がそう呼ばないのは、その体を成していない現状と併せて「そもそも現状は反復ばかりで中等なのですらもなく、追加補足や次への導入を目的とするのが中等教育なのだから、現状の位置づけの単線型であってさえも中等教育と呼ぶべきなのか?」と考えるから。

つか、中途半端教育課程じゃないのか?(笑)


義務教育と呼ばれる初等教育と中等前期教育と法制で定義される部分(小学・中学校)に対して、修学認定と早期進級が殆ど無いのは大問題だろう…
それ以上に問題なのは、入学こそアホらしい効果測定にしては非実用的な試験を伴うものの、修学認定は気分的な教科担任による学期試験という意味不明極まる試験評定を基準とした成績評価と出席率でほぼ決まってしまうという、存在意義すらが怪しい詐欺的名称の中等教育機関である高等学校の存在だろう。
ま、単線型教育思想の要所の1つこそが、この「高校」の設置にあったことは明白であるが…何かの温床としてなんじゃないかとすら思う。
当然なのか、私立を始めとして中高一貫教育校が存在するのは、現実的にはここが最も非効率で分ける意味がほぼ無いだからだろう(笑)
本質的には、現行制度に擬えれば小中一貫校にして高校は廃止し大学予科の代用校を設けるのが、早熟で論理力の高い者を対象とした最短ルートに近いだろうとも思う。
これを半ば実現しつつも、柔軟性を与え救済策を加えても成り立つように考えたのが、4・4・4による高等学校吸収廃止的学制である。

としても、修学認定が現実的でないのは現行の全機関に共通することであるものの、一般には問題視されない(一部の専科学校などと大学だけは教授裁量などでマトモに思える評価裁定がなされることも少なくないようだが…)。
これも大きな問題の一つだと思うが…

何せ、教育受けたからって解っているのか使えるのかがほぼ判らないし、いわゆる早熟で出来る子には退屈極まる上に可能性をも潰していると言えようし、どちらにも救済策すらもない。


ならば…
小学は前期四年に後期四年、この八年と中間教育過程の前半二年までが義務教育で計十年。

現在の高等学校という詐欺的名称の無駄な機関は廃止し、2+2準拠の四年制中間教育学校を作る。

中間教育ん目標は「社会で就労する素養と後の進学経路形成」で、前期二年はほぼ共通(現在の高校普通科の必修科目に併せてその他、ここまでが義務教育)、必ず必要とは思えないが就業準備学科を後期二年に設けても良いし、後期二年は専科(専科学校進学組)、と予科(大学を経て大学院での研究専門職の進学組)に分ける。
当然単線型ではないのだから、転科も充実した救済策も、後の社会人復学などをも含めて構築されねばならない。

中間教育後期課程は、就業に必要ないならその部分に限っては受けなくても良かろう(から義務教育に含めなくとも良い)。

ついでに、(現行の小学校高学年に当たる)初等後期の四年間は最大二年の飛び級可能とする代わりに、発育関連なんかの教育は一時除外しつつ別途中間教育過程で追加補講(論理的能力が早熟な人対応)するなど工夫する。

初等教育と中間前期二年は十年一貫制併設でも良かろうし、現在の高校受験資格に相当する中間後期教育機関を含めて救済や復学のそれを専門とする機構を設け、不登校児童や過疎地教育対応なんかのオンライン教育や通信制と統合(多様な需要への義務教育の延長を伴う柔軟な対応策)。

これで、現行の高校卒業相当(中間教育修了)を、初等と併せて最大で四年短縮出来(発育時期的に飛ばした教科は、就業しつつも必修化して中間教育機関などに担わせる(夜間高校やら通信制とかみたいな仕組みやら民間が補足しても良い))、最長二年の留年組も同じく吸収し、義務教育でも履修に不足する者は安易に卒業などさせずに社会的身分も別途考える。
初等教育での修学不足は中等教育の補助機構で補っても好いだろうし、それによって差異によるイジメやら見栄えの問題も工夫吸収できるかも知れない。
本質的には、理性として違いを許容とせずにイジメを働くなんてのは文明人的に絶対的論外であるが、仕方がないならば機構に現実的に取り込む他はない。
大事とすべきは、確実な修学認定であろう。

