僕が求める人を言語化したい

 人は多かれ少なかれ選民している。この人は好き、この人は嫌いと考えて、距離を保ったり遠ざけたりする。僕の中にも選民意識があって、人に対して好き嫌いをつけている。この人は好きだからもう少し話してみたい、この人は嫌いだからなるべく適当に話して流したい。でも、人に好き嫌いをつけるからにはそれなりの理由を用意するのが道徳的なんじゃないだろうか。ただ嫌われている、理由は分からない、というのは不愉快だ。生理的に嫌いと別に言われたことはないけど、言われたことを想像するとまぁストレスになりそうだ。頑張って日頃の会話を思い返して、人に迷惑をかけたのをいいんじゃね? て言った時に不愉快そうに聞いていたな、とか推測する。
 人に好き嫌いをつける理由を言語化しようと思う。嫌いな人を嫌いという根拠を得たいのかもしれないし、自分のことをもっとよく知りたいのかもしれないし、人について考えるのが楽しいのかもしれない。僕が求める人、について考えることは多々ある。人と関わることが嫌になったときとか、寂しいときとかに考える。けど断片的に考えたものばかりで、一つにまとめたことはない気がする。本当に分かっているのか自分を試すつもりで、まとめて言葉にしてみたいと思う。

 キャラが立っていること、能力が高いこと、博愛心を持っていること。2つ満たしていれば素晴らしい人間だと思う。あとできればでいいけど聞き上手であってほしい。
 これだと思っている。僕の思考の記憶をたどって、このセットだと最近決めたような記憶があるのでこれだと思う。キャラが立っている、というのが相当抽象的な項目なんだけど、それも噛み砕いて誰でも同様に理解できるように言語化したい。
 後で詳しく話すが、キャラが立っているとは、性格が面白いということだ。冷たいけど話しかけたら話聞いてくれるとか、無口なのにおはようとばいばいは絶対言うとか、パワフルで明るいとか、自分のしたいことに人を巻き込むとか。性格が良いのではなくて面白い。
 能力が高いことも人間としての魅力だし、博愛心も性格だし、聞き上手も性格で、キャラが立っていると重なっている。けどキャラが立っている中でも特に価値が高い部分なので等価に並べたい。簡単に言うと、能力が高いのはピアノが上手とか話が面白いとか。博愛心は人を嫌ってもいいから嫌いな人にも優しさを忘れないでほしいこと。聞き上手は聞き上手を意味する。気をつけてはいるが、それぞれの項目で重複して話す部分もあるかもしれない。抽象的な話題なのである程度自己解釈で補ってほしい。

 能力が高いことについて考える。キャラ立ちは考えるの面倒くさそうだから最後にしようと思う。
 ピアノが上手とか、話が面白いとか、知名度があるとか。みんなが興味ある分野で能力が高くて人に勝っている、というのが分かりやすく魅力的だと思う。ピアノに興味ある人からしたら、コンクール優勝者の人が近くにいたら絶対仲良くなりたい。
 京大出身とか本当にパンくずみたいなオーラしか出ない。勉強なんてみんな興味ないし、大学入った後に人と勝敗競うことないし、学歴競うこともないし魅力に繋がらない。京大入ったメリットは、初対面の人に京大ですドヤっ、て5秒間ドヤれることだけだと思う。無駄に苦労したから無駄な京大プライド持ってしまったけど本当に捨てたい。もしかしたら社会人になってから、親世代の人から信用得やすいみたいなメリットが生まれるかもしれない。少し期待。
 脱線した。話を戻す。みんなが興味ある分野で、というのがさりげなく肝な気がする。東方シューティングが上手でも別に凄いとも思わない。僕は野球に興味ないから、甲子園優勝校の人がいたとしても凄いと思わないかもしれない。もしかしたら僕以外の人が、凄い凄いともてはやしたら社会的証明のせいで凄いと思って仲良くなりたいと思うかもしれない。だから、みんなが興味ある分野で能力が高いことが人の魅力として強い。
 他の人に勝っている、というのもかっこいい。野球を必死に頑張っている人がたくさんいる中で頭一つ抜けている。必死に頑張る人の上に立つ人というのはどうしようもなくかっこいい。知名度がつけばもう完璧。男女関係ない。どんなに普通の人間であっても能力が高いというだけで高尚な考えを持っているように見える。イケメン、美人が持つ雰囲気に似るかもしれない。普通にしているだけなのに高尚なものに見える。ずるい。
 能力を高くするのはコスパ悪いと思う。必死に頑張る人の上に立つのは、時間が非常にかかるしエネルギーも必要だ。偶然好きだったことがギター、絵描きだった人が羨ましいと思うことがある。好きだったことがゲームの人よりよっぽど人を魅了して生きてきたんじゃないかと想像する。
 言い忘れていたが、仕事ができるというのも能力の高さだ。問題解決能力の高さかな。コンパの準備どうしたらいいか分からないとなった時に、中心に立って指示を飛ばして場を整える人がいる。仕事ができる人はかっこいいなぁと思う。頭の回転速い人、経験が豊富な人はどうにもかっこいい。
 コスパは悪いのかもしれないけど、そこまで上手じゃなくても人より勝っているわけでなくても知名度がなくても、身近な人で能力が高い人がいればやっぱりかっこいいと思うし魅力に思う。

