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恥ずかしい思い出


 母がらみで、顔から火が出るような恥ずかしい思い出が私には二つある。
一つ目は、貧相なハタキの話。
 あれは確か私が小学5,6年のころだった。夏休みの宿題の一つに、“廃品活用”という課題があった。毎年、8月の29日あたりから私は地獄の日々だった。と、いうのも、宿題がほとんど手付かずのままだったからだ。だからといって、決して私がずぼらな性格というのではなく、むしろ真逆のものすごく几帳面かつ真面目だ。
 だったら、なぜ、そんな悲惨な事態になったのか?
 理由などない。ただ、ぼんやりしていたらひと夏が過ぎてしまうのだ。
 夏休みの終わり、29日になると母が金切り声を上げる。
 𠮟られて泣きながら「夏休みの友」をし、習字を書き、絵日記に毎日同じことを書き、行ったことも見たこともない風景を水彩画にした。まだ発明工夫の作品もしなくちゃ。何のアイデアもないのに…、どうしよう。
 その横で、母が破れたストッキングを裂きはじめた。それを古いハタキの柄の先に束ねてつけて新生ハタキを作った…。なんでもいいや。それどころじゃないもん。
 それでも、二学期9月1日、登校した私は宿題のすべてを提出した。
ある日、あちこちの作品展も終わったころ先生が宿題を返し始めた。その中に、あの"廃品活用“があった。次々に子供たちが自分の作品を受け取りに先生の前に進み出た。ところが、ある作品を先生が掲げたとたん、教室中が爆笑の渦に包まれた。私もあまりのおかしさに手を叩いて笑った。ところが次の瞬間、私は凍りついた。先生が私の名を読み上げたからだ。
 最初こそふさふさしていたハタキも、ひと月の間にストッキングはくるくると縮こまって、ちょろりんと垂れ下がった様はもう貧相で滑稽で、もうどう表現すればいいのか……。
 いまだに私はどう先生の前に進み出て"ちょろりん”を受け取ったのか覚えていない。
二つ目は、哀れなパンツの話。
 やはり小学生のとき。修学旅行先の京都で私はとんでもない目にあった。なんと私のパンツが公衆の面前にさらされることになったのだ。事の起こりは前日の夜の入浴時にはじまる。
 保護者には事前に事細やかに注意事項を記したプリントが渡される。その中には持ち物すべてに名前を書くよう指示されていた。母は私の持ち物一つ一つにしかっとフルネームで名を書いた。それが、いけなかった。おまけに、母からの入浴時の指示がこの悲惨な結果を招いてしまった。出発前に、私は大きなビニール袋を二つ渡された。一つは汚れた下着入れ、もう一つは濡れタオルなどを入れろとのこと。またその大きさときたら、ちょうど指定ゴミ袋ほどある。たくさんの人でごった返す脱衣場、厳しい時間制約の中できっと私はすごく慌てていたのだろう。こともあろうに汚れたパンツ一枚が入った大袋を私は脱衣場の棚に置き忘れてしまった。
 翌朝、観光バスの前に整列した私たちの前で、先生が大きなビニール袋を掲げた。
 さすがにすぐ気が付いた私は、まあ、後で先生が私にこそっと渡してくれるだろうと思ったのだが甘かった。先生はパンツに書かれた名を大声で読み上げた。どよめくような笑いの中、それでも私は前に進み出てそれを受けとらざるを得なかった。
 忘れた私が悪い。だけど、もしも、あのとき洗濯物入れが一つの袋だったたら……。もしも、パンツに名前がなかったら、私はこれほどまでの恥ずかしい思いをせずに済んだのに、と今も思う。
 


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