社会的素養教育(義務教育)を修学していないのだから当然にもフルスケールの権利を行使して良い訳がないし、不幸にもハンデキャップと呼ばれる事をお抱えの方々は別途救済策を「単線型の今の養護学校とは異なる仕組みで構築し直す」方が現実的であろうとも考える。

つか、フツーに受講した者からすれば、あの何度も中途半端にカブってやり直す中高は何なのぜ😅(お前、高校行ってねーから知らんだろ👤💢)

初等教育前期で「予習とは何なのか」を確り学ばせ効果認定できりゃまだエェがぁ😭実感無しの反復効果期待なんて、理想論に過ぎず利かん児童・生徒も少なくなく無意味思うや😅

高専ん時に高校ん教科書っつーんを「例の」教科書売っとる本屋で買って読んだ事がぁるがぁ…アリはなんと中途半端なんじゃ思ったぜよぜ😱そのままじゃほぼ使えねーし、その割には要らん事多いし、変な思想まで叩き込まれる…悪夢じゃんか😭
(当時も今も変わらぬ結論としては、あー高校行かなくて良かったー、だ)

大学受験の手引き的なんも見た事在るがぁ、単元が云々で効率的がどーのってゲームかよ…何の為に学んどるんじゃありゃ😵低級な資格試験じゃあるまいに😭
つか、資格を与えられるとすれば教育された後なんだからさ…入学資格を持つものの適格判定ならばやり方が全く違うでしょ?今は膨大な計算を扱えるコンピューターなるものも有るんだしさ幾らでも出来よう😅

時間と労力の無駄と、結局は進学せんと殆んどは何も実践的に役立たん様な気が😱んで受験後にゃサッパリ忘れとるみたいじゃし😅
やっぱ意味ねーじゃんコーコー

ならば、そん、基礎になる哲学的やら思想やらん背景概念を叩き込んで、後から学んでもスンナリさんにしとけやっ😓

ホント、あん時ゃ「コーコーって学園ドラマん為に在るんじゃねーか?」って思ったくらいじゃった😅


中間教育は、前期二年・後期二年として総合大学(University)進学の為には後期二年を現行の高校普通科的なのに換えて予科に対応させつつも単位制で飛び級・留年・進級不可在り、後期も前期も同様に単位制で前期二年と試験制度(今ある定期試験ではなく全年次修学単位制)で総合大学受験資格とする(今の大検に対応して、初等未修学者も然るべき課程を経て資格認定出来るようにもする)。
現行の高等学校の無意味さは、この旧学制での予科に当たるところを他の無駄まで含めて時間だけが掛かる普通科というもので代用しようとしたところでは?
ま、この多感な時機に「変な思想を様々な方法で植え付けてやろうと考えた」と思われても不思議のない時機選定でもある。
だから、普通科は廃止して、後にも帰流可能なように専科分岐してしまえば良い。
後に路線変更が出来ず全く柔軟性に乏しいことと、何よりも課程に時間が掛り過ぎることが現学制最大の問題だろう。


一般的な就職をする者や専科学校進学組は、同じく中間教育四年制(前期二年+後期専科準備二年、若しくはその他の一般就業学科二年)ながらも後期を専科準備その他へ分科として単位制修学制度で飛び級・留年・卒業不可在りで、前期二年履修者には現状の高校卒業程度の資格を与え、現在の大検とは別の専科学校進学資格制度を作る。
当然その過程には、転科や再復学なども考慮せねばならないし、これは飛び級と留年対応のための補助機構を工夫すれば良いだろう。


これで、中間教育(現行の中等教育)までの仕組みは、心身の充実教育と基礎学科教育を時間的に素養資質的にも合理化し、早熟者対応と学びの遅い者の間の教育格差を後の過程で収束的に最適化する。
機会均等性を損なわず、年限短縮も可能としつつ、救済措置を加味しながらも、修学認定が確実に行える。


兎に角、学んだところで修学しとらにゃ意味が全く薄れるんじゃけぇ、ポッと出の秀才やらを見ぇっける手法ではなく、実効的で一部の者には時間短縮も逆も可能な機構がエェんじゃねーかと…←お前の様なバカは遅組か留年在留だな👤🌟