 博愛心について詳しく考えたい。最初に断っておきたいが、ただ優しい人は好きじゃない。そうじゃない。ただ優しい人は人に嫌われることが怖くて自分を引っ込めているだけに見える。人に優しくするのが好きな人はいると思うけど、そうなのかなと思った人の90%は自分を引っ込めているだけだと勝手に思っている。腹の中では業を煮やしているんじゃないかなあ。根拠は特にないけど自然にそう考えてしまう。人をありのまま受け入れて好きも嫌いも持たない、みたいな人はそれなりにいる気がする。たぶん。そういう人は博愛心があると言ってもいいのかもしれない。
 人を嫌いになることと博愛心を持つことは矛盾しない。こいつ嫌いと思っていても、性格のいい面があれば褒めるし、本当に凄いと思ったらかっこいいと思うし、場所を譲ってくれたらありがとうと感謝する。
 博愛心は、安心させること、褒めること、認めること、聞くこと、教えること、手伝うこと。嫌いな人、自分より劣っていて足手まといに感じる人、会うこともない人、にも同様に与えてあげることだろうか。道端に落ちているごみを端によける、人の自慢話を褒める、困っている人にお金を貸す、腹立たしい人が裏でストレスを抱えているのかもと想像する、足手まといの仲間をお互いさまと助ける、自分の時間を使って人に教えることを楽しむ、一人で困っている人に勇気を出して声をかける、凄いと思う所を凄いと伝える。
 嫌いな人、自分より劣っていて足手まといに感じる人、会うこともない人、というのは全部自分だ。誰かから見た自分だ。みんなに優しくしてほしいから僕もみんなも博愛心を持っていてほしいと願う。酷くされるのは辛い。

