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ネズミの救出

  雨が降りそうだ。私は軒下の洗濯物を取り込もうと庭に出ようとして、はっとした。犬走りに植木の水やりのためふろの残り水を溜めている桶でネズミが必死でもがいていた。
 それがネズミだと認識するのに少し時間がかかった。ぼんやりしていると見逃してしまいそうなほど静かなのだが、確かにそこだけ静けさにさざ波が立っていた。
 小さく口をあけたネズミは苦しそうに体を揺らしていた。
「どうぞ、助けてください」 そう懇願する一途なネズミの目がまっすぐ私を見つめている。
 私は水やりの柄杓をそっと溜水のなかに差し入れた。柄杓はネズミを包み込むようにしながらネズミを掬いあげた。玉砂利の上にそっと置くと、濡れネズミは一瞬キョトンとした顔をして、それから慌てて長いシッポを柔らかく器用に動かして植込みのなかへと消えた。
 まだほんの小さな、子ネズミだった。
 ふと、私は志賀直哉の「城の崎にて」のあの瀕死の鼠のシーンを思い浮かべた。
 作中の蜂の死、瀕死の鼠(おそらくはいずれ訪れるであろう死)、イモリの死、という三つの“死”に提示されたことは、私たちが生きるうえで誰もが経験する避けられないことだ。
 文中の、“生き物の淋しさを感じた”という一文が心に沁みた。
 この猛暑で、私は一日に一度はかき氷を食べる。あの昭和家電、2ドアの冷蔵庫の冷凍室の製氷皿からせっせっと氷を取り出して、ギャグアニメ「トムとジェリー」のかき氷機を手でまわして。一回転するたびに、ネズミのジェリーの目がキョロキョロ左右に動く。
 息子が小さい頃、買い物に行って買ったものだ。そんなに彼が、「トムとジェリー」のアニメが好きだったとの記憶がないから、ただ何となく「ほしい」といったのだろうが、これがなかなか受けた。すごく忙しいときでもお構いなく、「かき氷、つくって」というので多少めんどうくさいこともあったが、確かに、ネズミの目の動きは可愛らしい。
 そんな彼も独り立ちをして、仕事の合間にボランティア活動、登山、沢登り、ロッククライミング、遭難者が出るたび捜索と、活躍の場を広げていった。特に、山での遭難においてそれを未然に防ぐために出来得ることが多々あるのだと熱く語る。
 なにごとも侮ってはいけない。どんな小さなことでも、いつも誠心誠意全力で向き合うことを私は息子に教えてきた。そして、自分の持てる力すべてで人生を歩き、切り開き、「置かれた場所で自分なりの花を咲かせる」よう、私は息子に教えた。私はそれを、ノートルダム清心、シスター渡辺から教わった。
 子ネズミの小さな黒い目がまるちゃんと同じに見えた。


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