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明日が来ることは【奇跡】

夜中にふと思い出すことがあります。
みんなが寝静まった後
ふと1人になった時に思い出すこと。
今日はそれを書き綴っていきたいと思います。

有益な情報は何もなく
ただの私の独り言ですので、
興味のない方はスルーでお願いしますね。

私がこの実体験を経験したからこそ…
大切な人がいる全ての人に
伝えられることがあるんじゃないかと思います。

母もこんな風に文字に書き起こして
いろんな言葉を遺してくれたんですよね。
その遺伝からなのか
自分の思いを、書き綴りたくなる時があります。

もう一度言いますが、
有益なことは何もありません
私の気持ちを
つらつらと書き綴っているだけです。

それでも大丈夫な方のみ、お進み下さい。




自己紹介noteを読んで
知っている方もいらっしゃるかもですが

2022年12月3日の日。
最愛の母が亡くなりました。
62歳でした。

本当に何の予兆もなく、突然の事でした。
こんなにも、
人は儚く亡くなってしまうことがあるのかと
思い知らされた日でした。
いなくなってしまう心の準備もないまま、
全てのことが終わり、
強制的に日常が返ってきましたが
日常のはずなのに、
今まで当たり前のようにいた母がそこにいない。

今は、変な感覚を覚えています。


もうなくなって一年半経ちますが
死を受け入れているし、わかっているけど
受け入れられていないような。


自分の半分がなくなってしまったような喪失感。
母と同じ誕生日に生まれてきた私。
当時は、悲しくて、寂しくて、
どうすればいいのか分かりませんでした。


子供のことをいつも、1番に考えてくれる。
心配性で、優しくて。
ああしなさい、こうしなさいと
言われたことはなくて、
私の決めたことを、いつも尊重して
自由にさせてくれる人でした。
そして、
たくさんの愛情を注いでくれました。


母の友人が、訃報を聞いて駆けつけてくれて。
たくさん、たくさん、泣いてくれました。


母は、愛されていたんだなぁと。
たくさんの人に愛されていたことが
とても嬉しく、誇らしかった。

素敵な友人に囲まれていて、
大切に思われていて。
そんな母が、
私の母で本当に幸せだと思いました。

誕生日が同じだった母とは、
毎年のように一緒に美味しいものを食べて
お祝いしたものです。
これからは、それも出来なくなるんだなぁ。
それが、とてつもなく、寂しくて仕方なかった。

でもそんな時、
母との想い出を思い返してみました。
私の中にいる母は、いつも笑顔で。

お互いの行きたいお店を探して、
こんなとこあったよ!って伝えあってさ。


ありすぎて、一個ずつ潰して行かなあかんなぁ☺️
って、たくさんのお店にランチしに行ったね。
結婚前には、
2人で旅行もどれぐらい行ったかな。

行きたがっていた
北海道に連れて行ってあげられたこと。
2人で見た、摩周湖や雄琴半島の景色。
今でも、鮮明に思い出します。
楽しそうな母を見ているだけで嬉しかったな。

もっともっと、一緒にいたかったなぁ。
一緒にいられることが、
当たり前なんかじゃなかったことに
初めて気が付いた日。

もっと、ありがとうって伝えていれば良かった。
あなたの子供で良かったって伝えたかった。
もっと喜ばせてあげたかったし
行きたいところに連れて行ってあげたかった。

美味しいものも一緒に食べたかった。
旅行もたくさん行きたかった。
息子の成長をたくさん見せてあげたかった。
後悔は、言ってしまえばたくさんあります。
明日が当たり前に来ることも
奇跡なのかもしれないと思うようになった。

だからこそ、皆さんに伝えたいのは
そばにいるときこそ
伝えたいこと。してあげたいこと。
言葉にしてください。

最期に出来るだけ後悔がないように、
伝えたいこと、してあげたいこと。
たくさんしてあげてください。

そして、今できる時に、
大切な人に沢山会ってください。

母の訃報を聞いて、私の友人も
たくさん心配して連絡をくれました。
すぐに飛んできてくれて、
肩を貸してくれました。

ご飯作るの大変やろ?って、
旦那のお弁当のおかずを
作って持ってきてくれたり
夜ご飯にって、グラタンを作ってくれたり。
お線香あげさせてもらっていい?と、
きてくれる友人。