 聞き上手を説明するのって難しいかもしれない。聞き上手というのは別に人の話をうんうん聞く人ではないと思うし、右から左なら最悪だ。
 個人的に聞き上手かどうかを一発で見分けられる方法がある。この場でチェックできるというわけではないけど、この習慣があるかどうかで判断できると思う。人と話すときに、以前話した内容を掘り返して話を広げられるかどうか。そういえば前こんなこと言ってたよね、そこから変わったんだ? 言えない人それなりにいるんじゃないかと思う。笑える話なら覚えているけど日常的な話は覚えていない、という人も良くない。
 僕が聞いてほしいと思うことを挙げたい。と思ったけど特に条件はないことに気づいた。日常的なこと、苦労していること、達成したこと、自慢話、愚痴、感動したこと、なんでもいい。笑える話にしか興味ないんだ、と虚しくならないようばらばらに断片的に覚えてくれていると嬉しい。誕生日とか口癖とか考え方とか、話と直接関係ない部分を知ってくれているのも嬉しい。僕は人の口癖とか口調とか全然覚えていないことを今自覚した。人のモノマネとかできない。時々、人のモノマネをする視点で人と話したい。
 話すと聞くの黄金比率は 3:7 という話を聞いたことがある。そこまで聞く必要あるか? と思う。話したい人、聞きたい人に明確に分かれているのだから、どちらにも 3:7 を求めるのはおかしいだろう。10:0、0:10 の人がそこそこいるのが良くないんだ。3:7、7:3 の間くらいがちょうどいいんじゃないかと適当に考える。
 大切な要素を一つ忘れていた。聞き上手に求めるものとして、自分の価値観で人の話を聞かないことがある。凄い明るい友達がいてその友達に最近大学辛くてという話をしたところ、でもなんだかんだ元気そうで良かったよ、と友達に言われたことがある。その時の僕は不幸のどん底のつもりで鬱々と、大学に破壊されつつある生活のことを話していた。だから僕は、大変だね、可哀そうだね、そんなことあるんだ、と不幸に共感してほしかった。友達は明るい話にしたかったのかなと思うけど、できれば暗い雰囲気でしばらく話を聞いてほしかったなと思った。これを人に求めるのさすがに酷な気がしてきた。僕自身できる気がしない。
 他の例だと、自分の価値観で決めつけて話を進めるタイプもいる。自分の価値観を変えよう広げようとしないで話をするタイプというか。ゲームをするのは時間の無駄だとか、ガールズバーに行くのは人生諦めているとか、カラオケ行っても楽しいわけがないとか。植物園で本読んでる大学生かっこよくない? 僕もしてみたいなと言うと、本気で言ってる? ださいからやめたほうがいいよ、本気じゃないよねと言われたことがある。これは聞き上手の範疇なのかな。なんか単純に性格の話な気もする。
 聞き上手を言語化するの難しい。相手の話をうんうん聞いて覚えてあげてほしい。興味があっても覚えられないという人もいると思うから、ただ聞いてあげるだけでもいい。そして適当に感想言ってあげてほしい。ただ正直、聞き上手かどうかは相当大事だけどそこまで人に求める要素ではない気がしている。聞き上手はマイナスじゃないだけで大きなプラスになり得ない。他の項目の方がよっぽど人の魅力に関わる。

 キャラが立っているについて話そうと思う。キャラが立っていると言えばなんとなく理解できるんじゃないだろうか。性格がいいのとは違って性格が悪くてもいい。人を惹きつける面白さを宿している。かっこいいとか可愛いとか。
 キャラが立っていると言える面白さをずらずら羅列する。
 明るい面:明るい感情がよく出る、明るく好意的、パワフルでフッ軽、笑える、必死で熱い、予想できないあほ、おしゃれ、自信満々でかっこいい、可愛い、羨ましい価値観を持っている、変わろうと努力をしている、知識人、
 暗い面:暗い感情がよく出る、怖い、自分の意見をぶつける、静か、哲学的、人を不快にさせる、人間臭い腹黒さ、
 頑張って羅列した。明るい面と暗い面に分けた。人間はギャップあるほうが10倍魅力的なので、明るい面:暗い面を半々くらいで持っているとよい。魅力があれば不思議と明るい面も暗い面も魅力的に見えてくる。明るい面:暗い面が 3:7、9:1 くらいの偏りからギャップ効果が無くなる印象。本当に直感。
 キャラ立ちについては十人十色で、人それぞれ自分に合ったものがあると思う。自分の魅力的な部分はどこだろうと考えてそれを自分で見つけてほしい。僕は自分では分からないので自分の魅力的な部分を人に教えてほしい。それを磨きたいと思う。
 特に言いたいことがあって、自分の暗い部分を表に出してほしいと言いたい。個人的に、ミステリアスで魅力的な人間というのを見たことがないので自分を隠すメリットはないと思う。前述したように人を嫌いであることと博愛心を持つこととは矛盾しないと考えている。自分の大切な部分を表に出す必要はないが、暗い部分は表に出した方が面白い人間なんじゃないかと思う。
 あと、ギャップが無くても魅力的な人は多いが選ばれし者だと思う。本当に心からまっすぐ善、悪に向かっている人で常識を飛び越えないと魅力的になれないと思う。もしくは突出した高い能力を持ってイケメン美人効果を得ているか。
 キャラが立っていると言える要素を多く挙げるの無理な気がするのでここに挙げたのはほんの一部だと思うし、具体性に欠ける要素もある。可愛いという言葉で可愛いを説明できるはずがないし。一つ一つ説明するの不可能なので抜粋して説明する。
 羨ましい価値観を持っている、というのはなかなか魅力的だと思う。ギターが好き、絵を描くのが好き、というのも含まれる。個人的には、食べるのが好きで食べ歩く人というのも羨ましい。旅行が好きで月1でアウトドアするというのも羨ましい。他だと、人と話すのが好きとか、人のいい面ばかり目に入るとか。
 哲学的、というのはこういう文章を書く人のことだろう。深々と物事を掘り下げて、人が考えないようなことを言語化する人は魅力的だ。ただやっていることが暗いのでマイナス要素であると思う。明るい面があって初めて魅力的に映る要素だ。
 人を不快にさせる、というのは曖昧な要素だと我ながら思う。無視しがち、揚げ足取り、煽りが上手、仕事を押し付ける、わがまま、短気、いろいろ。多くの要素があるのに、人を不快にさせると一言でまとめたのは、大量にあるからと魅力として他と比べて弱いからだろうか。煽りが上手な人は凄く魅力的な印象がある。人を不快にさせると言っても、どう不快にさせるかで魅力が変わる。
 一応これで言語化したということにする。きっとできている。

