核武装論の前に 〜前提の前提論〜(1)

何事においても前提は大事であり、特に科学的理解とやらには必須である。

科学が摂理の殆どを解明していないだけでなく、科学的根拠を基礎にした議論というものがそれに必須な前提の理解をすっ飛ばして行なわれることは多く、その代表例が「単純な核武装論」であろうと思う。


単純でない現実的な議論をするためには、ここまでに至る経緯のあらましと、少なくとも辿り着いた「相互確証破壊(MAD、Mutually Assured Destruction)」と「大陸間弾道弾(ICBM、Intercontinental Ballistic Missile)」や、「潜水艦発射型弾道弾(SLBM、Submarine-Launched Ballistic Missile)」、対抗手段の主体としての「策源地対処<能力>(<capacity for> Countermeasure Source Attacks)」の理解は前提の前提として必須な条件であろう。


これらを踏まえると、核武装論として我が国に最適なのは「SLBMの合理的配備」ということになるが、容易く可能なのだろうか?

何時どのように準備を始めるべきであるのか?


SLBMの運用には、そのプレゼンスが実効的と成るようなSSBN(戦略原潜)の配備が必要で、その為には味方SSBNを秘匿することと同時にこれらを護るためのSSN(攻撃型原潜)が必要となる。

それと同時に、対応する指揮命令系統と併せて、味方SSBN艦隊に接近する敵の脅威を早期警戒しなければならない。

SSBNの護衛にSSNが必要であるのは、航続能力や運動性などを考えればSSBNを追跡出来るのは航空機かSSNでしかないからである。

航空機でSSBNを守ることができないのは、秘匿性を損なうからであり、逆にSSNによる追跡なしに当初から航空機のみでSSBNを探知追跡するには膨大なコストを要する。

即ち、敵SSBNを探知追跡する最初の役割と攻撃の主体はSSNとなるのであり、味方SSBNの護衛にもSSNが必須になる。
SSBNの配備は、必然的にSSN配備を必要とするのである。


SSBNに対するSSN論、つまり潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)に対する対抗手段というのは、この場合のMAD(相互確証破壊)に対する循環論的補足でもある。
ICBM(大陸間弾道ミサイル)は、その発射機や基地が破壊されれば能力を失うが、公海上の海中に潜みSLBM発射待機するSSBNは本土への攻撃を逃れられるからであるし、その逆も有り得る。
敵がSSBNによル核抑止を公言していようとも、その手段がそれに限られると確定はできないからだ。

こうした敵の核戦力運用手段や方式の確定作業の冒頭に当たるのが策源地の特定と評価であり、これに対する手段の獲得こそが策源地対処(能力)の確立なのである。

敵基地攻撃能力やら敵地攻撃能力という言葉が、いかに的外れで低次元であるか…

攻撃するには、探知し、評価し、目標として特定し、優先順位とその手段を事前に確定して置かねば根本の命令すら為らず、これらが済んで初めて部隊運用と指揮系統の策を講じる段階となる。

軍事とは、相手のある合理性の問題であり、あの兵器ならあれが倒せるやらと単純でないのと同時にシンプルな戦略論とそれに基づく下の段階を策定していくことなのである。


これは、軍事に於けるプレゼンス論、軍事学の用語や論理を解さないと矛盾にしか思えないものなのだろう。

だからこそ、戦争はいつでも感情にかまけて政治に始まり終わるのだろうと思うし、近現代にも合理的正義の斉唱はあったものの殆どは非合理極まる政治的に偏向されたものであったのが史実であろう。

これを繰り返さないためには、面倒であっても前提から理解を始めざるを得ない。

大筋さえ間違っていなければ議論の前提としては問題ないであろうし、ここばかりは「皆が云っているから正しい」としては絶対的に拙いところでもあろうかと思う。


MADは、ICBM(大陸間弾道ミサイル)の登場に拠って「創作」された軍事的政治戦略論の一つである。



つづく

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