祖母が死んだ

祖母が死んだ。先週の話。仕事でいろいろな人一段落したところで、うれしくなっていたところの9時30分。親といとこからLINEが入っていて、確認すると「祖母が死んだ」とのこと。

正直、全然悲しくなかった。
私は祖母が好きではなかった。いつも自分の幼少期はいじめられてしんどかったという苦しい話をさせられ、母をののしる。私は小学生のころ、週末は母の仕事のため、祖母の家に預けられていたがそのたびに母の悪口を言われていた。母の悪口を言われたくない私は、自分の苦しいことや嫌なことをいまさら言っても何にもならないし、そんなこと私に言わないでと何度も伝えた。そのたびに祖母は激高し、言うことを聞けないのであれば出ていけと言い、私は毎週末が嫌で嫌でたまらなった。

大学をでてから、祖母は母と私のマンションで暮らすようになる。私の部屋は祖母の部屋になった。祖母が水を使いまくるので、水道代が3000円から15000円に上がった。水を使いすぎないでと母が祖母に注意すると、そんなことはしていない、育ててやったのにそんな偉そうなことを言うのかと怒鳴りちらかした。
さすがに祖母と母で暮らすのは難しくなり、老人ホームに連れて行った。2度も脱走して、家に帰ってきた。いつも自分の宝石や現金をさわり、自分でかくしては探し場所が分からず、お前が盗んだんだ、親子ともども最低な人間だといい放ち、さすがに頭に切れて、部屋中を探し回った結果、布団の内側に隠していることがわかり、ここにあるでしょうとさっき、母を泥棒呼ばわりしたことを謝ってくれとお願いすると、へらへらと謝りもしなかった。

いとこ(母の弟)にお願いして、大阪の老人ホームに祖母を住まわせることにした。
母も心穏やかになった一方で、自分が母にこんなひどいことをしているとたまに泣いていた。母は悪くないのに、そのような気持ちにさえていることも腹が立った。小さいころから母は祖母に虐待を受けていたらしい。そんなことも大人になって聞き許せなかった。

大阪で祖母に会ったときは、私のことは最初理解していなかった。名前を伝えると、1年もたっていないのに、大きくなったねえと言われた。とてもやさしい顔をしていて、都合がいいなと思った。

私の好きな祖父も、叔母も癌で私が中学生になる前に死んでしまった。家族という繋がりを感じて生きてきたことがない。いとこも、母形の血筋が途絶えるとただの他人となってしまう。
好きでもないのに、血がつながっているからというだけで、母の悪口や暴力を受け入れなければならないことにずっと怒りを貯めていた。

そんな人間が死んだ。
祖母が死んだ悲しさよりも、母にはもう両親はいないのだという事実が頭をよぎった。
私は正直、今まで出会ってきた人の中で、祖母ほど性格が悪い人を知らない。私が関わってきた中で、悪口と暴力を日常的に使用する人は知らない。
だから正直、悲しいという気持ちがこれっぽっちも無かった。

あとは私と母だけの家族になる。
母の周りから今年は色々な人がいなくなっていってしまう気がする。
より大事にしてあげなければいけないな、なんてことしか思えなかった。

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