つまり、中間では全過程で飛び級できる様にしつつも、別機構などの補講などによって学ぶべき時期に学ぶ物はそこに入れて、修了出来んのは卒業させずに再教育する。

ということは、工夫すれば教科別に専門職が必要となるのだから教諭層の多様なリソース拡大や伴う永年勤続対応を許容する受け皿にも出来得る。

それを合理化しつつ最適化する為の二年単位のクラスター構成を二つ付けた四年制教育機関を(初等前期・初等後期・中間の)三つ設けて十二年で集約出来るようなカリキュラムと補助機関を構築する個人的な案。
単なる素案だから、幾らでもやり方なり具対策なんて考えりゃエェーでしょ。
別に4・4・4だろうと8・4だろうと…そんなのは理念概念が現実に合い移行がし易いように都度随時変えたってって好い。

ただし、不用意に集約化すれば地方過疎やら人口動静に対応しにくいのだから、機関としては合理的に分離も出来るように考慮するほうが好ましいと思い二年単位を三分割クラスターとした12年教育機関構想ではある。
変に固定化してしまうから柔軟性皆無な理想論に走りたがるし、後々の政策転換にも冗長性皆無と成ってしまうのだと考える。
正解なんて無いんだからさ…😅

初等前期と初等後期は、それぞれに発育過程が違うのだから(当然にも生物学的な性差での違いも在るし)違う専門職が教諭を担当し、八年間を原則としつつも最短六年(発達過程の制限を受ける教科やらは別枠で別専門職化)で一時免除しつつ飛び級進学可能にする。

年齢的分類の細分化は、スクールカウンセラーとやらだけで無く担任制度の専門性をも促進しつつも、組織機関的には過渡期毎に集約しているのだから、その間の情報流通や技術的交流もやり易い筈だとも思う。
(少なくとも、共学としながらも6・3・3なのは、6の末期と3・3の区割りには抜本的な問題を含むと考える…こればかりはナイングレード制よりも補足機構がないのにも拘わらず担任に押し付けていて更に劣悪だと考えるし、ここを解消的にするには発育段階ごとのサポートを確り考えねばなるまい)

この時に重要なのは、担任副担任制度なんてチャチで非合理極まる非現実的なことではなく、セクレタリー制度の様な専門的単能事務職や専門補佐職を置くことだろう。末端から全ての事務処理を指導者である担任副担任が一手に担当するなんてのは能力配分論的にも馬鹿げてるし、この大事な所で無駄にリソースを消費すれば本分が疎かになるし、整備学や医学に類する専門性を教養学部風情で充分に補佐できるとも考えにくく少数の体育教諭と養護教諭だけで賄えるとも到底思えない。

初等教育とその後の教育課程はその点で根本的に異なるのだから、適正素養を見極め伸ばすのにも好ましい様に発育を助長するにも確りと考えた上でリソースプランニングしなければ絶対的に拙い…この根本が全く出来ていないのが我が国に於ける教育制度の根本的な間違いの一つだろうとも思う。


多分、そういう統計的データ(統計学を伴わんデータなんて無いんじゃがぁ我が国では何故か一次でーたやら云うし混乱するよな💧そりゃただのナンバーだろ😅)が在るんだろうけれども、それを基にして授業単元構成は適宜に考慮すれば宜し👍

で、二年二分割四年制三機関が合理的でないならば、別の構築法でそう考えりゃエェ👍


法的には、学生・生徒・児童が中途半端に色分けされとるが、やはり中でも学生は学術を本分とした社会人であり、それならば法的に成人人格的扱いでないと奇妙であるし、少年保護法みたいなモンを必要とするならば学制と合致準拠させんと教育課程との勘案が全く採れん😠

よって、成人年齢は満十八歳としても、前二年は準成人的扱いで素養と分別(ふんべつ)を学ばせる期間として初等と中間教育にもその前提を旨として組み込み、現行の高校卒業程度の必修単位にこれを含む(不合格者は進級出来ないのだから原則として成人とはしない)。
そうすれば、義務教育終了時点で就業した者が中間→高等教育に復学する際にも合理的で実効的な構成と出来る(救済策などの補助機構を活用すれば良い)ではないか。

