探し物
よるです。こんばんは。
母に怒られた記憶が強烈だった。小さい頃お漏らしをして、母に怒られて泣いている。凄く惨めで恥ずかしい。
今日ある人にそのことを話していてふと、気づいた。母は本当に怒っていたのだろうか?よくよくその情景を思い浮かべてみると、怒った顔も言葉も覚えていない。ビンタされたりしたわけでもない。ただ鮮明なのは強烈なエネルギー感だけだ。
父の両親と同居していた母。子育ての意見が合わないと感じていたと、大人になってから聞いた。
末っ子で年のはなれた姉兄と育った母。子供が好きではないと溢していたこともあった。
それなのに、4人の子供を育てることになった。しかも、父は泊まり込みなどもある仕事であまり家にはいない。
そんな母の背景が繋がったときに浮かび上がってきたのは、怒りではなかった。私という存在を責めて否定するようなエネルギーでは決してなかった。
こうしたいと思ってもなかなか自分の意見を言いにくい環境からストレス。愛したいのに余裕がない自分への苛立ち。正解のない、戸惑うことの連続で感情のコントロールも難しかったはず。
だから、きっと、そんないろんな感情が、些細なきっかけでとめどなく溢れたんだ。私はそれに共鳴して泣いてた。ただただ、泣くしかなかった。いつしか母と私の境界線はなくなり、エネルギーに溶けてしまった。
寂しさも悔しさも苛立ちも怒りもそこにあった。私がみないフリしてたの。ずっと探してたのにね。
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