仕事を早上がりして、
遠いところから飛んできてくれた友人。
東京から、これ食べたら癒されるからと
美味しいスコーンを贈ってくれる友人。

お母さんの祭壇の前に添えてあげて、と
枯れないお花を贈ってくれた、
尊敬してやまない元上司。

母の話をしながら、一緒に泣いてくれる友人が
私にはたくさんいました。
それが、すごくすごく嬉しかった。
人との繋がりっていうのは、
なんて素敵なんだろうと。

私の友人も、母を想って泣いてくれる。
お母さんも、私も幸せ者だと思いました。

きっとこれも。
父と母がこんな風に
私を育ててくれたからでしょう。
私は、自慢できる友人がたくさんいます。
私は、たくさんの人に支えられてここにいます。

悲しみは消えないけど、1人じゃない。
息子も、くったくなく私に笑いかけてくれます。
私に関わる全ての人たちに、
この場を借りてお礼を伝えたいと思います。
Xで繋がっている方たちも、
心配をしてくれたり、応援してくれたり。

本当に、ありがとうございます。


きっと母は、楽しく、自由に。
あなたはあなたらしく。
誰に左右されることなく、自分の信じた道を
これからも元気に生きていくんだよと
きっと、
天国でそう言ってくれていると思います。



母が亡くなってから
色々考え方が変わってきたように思います。
先のことは考えすぎない。

もちろん考えないわけではないけれど
今を大事に生きるということ。

「今」したいと思ったこと、出来ることは
しておこうという考え方になりました。

自分自身も、明日はどうなるかわからない。
それなら、今したいこと、やりたいことを
出来る限りしていこうと。


息子にも、たくさんの景色を見せてあげたい。
色んな経験をして欲しい。

今は、母が居ないことが当たり前になって、
悲壮感を感じて涙することはなくなりました。
家族や友達と母の話をするときは
楽しかった思い出話ばかり。

そんな時に、母の仕事場から見つけた
私たち子供達宛に書いたメモを見つけました。
これを見た時に、
また久々に母を想って泣きました。

My宝物たち 令和4年3月にて

間違ったり、遠回りしながら成長していく
私は子供たちを何があっても信じている
だって私の大切な、私の子供たちだから
きっと人生を楽しく生きるすべを見いだすと

表裏のない人に
自然体で素直な気持ちで

・想像力
・好奇心
・経験値
・肯定的
・人間力
・自分のことを話す力
・聞く力
・コミュニケーション
・挨拶は誰よりも早く、大きな声で

海の如く、広く深く寄せては返し
美しく輝いて。キラキラと。


母が私たち兄弟に遺してくれた言葉。
大事に、胸に刻んで生きていこうと思います。

先のこと、人の想いを想像しながら、
言葉を発し、行動すること。

いつまでも好奇心をもって、
たくさんの世界を知ること。
たくさんの世界を知り、経験値を積むこと。

生きていく上で、誰かの力を借りながら
誰かに支えてもらいながら生きていく。

人付き合いを円滑に、
笑って過ごしていけるように
愛嬌や、自分のことを話す力、
聞く力を持つこと。
コミュニケーションを大切にし、
人間力を育てること。


そして、まずは挨拶を大切にすること。

母の望んでくれたように、
人生は楽しいことばかりではないけれど
それでも。
最期には楽しかったと思えるような人生を
生きていきたいと思うのです。


たくさんのことを教えてくれてありがとう。
底知れぬ愛をくれてありがとう。
あなたも、
私たちにとって大切なたった1人の母です。

この世界で笑い合うことはもう出来ないけれど
どこかで笑っていてくれれば、それでいい。

平原綾香 おひさまの歌詞


母が私たち子供のことを考えながら書いた
おひさまの歌詞にある通り。

笑っていてくれたら、
それだけで良いと思います
☺️

死後の世界があるのかは分からないけれど
あって欲しいと思います。
その世界で、第2の人生を
笑って過ごしていてくれたらと思います。
そして、きっと見守っていてくれると信じて。


このメモの他にも、
私の結婚式の時に書いてくれた
手紙の原稿が見つかりました。

友人が、
サプライズで母に手紙を書いてもらっていて
それを動画にしてくれたのですが
その時のものが出てきました。

手書きで、ヘタクソな字で書き綴られていた
その言葉は、
私の胸の中にしまっておこうと思います。
でも、その中で一つだけ。

【娘には、忘れていたことに気付かされ
パワーをもらい、元気をくれました。
そして、自分を取り戻すことができました。

守っているつもりが、守られていました。】

という、母の言葉を見て。
母が辛くて苦しい時に
守ってあげることが出来て、本当に良かったと。
そう思いました。

寂しくないと言えば嘘になるけれど。
楽しく、笑って、自分の人生を生きていくよ。
最高に嬉しく、力になる言葉を遺してくれて
ありがとう。



母が大好きやったタイタニック🚢


母は映画上映当時、
好きすぎて4回も見に行ったらしい。

レオ様が好きやったのもあると思うけど、
音楽も内容もきっと大好きだったと思う💭

今もTVで放送されたのを
ずっと大事に取ってある。

なぜか、母が亡くなってから
何度も何度も見返してる。
何度見ても、また見たいと思うようになった。

時間がある時はついつい見てしまう。
タイタニックを見ていると、
母のことを想うからかな。
面白いことに、何度見ても飽きない映画の一つ。昔から好きだったけど、
完全に私の中では名作です。


