ゲームマーケット2024春で出会ったあるゲームについての詩情としさく


´ 24年4月28日、日曜朝11時から前日に続きゲームマーケット春の会場にいた。「秋」からは幕張開催ということでビックサイトは最後かもという寂しさと行動の変容を求められている脅迫感がある。
 今日だけ出展のK27ブース「するめデイズ」でソレに出会う。
 立ち並ぶポストカード、老眼にきつい小さな文字、展示はそれだけ。見ながら通りすぎる、切り抜きがあるので止まる。
 売り子の方の話に感動し、「今回のゲームマーケットで一番感動するゲームかも」と言った。楽しい二日間だった、時間がたった今、間違いなくそう思う。
 タイトルは「街と和解する方法」、風景写真一枚と地名、作者のインデックスとデザイナーのコンセプトのゲームである。
 ゲームマーケットのサイトからたどれる元Twitterには惜しみ無く売り物の方の写真が全て乗っているので、それでプレイしてもかまわないと思う。
 現場に行って切り抜かれた窓から消えたのがなんだったか、覗き見するゲームであるとは言える。デザイナーもそう言っているので、現場で確認して「終わり」にする遊び方はできる。
 でも彼はこのゲームをポエム、詩と表現している。詩の目的は「感情の再現」で詩人の感じた情緒を、その言い得なさを含めて、読者の心に再現することにある。このゲームは間違いなく詩で、カメラが切り取った街の同じアングルにあなたを誘導し写真から切り取られた部分を発見し、切られた理由を考えて、作者の気持ちの軌跡を想って欲しいのだ。
 なのでジオゲーム的にヒントからたどり着いたりナゾトキしたりするものではないし、同じカメラアングルの場所に立った事で終わりではない。事前に入手した情報から想像を巡らせ、旅程を楽しみ作者と同じ一点にたった後、どうしてその「窓」だったか考える。正答のない思考こそが目的なのだ。
 つまり私と彼と作者のゲーム=詩は始まっているし終わらないのだ。詩を言葉の並びだけとすると違うだろうが、詩を感じる為の行為から伝える為の行為まで含めた広さで考えると私はいま誰かに伝える為に詩作している。この長文は詩なのだ。彼が私にかけた言葉も詩作だし、作者が伝えられたコンセプトに共感して写真を造ったのも詩である。
 そこにも感動している所だが作者は別にいる。話しかけて「熱」を伝えてくれた彼はデザイナーで、風景を撮り、切り抜く指定した人がそれぞれの写真に一人作者として居る。
 デザイナーのコンセプト共感した、私以外の人が既にそれだけいるのだ。
 最後には現場に行かなくてもいいと言っていた。並んだ写真の一枚は外国の風景だったからでもあるが、詩の共感とは誤解と解釈にある。言葉を誤解し空白を拡大解釈して自分の記憶、心、の同じ形を当てはめる事につきる。
 デザイナーの情熱、あふれ出て表現せざるを得なかったモノ、に触れるのもゲームマーケットの醍醐味で、一般ブースを廻っているのである。2024春のゲームマーケットは幸せだった。


絵、写真のない長文を読んでくださった方がいたら、喜ばしい限りです。
5月は忙しく公開できないかもと思いましたが間に合いました。

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