月記「しがらみ」

 しがらみを増して感じる月だった。蜘蛛の横糸が絡まったみたいにべたべたして、捕らわれた虫の気持ちを想像したりした。前々からの友人の誘いを断ることもあったし、仕事も休んだし、青空を仰いだ記憶もない。空はいつも暮れていた。そんなふうにしがらみを見た。

 水流をせき止めるため、川の中に杭を打ち並べ、それに木の枝や竹を結び付けたものを柵(しがらみ)という。ともすれば水の側に立ちたくなる不思議があり、気ままに流れてはいられない心持ちはどれほどだろう、濁流であれ、低きに流れるであれ、水の成すことなのに。月の終わりくらいまではそう思っていた。
 水への親しみ深さについては色々あるが、実際のところ、それだけで月日を過ごしてはいない。ひるがえって人の側に立てば、柵(しがらみ)は土が崩れるのを防ぐためにも使われる。広い役割を思わずにはいられなかった。生活を守る知恵の一面を知りながら、しかし水も土もとなれば邪魔ものにも感じられるのだろうし、引け目も起きるだろう。わたしはためらって、結局全部を嫌いにはなれなかった。

 水の都合と人の都合とのあいだで、じっとエネルギーを受け止めているしがらみ。それを見つめる月になったともいえる。蜘蛛の横糸のイメージはなくなっていた。虫の気持ちもない。水は流れるし、人は守るけれど、しがらみのそばに立ってためらう心にはなぜか、強く惹かれている。

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