極端な考えを行ったり来たりして少し病んだ

自分の性格タイプを入れるのはなんだか億劫だ。入れてしまったほうが読んでもらえるし、承認欲求も満たせる。でも、押されたところで「まぁ当然の結果だよな」とどうでも良くなる。

極端な話、性格タイプによる分類(思い込み)もこれと全く同じなのだ。

「○○だから私は△△だ」はOKでも「私は△△でこうだから他も○○だ」は基本的にダメ。他の人がそう言うのはOKでも自分はダメという、「それは必ず当てはまるのだろうか?」Tiの厳密さはもはや何かの意地だね。普通の人はそんなことまで意識しないだろうし。

それが原因で、他の人の意見を暗にまとめて批判してしまうのは大いにあり得る。「ただ善意で書いているのだ」は綺麗事になってしまう。

現実では平和主義者だからみんなが病んでほしくないし、誰一人傷つけたくないというのが本音であってほしいと思っている。もし配慮が足りなくて、誤解を招いたり、不謹慎な印象を抱かせたりしてしまったら申し訳ない。

私だって意識高い系のフリをしてみたい。それなのに、

「倫理から大きく外れた考えって楽しいじゃ~ん♪」
「真面目腐ったこと言わないでよ、物語もテンプレばっかりで普通の展開ばっかりじゃ超つまらないし、もっと極端じゃないと面白くないからね~」

「未知の生物は見てみたいのじゃ~もっと知りたいんじゃ~ちなみに『未知の生物』は人間にも当てはまるよ?極端な人は大好きだし、脳を覗いて調べてみたいし、最高の実験体だからね~って欲望に気づくとおかしくなっちゃうんだ~ふははw」
ってペルソナを全く被っていないとこんな感じになる。ただのサイコパスかマッドサイエンティスト。

多分、電気ショックでも与えないと脳内麻薬が分泌されないほど鈍感な体質なのだ。たまに面白いことを言う人がいると急に興奮して「おーー!」となり始めるけど、それはたいていの場合「倫理観がぶっ壊れてる極端な発想」であるため、(゚∀゚)アヒャと笑いたくなってもバレたらかなりまずいので人前では無表情を保つしかない。(でも、たまにバレバレな時もあるらしい)

でもその一方で、常識的な考え方もどこかに存在してるので、「あぁ、私はただ極端なことをしたらどうなるか脳内シミュレーションしたいだけなんだな」と冷静になる。いわゆる思考実験。

というのは、冗談じゃなくて怖い。あえて困難な状況を想定するのはやっぱり精神的な負荷がかかってるっぽい。その過程は私にとってはとても楽しいのだけど、なんだか溝が深まっていくような感じがする。
それを矛盾ゆえの葛藤と言うのでしょうね。

以上、最近メンタル弱ってる理由でした。おしまい。

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