両親が苦手だということを受け止める

最近気がついたことがある。私は親があまり好きではないということだ。
この事実を受け入れることは中々難しい。辛い。
自分を産んだ人間を否定することになるからだ。そもそも私に繋がる存在でもある。そんな相手を以前は父だけ嫌っていたが、母も両親ともども嫌いだと気がついてしまったことは、かなりしんどい。

でも私が親を他人だと感じるようになり、だからこそ、この人は苦手なタイプだなと思えるようになった。これは一個の成長だと思う。

今日、「親といるとなぜか苦しい、親の呪いから自由になる方法」という本を読んだ。趣旨としては、子供だけが感受性が高く、親が精神的に未熟な親である場合、子供はどうしようもない寂しさを抱えてしまうという結論だ。

私は、最近、自分はすごく感受性が高いのだと知った。これは父に言われたから気がついたのだが、私はガサツで目立ちたがり屋で、優しそうでいるけど本当はきつい性格だと母にずっと言われていたので、繊細だとか感受性が高いなんて思ってもいなかった。繊細というのは、すぐ泣いてしまうような、弱い人のイメージで、私はそうでは泣くことはあってもたまにだし、繊細ではないと思っていた。

でも父に言われて、私は感性が鋭い方だと思った。それは、一つのコンテンツを見たら人よりも受け取る情報が多かったり、本質が見えやすかったり、すぐジーンとしてしまったり、相手の本当のいいところが見えやすかったり、逆に嫌なところは直感的に気がついてしまったり、悪意や善意のないことは結構なスピードでわかる。そして、今気がついたが、私が強くなった理由は、泣きたくないから、悲しい気持ちをどうすることもできなかったから、自分で対処できるように、言語化する能力であったり、成長する努力であったり、ポジションを取れるように人間関係を上手く回したりを身につけたからだと思う。つまり、元々強すぎる感受性から自分を守るために、強くなったというわけだ。でも思い出しても小2から私は気が強かった気もするが。
でもこれを書きながら思い返すと、小1の時は私はすごく気が弱かった。小2は、多分両親が離婚したからだ、小3小4もあまり、騒がしくしてなくて、小5で担任に、なんでそんなに声が小さいの?と言われ、クラス全員がいる場で、私さんのキャラが生まれ変わりました!拍手!と言われてから、私はお道外に徹することに決めたんだった。今思えば、ひどい担任だな。あまりにも無責任、腹立ってきた。
ま、置いといて。

私は人を楽しませることが好きだ。面白いことを発言したいし、一つ一つのコミュニケーションでもウケを狙いに行くことが多い。それは、単純に自分が楽しいことがすきで、かつ、それを相手に伝えて一緒に楽しいことをしたいという欲があるからという理由もある。
しかし、一番は、そんな話でもしないと、両親に話を聞いてもらえなかったからにあると思う。
私は、幼稚園・小学校の頃、親に今日会ったことをとにかく話したかった。何が聞きたい?と聞くと、特にないから適当に話してとしか言われなかった。いくら話をしてもちゃんと聞いてもらえた記憶は今になるとなかったなと思う。
それを、ちゃんと物語性のある流れにしたり、面白いオチをつければ、母は笑って聞いてくれる可能性が高く、また、愚痴も笑いを含めれば、母に伝えても文句を言われることがなかったので、どうにかしてコンテンツに変化させることを考えていた。
私が、異様にお笑いが好きなのも、笑いという武器は、自分を表現するのに大きな力になると信じているからだと思う。
いろんなことを人に伝えたいけど、嫌な思いはしてほしくないのだ。その自分の言葉で、強烈な一撃になるようにするには、表現させて、変化させないと振り向いてもらえない。


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