 キャラが立っていること、能力が高いこと、博愛心を持っていること。2つ満たしていれば素晴らしい人間だと思う。あとできればでいいけど聞き上手であってほしい。
 自分の考えを吐き出せただろうか。全部がプラスの人じゃなくていい。マイナスをプラスが上回っている人がいい。それにマイナスが3,4割あるほうがギャップがあってより魅力的だ。というかプラスを生み出すのが相当難しいのか。マイナスを消すくらいならそんなに難しくない。
 ここまで語ってきたのは全部理想だ。現実離れした理想かもしれない。でも、理想的な人に出会いたいから、僕自身も理想的な人になれるように気をつけたい。僕は理想的な人を求めるし、自分自身そうなれたらと思うし、そう思うことが楽しい。
 僕は、時々サイコパスと言われるくらいには酷い人間らしい。自分で自分をサイコパスだと思ったことはないし、なぜそう言われるのか判然としない。僕の価値観として、嫌なことがあれば嫌だと言いたいし、嫌いな作品には嫌いだと言いたいし、嫌いな人間だと思えば嫌いとできれば言いたい。陰口も言いたい。否定的な言葉を使う頻度が他の人より多いのが原因なのかなとぼんやり思っている。
 正直、全員に好かれる人なんていないからどうでもいいやくらいに考えている。人として否定されることがあっても、根拠を考えてもよく分からないから改善のしようもなくて気にするだけ疲れると考える。自分のだめな部分があるなら教えてほしいし改善したい。自分だけでは自分のことは全部見えないからなるべく人の意見が欲しい。そろそろ20代後半に差し掛かっているがまだ自分の考え方を変えられる人間でいるつもりだ。
 完成した魅力的な人同士でも相性次第で嫌いになることは必ずあるし、あってほしいと思うけど、その嫌いは納得のできる嫌いだ。生理的な嫌いではない。そういう嫌いが欲しい。
 最後に文句を言いたい。大学生くらいから自分の考え方が完成しきって容易に考え方を変えられなくなってくるらしい。そんな印象がある。それで本当にいいのか? と思う。一部の人は人に内面的な魅力をそこまで求めないから、自分の内面にもそこまで興味がないっぽい。それで本当にいいのか? と思う。僕はみんなに魅力的な人になってほしいし、魅力的な人にあふれたらみんな幸せなんじゃないの? と思う。僕が嫌いな人に嫌いだと言うのは、その人に変わってほしいという気持ちがあるからだと思う。ストレスにしたくないという気持ちが発端だけど。でも人が変わることは滅多にないらしい。自分を変えるのはエネルギーが必要なのかもしれないし今の自分をそれなりに気に入っているのかもしれない。本当にそれでいいのか? と思う。

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