カンボジアの文化的自殺について

 カンボジアでの数々の体験は今も私の中でぐつぐつと沸騰しています。この熱っぽさの中で私が書きたいもの、私に書くことができるかもしれないものは一体なんなのか。悩みながらではありますが、集合的記憶と文化についての所感を書きたいと思います。

 キリングフィールドは記憶の保持と再生を目論むひとつの社会的な装置です。特筆すべきはその射程で、自国民にとどまらず、人類を対象にしていることは大変に意義のあることだと思います。ただ、この立派な装置を起動するためにはそこに訪れる個人、つまり「私」という鍵が最後に必要になります。キリングフィールドは、「私」という重要な生きた鍵に向かってどれほど開かれた場になっているのか。気になるところではありますが私の観察は少なすぎました。多国語の音声ガイド、語りの工夫、それ以外に気付けたものがありません。
 しかしながら、開かれていると言って良いと思います。少なくとも私にとっては、数々の手がかりをもとに保存された記憶を開き、色や匂いや感触を心の内側であざやかに再生するには十分すぎるほどでした。かつて皮膚を引き裂いた鋭利な樹皮は、押しつける私の腕を同じように傷つけました。途端に肌は全身が汗でべたついていることを私に知らせ、冷え切った心臓とは裏腹に太陽をいやに熱く感じさせるのです。発電機の音と労働歌をどこか遠くに幻聴し、言いようのない夜が――私は横たわっているせいで――視界の横からやってきます。そうか。ああ。私は、もう帰れない。割れた頭蓋骨をなめるように見回すと側頭部に重い金属の衝撃が走りました。千切れた衣服の千切れ方は私の身体を複雑によじらせ、関節部に泥を付着させました。樹にくくりつけられたたくさんのアクセサリー。それはまるで何かを守るために張り巡らされた結界のようです。ひとつひとつがつながり、重なって、鎮魂の祈りを形成しています。深い哀悼の気持ちが込み上げ知らず涙がこぼれました。すぐそばで私は強烈な死の印象に何かが隠されてしまわぬよう心を強くして必死に立ち向かいました。時に「語り」の助けを借りながら。
 集合的記憶とはなにか。私の言葉で言えば、絶えざる死者と生者の交流、対話、融合です。死者の手がかりと、死者に語らせるという暴力的でさえある生者からの働きかけなくして成立することはきっとありません。たくましい想像力をもって、死者とともに今この瞬間に無い景色を自分の内側に能動的に立ち上げ、共視しようという「私」がどうしても必要なのです。それを言いたいがために一部混乱した文章を書いたことをどうかお許しください。客観的ではない主観的体験の文章を入れる必要があったのです。

 以上までが異国の地で異国の私が体験した集合的記憶の経験。その断片です。ところで私は滞在中に本屋というものを見かけませんでした。カンボジア在住の日本人が書いたブログを読むとあるにはあるらしいのですが、近隣の国に比べるとやはり少ないようです。それに置かれているものは基本的に洋書。読書イコール勉強それも実学であり、それは一部のエリートがするものであり、知の体系に触れるには英語がスタンダードなようです。そもそも読書習慣がないとも書かれていました。ほんとうでしょうか。
 日本に住む私は母国語に翻訳されたものを読むことができます。母国語で書かれた本を母国語で読み、母国の歴史や文化に容易にアクセスすることができる環境にいます。しかしこれはカンボジアでは当たり前のことではないのかもしれません。歴史的にみれば支配の形式は言語を奪うことから始まります。文脈をばっさりと切られた人間は宙ぶらりんの現在にのみ生きることになり、想像力を奪われたまま集合的記憶にアクセスすることもできず、ただの個として浮遊させられる。文化の死とはそういうことです。ポル・ポト時代の悲劇を個人の生命の剥奪という派手な部分だけ見て終わらせてはいけない点はここにあります。それは文化的自殺だったというべきでしょうか。キリングフィールドを去った後もなお、私はトゥクトゥクから見える本屋の無い街並みに「わたしたちの死」の匂いを感じていました。次に訪れる時はそれをもっと確かめてみたいと思います。

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