そも、学生が社会人としての自覚が芽生えていないからこそ、学業が疎かに成るだけでなく、出席・レポートで卒業できるし就職の為だし今遊ばないと、やら成るんじゃ思う。

おまけに、奨学金制度にしたって、社会人として後に世に資する為に学んでいるのであれば、そこに返済不要な公的資金をつぎ込むことにも全く文句はなかろう。

現行の奨学金都合の制度には、その殆どに主旨に準じた真っ当なものがあるとも思えない。奨励すべき学術教育の補助として支給するのに何故返還が必要なのだ?社会から自動返還されるのだからそもそも不要だし、そうなる事が期待出来ない者に奨学金を渡すならばそれこそ非建設的で非合理極まりない。
在って好いとすれば、不当に悪用した場合の返還制度と罰くらいなものだと思うが…

そも法的には現状でさえも学生は社会人なのだ!

じゃけぇにも、学生ではない高校生やら中学生を平気で学生と呼称したり、通学割引略して「学割」であったものを変な理解で濫用したりする末期状態😱
大学生が「社会人に成る前に遊ぶ」やら云っとるっつーんが末期的症状以外に何と表現出来ようか…学生は社会的身分であり当然に社会人の一角を占める者の筈だ。
ま、遊ぶなんてのは心の持ち様やら合理的な時間の都合の仕方次第なんだけど…結構一般的に居られるでしょ?ちゃんと家庭生活営んで子供も作り養育しつつ両親共に趣味も広範でフツーに愉快に過ごされている方々、素敵ですよね?大人でも余暇に遊べてるじゃぁ無いですか😆👍

学生は、無論遊んだって良いし広く学びつつ沢山遊ぶ方が宜しいでしょう、ともすれば遊びも学びに成りますし😆👍🌟

つか、社会人だって遊ぶでしょが(笑)

一生学んで遊べば善き😆👍🌟

稼げねーとか稼げねーとか稼げーっつーんは、社会的な経済的許容の問題で、給料が安いからですよ😅
当然にも現状は自己責任なんかじゃない…稼げるクチも用意出来ないのに、用意できない側の輩が「職にありつけないのは自己責任」と平気で言うなど無責任極まるではないか!

遊ぶ時間を作るやら、青春を謳歌するなんてのは、精神的な自己問題かも知れませんよ。


なんだかんだぁで、常識がぁやら云いますが、常識とは単純に一般論やら通念ではないですよ。フツーが常識と誤解されるように成ると、慣習法やらの解釈論すらヤベーく成りかねませんよね。

こわいですねー、「赤信号、みんなでナンとやら」の世界ですよ。

常識論をするならば、先ずは我が国に於ける歴史的経緯やらを学ばないと、とてもマズイですねー。

日本史と世界史なんて学び方して、学士様でも法学基礎やら倫理に思想史やらん概論も忘れちゃって、その上「フツーだから常識だろっ」とか始まった日にゃぁ😱
法科じゃないから知らない?習ったはずでしょ?法学の基礎概論は高等教育機関全てでの必修なはずですよ(高専ですら確りと教えられます)。

言い合い殴り合いの暴動やら国家転覆に、散発的戦闘勃発頻発やらがオチの様に思えますが…中世以前かよ😅

だから、義務教育においてその歴史の概要を学び切らないで終わるなんてのは問答無用に駄目!

そも歴史は暗記教科じゃないし…


そもそもケンポーとやらに拠らば、国民凡てに文化的で云々…で、労働と納税が義務なのですから、働けない者を「働かざる者云々」やら云ってしまっては「人でなし」扱い、◯ねや、と云っているのと相違ないのですよ。

福祉万能論者がぁー、ではなくて、為せば為れども出来ぬは出来んのです。

問題は、一様に平準的なキレイゴトの平等(画一化)ではなく、広く公な公正やら機会損失の最適化であって、損得論でも端的な道徳論でもマズイのではないでしょうか?

だからこそ、初等教育で道徳を仕込まれず、手法までもが画一化された競争で勝ち負け損得論を醸成し、学士様に成ってからでさえもモノを考えられ無く陥れられていてさえも無自覚で、終いにゃ成長しそうな奴ぁ芽の内から潰してまで勝ちたがるやら、なっちゃぁいませんか?