ローズを見ていると、母のようだなと思う。
上流階級に生まれ育ったローズだけど、
家のために好きでもない人と
結婚させられそうになり
毎日のように続く舞踏会やパーティ、
退屈なおしゃべりに飽き飽きしていて。

ここから逃げ出したい気持ちに
誰も気づいて貰えず、
死にたいくらいに追い込まれて。
本当は自由を欲している。

自由を愛するジャックに出会って、羨ましくもあり、
どこまでも真っ直ぐなジャックに惹かれて。

結局はタイタニック沈没という運命に巻き込まれて
ジャックと2人で海に投げ出され、
冷たい水の中
ジャックと約束を交わすんですね。

絶対に諦めないこと。
何がなんでも生きること。
結婚して、たくさん子供を産んで、
好きなことをして。
おばあさんになるまで生きて、
温かい布団で死ぬんだと。

ジャックが死んでしまって、
自分も死んでしまおうかと思った時に、
その約束を果たすべく、必死で助けを呼んで。
その後、101歳まで生きて、
自分のやりたいことは
全部果たして、見事に生き抜いた。
ジャックとの約束を、

ちゃんと果たしたわけです。


母も、自分の責務を果たそうと
ずっともがいていた。
辛くてもしんどくても我慢して、
その責任を果たすために
日々頑張っていました。

その中で、自分のしたいこと、
やりたい事をやって
楽しい時間を自分で見出していた。

母のメモに、何かの本で読んだのか
責任について書いてあるページがありました。

責任には3つの種類があって

「取らされる責任」
「取る責任」
「果たす責任」


母は、自分の責任は取るものではなく、
果たすものだと。
そう思っていたようです。

だから、何があっても投げ出さなかった。
諦めなかった。
なんだかローズを見ていると、
母の生き様が少し被るんです。
だから、
こんなにも何度でも見たくなるんでしょうか。


タイタニックで流れるサウンドはどれも好きで、
My heart will go onは勿論、
BGMどれも好きです。
母もサントラを買うほど好きでした。

最期のお別れのとき、
タイタニックの曲をかけてもらい
わんわん泣きながら見送りました。

サウサンプトンから
出港するときの曲を聴きながら。
母も今から天国へ向けた船に乗ったのかな、
なんて思いながら。

出港の歌が、
母の最期の時にドンピシャな曲でした。

なので、
タイタニックの音楽にも思い入れがあります。

今でも、ふと思うことがあります。
なんで、今ここに居ないんやろ?…と。

どうしてか大事なことは、
全部後からわかるようになっている。

そばにいるときは、
そのありがたさがわからない。

そばにいることが、当たり前で。
その当たり前がどれ程幸せなことだっただろう。

でも、この前お母さんによー似てるわって、
おばあちゃんの友達に言われた時。
自分の中に、母がいるんだなって思いました。
こんな近くに居たんだなと。
兄や弟、自分自身が、
母の形見みたいなものだな、と。

私たち兄弟3人が、
母から譲り受けた左鎖骨下のほくろ。
これも、母の形見。
母の面影を自分の中に感じながら、
これからも、楽しく、笑って、時には泣いて。
生きていきたいと思います。

人生は贈り物。
1日を大切に。



まだまだ、ふとした時に
涙することはありますが

母との想い出を胸に、
心の中で1番近くに感じながら
自分の人生を謳歌していきたい。
きっと、それを母も望んでいるはずだから。

そして、母のように。
責任感のある、優しく強い女性に
私もなりたいと思います。

あなたが、私のお母さんで良かった。
伝えきれないほど、ありがとう。
これからもずっと。
愛してるよ、お母さん。


あなたも、大切な人へ
伝えたいこと伝えてくださいね。

言葉にすることは恥ずかしいし
照れくさいかもしれないけれど。

言葉することは大切です。
後悔のないよう。

毎日を大切に生きていきましょう、、!

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