鬱作品が好きな自分の精神状態とは??

私は多岐にわたるエンタメ作品のジャンルの中で、特に鬱作品と呼ばれるものが好きだ。

最近は「serial experiments lain」というアニメ作品が好きで、同シリーズのゲームを攻略中だ。その他にも、まあまあの数の鬱作品に触れてきて、これからもまだ知らない鬱作品に出会っていきたいと思ってるから、本当にこのジャンルが好きなんだと思う。

しかし、このジャンルには決定的な欠点があると思う。それは、楽しさを共有出来る、つまり私と同じように鬱作品が好きな人と出会うことが、かなり難しいというところだ。だって、普通に考えて、鬱作品が好きですなんて公言するやつ、痛いし、サブカルが好きな中学生みたいだ。例え鬱作品が好きなやつでも、おっぴろげにその事を言うようなら、ちょっと近寄ることはできないかな。

でも鬱作品って本当に楽しい。悲しくなることとか、悲しくなりすぎて天元突破したようなキャラを観察することとか、倫理的に考えもしないアウトローなことを発展しまくって、あれ一理あるかもな?みたいな論理を展開するキャラとか。
最高だよ。でも一般受けがいいなんて、さすがに思わない。そんな作品群じゃない。でもいいんよなー、こういうの。みんな、一緒に語ろうよ。

そんな孤独に鬱作品を楽しむ私だが、たまーに思うことがある。鬱作品が好きってどういう感情?ってこと。普通に考えて、悲しくなるような作品なんて、好き好んでやるの変じゃない?楽しんでる自分自身でも思う。多くの鬱作品は、キャラクターが多数死んじゃうし、死なないまでも精神崩壊なんてザラにある。そんなのに触れて、どうやって楽しいって思うの?楽しいとは思ってないのかもしれないが、interestingな意味で面白いと思ってるのは、間違いない。

それでも、人が壊れていく様を好んでみるのは、やっぱり、活字にして、いつでも納得出来る理由を記すのは、難しいんじゃないか?

鬱作品を楽しめるのは、それらが架空のものであって、鼻からファンタジーのように、真に受けずに触れてるからなんじゃないか、と思ってみたが、私は史実に基づく戦争映画も好きだ。戦争映画は、お涙頂戴作品以外は、基本鬱作品だし、最も現実性が高く、身近な作品だと思う。そんな戦争映画が好きなら、やっぱり、架空なものだから楽しめるってのも説得力がない。ちなみに、私が一番好きな戦争映画は、2014年版の「野火」です。

なんだろう、結局。自分は、醜い人間が好きなのかも。エグ味みたいな部分が好きなのかも。人には本性があるって思ってるのかも。

具体的に作品を取り上げて、考察してみよう。「serial experiments lain」は何が好きなのか。私は、アニメから入ったタチだが、ゲームの方が好きだ。それは、ゲームのが圧倒的に陰鬱としてるし、狂気的だからだ。アニメは、ゲームと同じように陰鬱としてるけれど、別に狂気的って感じでもない。いや、多分充分狂気的なんだけど、アニメは人間らしさとか、通常の倫理観というのが、終始一応はあるからなのかも。ゲームの方は、最初から最後まで、人間らしさも倫理観も、とてもあるような感じじゃない。それとゲームの方は、驚くほど理屈っぽく、それでいて、その理屈や元になる論理が理解しやすい。わかりやすい庵野作品のようだ。アニメの方も、雰囲気掴めるんだけど、理解までは行かない感じ。

狂気的で、理屈や論理が好きなのかも。自分が考えもしないような、理屈や論理を、さも当たり前かのように話してくるのが好きなのかも。

やっぱlainっていい作品だなあ。
結局、このnoteの主題の答えなんて見いだせてないけど、別に誰かに理解してもらいたいわけじゃない所詮独り言なんだから、別にいっか。


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