大学四年間は各自様々に有効に使って、それでも後にも遊びに学びにも活かせやしませんかね?コネ以外で(笑)
つかねー、高専ですらもマトモに学べば長期休業期間以外にバイトするなんてのはとても大変ですよ…単位修得できずに留年し最大二年しか許されないから中退ですよ(マトモじゃないのは平気で三割四割当たり前に落伍者でますしね)、翻ってダイガクとやらはどうですか?コーコーなんてもっと簡単に通ってるだけで卒業できるでしょ?学校で習うことが役に立たない以上にマトモに学ばなのが根本原因じゃぁ無いですか?
やはり、修学認定の問題でしょー😅

じゃけぇこそにも、現在の真の問題は大学じゃ思う😁←お前進学して無いだろっ👤💢
なんか、結構な広範さで元凶とも云える、諸問題の種であり畑でありスーパーマーケットみたいなモンじゃねーかと😱

まぁ、改革やら普通に云って退けちまうんがその証左かも…

物事は遅々にしか進まないからこそ、考えるための基礎としての教育が大事で、学びと改善の礎こそが教育なのだから、正に急がば回れですな😁

知識やらを振りかざして他をぶっ叩くだとか、コネを利用して囲い込んでぶっ叩くだとか、変な理想に心酔しては無意味な論を繰り返して更に無能極まるだとか…

ホント…大学院に研鑽のために進まなかった学卒って台頭する大半が…ま、止めとこう🤣


高等教育は、専科と統合的学術教育(リベラルアーツ的な学び)を明確に分けて、専科は学術の実践的教育とし(College)、現状の大学と称する機関に相当する物(University)はストレート入学卒業が如何のなんて事よりも広範な学術素養とより確りと深い専門研究のための教育に力を注ぐ。

なんてったって、人生百年時代らしいですから😂ワシみたいな馬鹿だけならまだしも、何も考えられん阿呆を量産されては末は地獄か😱


現状の専科学校(列記とした高等教育機関ですよ)の一部は、国家認定委任による準学士号制度の実効性を考慮した形で再構築し、修学者(必要単位履修者含む)をそれに認定する権能をその学校に与える(当然簡単には修了も卒業もさせない。専科学校の地位向上と有効性の向上)。
無理に大学なんて行かずとも良い!

現状の公認制国家資格授与制度の多くは廃止か見直しし、準学士号と合理化統合化しつつも、重要資格は実地試験を含めた完全受験制として曖昧な資格保持者を払拭する(専科学校の地位と信頼性の担保)。

同時に、専科学校や(現行の一部の)専門学校にはそれぞれの一般国家資格認定試験を委託し、収益不足を抑制させつつも設備インフラや教員資質の維持向上を兼ねさせる(未熟な有資格者が乱発したら学校も機能的な処分とすれば資格の実効性と信頼性も向上する)。

官僚機構の出先機関としての行政が直轄してる認可に係る事故沢山でしょ?なんで?資格免許認定機構が歪だからじゃないんですか?

専科履修生のチャンとした就職が増えれば、専門的な素養資質不足による事故等防止や無駄な大学進学希望者が減り、専科と大学双方に利点があると思う。

つか、大学出てるのに素養が全く不足しつつもエバっては埓の明かないのが上に立って変なことするから事故るんでしょうが…人手不足だって同じ様式でコストリダクションだとか後先も考えずに遂行した結果でしょうが…どこまで他人のせいにして自ら律しないでいられる高慢チキチキなんだよ😭


当然にも、この方が平場の予備校やら民間専門学校だってやれることの幅が広がるし市場活性にも繋がるでしょ?(歪な一条校問題も実効的な解決な方向性)
この辺は、専科学校による複線型希求と大学短大側の「学術研究がどうの云々」という50年代から60年代の論争を何かで読むと…縄張り争いもここまで低能では始末に負えんな、と感じるでしょう…ほんとアホらしい。

大学は中間教育後期の予科修了生の入学を原則としつつも、別途(今とは抜本的に異なる認定制度の)資格制度を新たに導入して社会人就学向上や生涯学習の促進を図る。

原則年次制を完全廃止して完全単位制とし、ある程度の単位修了認定で合理化再構築した制度と統合化した準学士認定制度を作る(準学士称号の地位向上と履修の合理化および取得性の確保)。当然にも資格と合理化を図るのが良かろう。
つか、そもそもその為にも教養課程が有ったんでしょ?上手く利用されてなかったけど…にしてもダイガク軍茶利に四年も通って学術的素養としての教養すらないとか大問題でしょが?それじゃ専科学校以下ではないの?

