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新型肺炎戦争最大の戦犯・第二話

 第二話 言われなき戦犯への道

 椅子を蹴って立ち上がった祖父は、私の向かい側のソファにゆっくりとその身体を沈めた。

「苦労しているようだな」

 そう告げた祖父の声は何処となく死んだ父の声に似ていた。
 私より若い見た目もあって、眼の前の祖父とは思いのほか本音で向き合えた。

「もう何もかも無茶苦茶でこれからどうすればいいのか分からない。
 正直院長と言う立場も医者と言う立場さえも、出来ることなら投げ出してしまいたい気分なんだ」

 無言を返事にした祖父は顎を後ろに向けてしゃくるようにした。
 すると忽ちのうちに応接室が一転、ジャングルの中に変わった。

「びっくりしたか。
 しかし心配するな唯の立体映像だ。
 これは私が海軍軍医大尉だったとき着任したセラム島のカイラト地区の風景なんだが、お前にしたら初めて聴く地名だろう。
 インドネシアモルッカ群島の小さな島なんだが、今の時代ではサイパンやグアムのようにリゾート地として有名な場所ではない。
 そこにジャワ島から原住民三千人、ボルネオからダイヤ族百人、さらに周辺の島からも数百人集めて、新たに航空基地の築城を始めた。
 敗戦の一途を辿る、日本海軍が戦勢を整える為のものだが、何の役にも立たず敗戦を迎えた」

 祖父の解説と共に辺りに展開する風景はどんどん移っていった。
 爆撃機による米軍の空爆によって、日本兵だけでなく駆り集めた現地の労働者の中にも死傷者が出ている様子も映し出された。

 そして恐らく何かの感染症だろう。

 雨季の寒さに震え、使役によるものだろう過労と衰弱で肺炎を伴い、バタバタと数多の原住民労働者が倒れて行く様子も。
 気が付くと私はそう祖父に問うていた。

「何の感染症?」

 祖父は私を一瞥し淡々と応じた。

「細菌性の赤痢だ。
 治療しようにも赤痢薬のトリアノンや、下痢止めのアヘンチンキとクレオソートは数日で底を尽いていた」

 やがて祖父が労働者環境を見廻っている映像が映し出された。
 そして海岸の河口付近に、小規模な宿舎を造営する様子へと。

「こんな小さな宿舎であれだけの人数の患者を隔離し切れたの?」

 私の言葉に祖父は苦笑混じりに応じた。

「無理に決まっているだろう。
 薬もなく、患者は高熱を出して次々に死んでいった。
 情けないことだが私にはどうすることも出来なかった。
 出来たことと言えば・・・・・」

         ‐7‐

 口籠る祖父に替わって、映像の方はどんどんと移行していく。

 映像では肺炎で運び込まれた原住民労働者の手首と足首に縄で縛ったような皮下出血班を発見した祖父が、陸軍の司令部に行ってリンチまがいの行為を禁ずべく談判している様子が映し出された。
 ところがそんな祖父の善処も赤痢発症の抑止には繋がらず、感染はどんどん拡がっていく。
 それもその筈で穴を掘って造っただけの便所は、板が二枚さしかけてあるだけの不衛生極まりないものだったのだ。
 そんなことでは、簡単に赤痢を経口感染させてしまう。

 そうした私の予測通り、感染した患者が次々に赤痢を発症し、死んでいく様子が映し出され、やがて眼の前の祖父が言葉を繋いだ。

「我々人類は感染症に対して脆弱に過ぎる。 
 それは七十五年前も今も同じだ。
 日本は戦争放棄したと言うのに今は再び戦時下のような有り様だ。
 しかしあの戦争の有った時代は今よりもずっと酷かった。
 知っての通り程なく終戦を迎えるのだが、あの頃の私は患者の命を救うどころか自身の命さえ危うかった」

 眼の前の祖父がそう言い終えるとセラム島から連合軍の収容所のあるホアマル半島まで、映像の中の祖父が大発と呼ばれる小型の上陸用舟艇に乗って桟橋を離れる様子が映し出された。
 同時に敗戦した日本の軍医である祖父を襲撃しようとして、原住民が一箇所に集まる様子も。
 何とか難を逃れ出帆した祖父は、その道中で軍刀と短銃を海の中に投げ入れるが、軍医携帯嚢だけは、たすき掛けしたままになっていた。
 その後映像の中の祖父が収容所で重労働に喘ぐ姿や、軍事裁判に掛けられる様子が映し出された直後、眼の前の祖父が私に問うた。

「お前は使役の原住民が赤痢で死んだのは私のせいだと思うか?」

 私は眼の前の祖父に即応した。

「馬鹿な、それは祖父ちゃんのせいじゃない。 
 薬もない、医療機器もない、そんな状態じゃ医者は何も出来ない。
 そもそも感染症と言うのは・・・・・」

 私の二の句を遮ったのは眼の前の祖父の言葉だった。

「オランダ軍の私に対して下した判決は終身刑だった。
 つまり使役の原住民に多数の病没者を出したのは、日本軍の軍医だった私のせいと言う訳だ」

 そう吐き捨てるように言った直後眦を決した眼の前の祖父は白衣の襟を正し、続けて私に胸を熱くする言葉を投げ掛けた。

「それでも私は死ぬまで医者を辞めなかった」

 言い終えた眼の前の祖父の双眸は、私でも、また辺りに展開する映像でもなく、何処か違う遠い場所を見ているようだった。

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