プロローグ感想⑩【サザンカ~春よ、来い】

「いつか終わる夢」ですっかり魂が抜かれたようになってしまった私に、トドメを刺すような音楽が流れてきました。

SEKAI NO OWARIの「サザンカ」です。

NHK平昌五輪のテーマ曲になっていた曲。
ボーカルの優しい歌声が聴こえてきてすぐに、「あ、そろそろやばそう」
と私は思いました。

何がやばいかというと、目頭が熱くなってきて、心のダムがあふれ出しそうな状態になっていることをはっきりと自覚したからです。

歌詞に合わせて、困難と戦う羽生選手の姿が映し出されます。

いくつものジャンプ転倒シーン。
怪我の映像。
中国杯での事故。

運命の神様は、次々と羽生選手へ試練を投げ掛ける。

でも、「跳ぶ!」と叫んで羽生選手は真っ向から立ち向かっていく。

何度も何度も、逆境に負けまいと前を向く。

私は平昌五輪からの羽生選手しか知らないけれど、それなりに彼をずっと応援してきて、ファンとして喜びも悲しみも共に感じながら応援してきた日々を思い出して、胸の奥がジーンとしていました。

既にあちこちから、鼻をすするような音、嗚咽が漏れるような音が聞こえてきていました。
あの会場にいる全員で、今までのファンとしての道のりを思い出していたんだと思います。

そんな中、羽生選手本人の語りかけるような声が流れました。

「たとえ報われない努力だったとしても

僕の歩んできた道のりが、無駄だったとしても。

僕なんかのスケートを見てくださって、

幸せを感じてくださったのなら、

これ以上ないくらい、報われています。

僕は、幸せです」


もうここで私の心のダムは決壊です。
涙が溢れて溢れて、止まりませんでした。


ファンが常々思っていることは、羽生選手が幸せになってほしいということです。
そんな私たちの思いを知っていてくれて、
だから、ここで自分の声で言ってくれたのかなと思いました。

優しい人ですね。
ここまでファンのことを考えていてくれてたなんて。

ちゃんと、伝わる形で。
分かりやすく言葉にしてくれた。

「報われています。幸せです」とはっきり言ってくれたことによって、
これまでずっと応援してきたこちら側が、報われた気持ちになれました。


映像は続きます。
9歳の頃の羽生選手と、都築先生のシーンを挟みながら、
北京で4Aに挑んだ時の連続写真が流れます。

都築先生が土台を作った、正しく美しい4A。
羽生選手のプライドが詰まったジャンプ。

なんて美しいんだろう。
離氷の瞬間から、美しいです。

北京までの道のり、たくさんと喜びと苦しみ、
羽生選手の努力の結晶が美しく輝いたような4A。

その写真は、途中で終わっていました。

この続きが、4Aが完成する夢が今後見られるかどうか分からないけれど、
また挑戦するのであれば心から応援したい。

サザンカにこんな歌詞があります。

「いつだって物語の主人公が立ち上がる限り物語は続くんだ」

羽生選手が諦めない限り、4Aへの夢はこれからも続いていくんだと思うし、私も最後まで見届けたい。必ず。


北京五輪の「天と地と」の終わりで両手を天に突きあげている羽生選手の後ろに、
同じポーズをした「9歳の自分」が背中合わせで映っている画で、映像は終わりました。

会場にいらした都築先生は、この一連の映像をご覧になってどんなことを感じたのでしょうか。
ふとそんなことを思いました。


聴きなじみのあるピアノのイントロが流れ、「春よ、来い」が始まりました。

北京五輪のEXで演じられたプログラム。

このプログラムには、全てを浄化、昇華してくれるような力がある気がします。

プロジェクションマッピングでより明確な世界観が示された「春よ、来い」は、会場全体を春の息吹で暖め、癒してくれるようでした。
羽生選手の滑りによってリンクの上で桜の花が咲き乱れ、薄桃色の光に満たされ、希望が生まれてくる。

寒い冬を越えて訪れる春。
春とは生命の息吹を感じる季節。
新生活が始まる時期でもある。
その中で一気に咲き、一瞬で散っていく桜の花。

そんな桜の様子に喜びと切ない気持ちを重ねて愛でるという日本人ならではの感覚を持ち合わせているからこそ、この「春よ、来い」の風情をDNAレベルで感じ取ることができる。

日本人で良かった、と思わせてくれるプログラムです。

会場全体で共有する、幸せな時間。
幸せに浸れる時間は短くて儚くて、本当にあっという間に終わってしまいます。


滑り終えた羽生選手がステージを去っても、拍手の音が鳴り止みませんでした。

「素晴らしい時間をありがとう!羽生選手!」と声に出せれば良かったけれど、
それは叶わないので、代わりにひたすら拍手をしていました。
自然と拍手は、アンコールの拍手に変わっていきました。


この日は初日。
次に何が起こるのが、誰も分かってない状態です。

だからこそ、単なる予定調和ではなく、
「もっと見たい。まだ終わらないで。もう一度、姿を見せてほしい」という本当に心のこもったアンコールの拍手が自然に起こったのではないかと私は思っています。



続きます。

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