単位履修制であるから、学部・学科間の流動性(今で云う転科と少し違う)を強化できるし米のCollege制の利点と世界的なUniversityの優位性を両立しつも、学士号を始めとした認定制度も類型最適化と共に複数認定の合理化を図る。

留学しないと幅広い士号習得や単位学習が適わないなんてマズすぎるでしょ…
知識やら知見を多く持った幅広い専門的人材がいて困るのは、自分の地位が怪しくなるとか考える阿呆だけでしょが…
狭い専門に籠もっては威張り散らしたいだけの輩なんてのは、学者や専門家の風上にゃ置けん!つか、そんな保身野郎はやり直すか消えろ💢

あんなさー、どーにも幼稚なゼミ教授の都合で用意された学科論文書けば卒業で学士認定とか(マトモなのも少なくはないけれどもさ…)ま、イッカ🤣


同時に、大学には聴講制度を充実させて社会人学習の場や機会損失者対応も兼ねるとながら(つか、それこそがそもそもの大学だろ💦)、復学や社会人受験を中間教育後期機関の補助機構と共に推進しつつ、単科・専科のオンラインや夜間教育など(単位認定制度も付ける)の充実も図り、社会人教育機関としての役割を担わせつつ学費収入増加策ともする。

働いてる人や企業やらの方が潤沢な学費払えるのは当然でしょ?そこも国益に資する教育と考えるならば助成やら減免措置を都度適宜に工夫すりゃいいでしょ?親に集るハイエナなのかよ学校ってのは…

つか…欧州では社会人学習なんて当たり前でしょ?学校にだって資金的な有利が在るし、履修したって無試験で資格認定するわけじゃないんだから、その上で地域貢献にも資するし教育機会を増やす上で業界の市場活性にも繋がるけど弊害なんて無いでしょ?
民間平場のカルチャースクールと大学の相互補完なんて…大して聞かないでしょ?
ビジネスにだって繋げられるし、教育拡充にもなるのに何で?
裾野を広げようとしないのは悪い癖だと思うなぁ…

教育機関としては、履修認定の信頼性を高めて卒業(学士号認定)を厳格化しつつも、年次制完全廃止で履修の流動性を高めよりリベラルアーツを促進する環境とし、広範で汎用性の高い教育と研究者素養の両立的確立を旨とする。
別に…大学出てから実学としてより深化させるために専門学校に行くなんてのは、70年代までならば当然のことだったし(企業内学校も多かったし)、箔のための学歴じゃァないでしょが(笑)

よって、現行四年制と同じ時間軸を目処としつつも就学年限を拡大させ(留年し八年で出てけはどうなるのかな?もっと長く居られて履修単位を増やすやら転科や大学院との関係性も吸収できんかな?)、特殊な分野(医学部・法科大学院等)との流動性も確保しつつ、現状の大学院(修士・博士過程)との整合性と教育研究の拡張性を向上し、早期の卒業等よりも実修学と学術研究を主体とする(ま、頑張ろうが資質無しは留年中退当然だし、早く学べる奴が沢山学んでも好かろう、そのための救済機構含めた補助機関は在って好いけど)。
寧ろ、大学中退者が復学するのに利便性の高い教育機構だとか、その際に又別の大学や専科学校などが視野に入る方が合理的でしょ?
スピンアウトしたら全部自己責任なの?中間で適性も確り判断せずにか?どんだけ無責任で非建設的だよ…

これにより、学閥による悪影響と学界との癒着や称号の信頼性、並びに学会の流動性や活発化が図れると思う。
つかさ、今の学会から学界に至る構成方法ってのはこれの全く逆で、学閥という徒党を組んでリンチするためのものでしょ?例の学術会議問題とやらで氷山の一角がハッキリと見えたでしょうに😭

社会に出てから大学に準ずる高等教育機関に入れないのと、社会人がその経路で研究者になれないことは大きな問題でしょ?

逆に研究者を志して大学院に進んでも、途中で分野的やら適性的に挫折したら救済策がない(転科して、とか別の社会人としても遜色ない道に進めるとかが圧倒的に不足してるからポスドク問題なんてなるんでしょ?)なんて…何がしたいの?これまでの公的資金を含む投資を無駄にしてまで人を馬鹿にしたいの?

それ以前に、自分で自分の適正を知るだとか社会構造にどんな職種があるのだとかも知り得る機会が少ないし、社会に出てから知ってもその道に再び向かうことが出来る業種職種が少なすぎる上に道が狭すぎるのが現状じゃないのかな?


ま、私学助成金やらの国家的助成金制度は様々な温床だから、これを廃止できる資金方式の確立からですな😁←寄付金も様式考えんと米国みたく成りかねんな😅

大学の自治だとか学問のそれだとか論も、同時に論理的かつ合理性と実効性を均衡化させて、そんなのは大学院の範疇だと出来たならば先に進むのかな😅
…身勝手すぎでしょ?公金で飯食ってるのに有効活用よりも保身なんてさ…

つかそれこそ、学会や付随機関ってのは何やってんのさ🤣


しかし、初等中等教育の現状っつーんもコエェ😭

的確な分業すらも出来てないのはマズイ以下の大問題で(先述したが)、副担任制やらも在ると云うのに、教諭の事務処理量が多すぎるのは「なにやっとんじゃ」で語る以前の問題だな😱
なんか、医療事務的な学校専門事務職をもっと合理化出来んのかね?

就職や中途で職業にアブれてしまった方々が半ば路頭に迷うんも、学歴で判別やらの民間まで含めた就業選別の意味薄手法氾濫やら、内実とかけ離れた実態のせいも無いか?

単線型だから新卒就職になるのだし(就労中に高等教育機関に在籍してて卒業式出たって何も問題ないでしょ?)、有能ながらも在野の人材確保に時機限定採用制度なんてどんだけ非効率よ(ハロワ経由で無意味なガッコとかホントに役に立ってるの?学制教育機関の補助機構に受け持たせられるんじゃないの?)…変なヘッドハントビジネスが横行するだけでしょが💢
(って…ぅ…利用したことあるしお世話にも成ったが…ねぇ💦高等教育機関などが人材ビジネスの真っ当な経由地になっても透明性も確保できて良いと思うけどねぇ)

マッチングの問題やら片仮名でカッコ付けとるけんども、なーんも実効策もその素案も見た事がない😭キレイゴトばっか😭

システム構築論なのにリソース論や概念が伴わないのは、落第以前の無資格だと思いますよ。

でもそんなのばっかでしょ…一からほぼ十中八九(笑)


しかし、ガッコのセンセーっつーんも、教育大学やら教養学部が基本なはずで、何か専門ん単位履修者で有資格者の最低でも学士しか成れんのじゃろ?😅

なんに、ワシゃ中学ん時ん極一部と高専入ってからん一部(こっちは「教職」とやらは要らんか)しか、大人ん成って振り返ってみてさえも「流石は先生じゃぁ」と思えるお人はほぼ在られんぞねのぜ😭少なすぎる😱
変なキレイゴトとか(逆上したく成りかねない)無用な慰めは散々聞いたけど🤣

大概は、熱血やら決め付け理想論者やら…身勝手な理想社会を作りたい啓蒙家が多いんかね😅

研究者の素養があるはずなんじゃけぇに、実践で教えつつも研究はするんじゃねーんかにゃ💦

研究熱心で素敵な、尊敬に止まない様な先生も少なくも在られる故に、まだ救いにも感じるがぁ…
その殆どが、仕事をする上で出逢った研究室やらのお方などなのは…😅

つか、授業作りの研究はタダの業務じゃけぇに当たり前じゃし、汎用的な論述でも出来なきゃ学士様が無くぞねのぜ😭

何で?三分の四半世紀も経って大した進化も見せず変わらんのじゃ?

英語がどうのやらIT教育でプログラミングやら、だいたいどっちも言語と論理で後からでもイケるじゃろ?日本人がネイテブスペーカー並の発音してなんか嬉しいんか?

ぁ…上流階級ん中でチヤホヤされたいんか🤣長い目じゃ意味ないぞーそんな悪徳的ビジネスなんて😭

大体、英語なんて行く先々で変なイントネーションでリズムも変わるが通じとる(読め無いんはヤバイが)😅

米語は慣用やら省略やらでクソ変な上に(ワシが習った当時の)中学の教科書ん発音と全く異なるし、仏人の喋る英語なんてにゃんにゃしゃのーんで聞き取り辛いし、豪人のは威勢が良くてなんかそれだけで共感しそうになる(又は煩い)し、我らがカタカナ英語だって粗方通じる上に聞き返されても説明すりゃぁ理解されるぞ(勿論片言でも)、表向きだけの恥掻きたくないやらなのか?それともクイーンズエングリッシュ喋れないと就けない仕事に就きたいんか?そんなんモノ知らん方がよっぽど本当に恥掻くしそも喋れるだけじゃ相手にされねーぞょ😭

下手にベラベラと英語喋って「古典も歴史も解せんのか…教養が無いな」なんて思われたら、恥どころで終わらんぞぉっ😱ワシ…そんな通訳がヤベー場面にも多々遭遇したな…全部日本人通訳だよ😭

何か教育論っつーんは凡的に何を求めとるんか良う解らんや😭


もう…歴史教育とか端的な問題では済まされないと思うのだが…😱

少しずつ変えていく努力の跡は見え隠れするがぁ、抜本的な素案も随時必要と思うが😅


何にしても、学士様を自称するのにもかかわらず学術研究の基礎中の基礎も出来ない(一次資料に当たらんし他人の弁舌に感化されるよう)では、何の為に就学したのかさえも理解に苦しむではないか…

コネ作りにしたって、学閥連衡では闇が深まり癒着が増えるだけだろうし、○○運動やら○○活動の温床に成る様では困る以外に何も無いではないか…処世術研究家か?😅

修士に進まにゃ凡的研究も出来んとか(つまりは素養的に専門職失格と同意だろ?)、理系だから文化は全く知らんやら文系だから数字は嫌だとか、ならば専科に進めば良かろう?つか大学行くな😅💦

専科ならばソコと周辺しかやらんで済むし(本当はそれもマズイが)、早く仕事に就けて後にも学び直したり追加出来る方が幅も広がり楽しいじゃろ😆👍🌟
(何より資金的に優位)

成熟して考え直したらば大学行きたいってなるんならば、その代用としての社会人学習機構とかマトモな大学への再進学ルートを用意しておけば良いではないか…無理に学齢に達したら高い学費払ってでも大学にストレート(若しくは数年浪人で)進まないと学べない、という状況こそが地獄へ道の根源なんでしょうが😅


でさ、私も含めた皆のせいでしょこりゃ…チャント考えてこなかったのは偉い人だけじゃなくてそれを甘受し続けてきたからでしょ…

それも教育の賜物なのかね😅


何も考えん阿呆よりは、間違い多くとも学び直す馬鹿の方が愉快じゃしマトモじゃろっ😆👍🌟


あり?…

って結局は、戦後構築された単線型の大学進学という歪な道と現状の大学、それに社会人学習の場や再就学の道がないっていうのが根本…ってゼーンブそもそも論的には南原と感化された部分が根源みたいなもんじゃんか😱

つか、非現実的な阿呆なんだよね単線型…弊害ばっかで、人がそれぞれに素質も適性も環境もやりたい事も違うという自然の摂理を無視してるとしか思えん😭
随時適宜に良く聴いて、都度それに合った学びを提供できない教育なんて、いーみなーいじゃーん😭
社内教育レベルだってそんなアホなことはせんよ😅💦
(してしたり顔のクソ輩も沢山居るには居るけど、似非の身勝手マナー講師とか(笑))


極論すると、(戦時対応で即成教育制度を始める前の)戦前の学制の不足する部分やおかしな部分を改善すすりゃ良いってことじゃないのか?

憲法と丸マンマ同じじゃないの😱

米国の大学制度はソコソコだけれども、ナイングレード制を始めとしたハイスクールまでってどうなんよ?そんなの一部だけでも(全く異なると屁理屈しつつも)真似したからマズッたんじゃないの😭

〜抜粋終わり〜

私などよりも、もっと経緯や教育学的やら生物学的やら精神心理から発育やらなどに詳しく頭も切れる人は沢山居られるのだろうから、キレイゴトや夢想的理想論に感化されるのはソロソロ止めないか?
個人が勝つことよりも皆で克とうぜ!😆👍

それこそ今のままでは、将来世代が忍びないよ😭

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