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生きる理由を探した日記

セロリだった時のこと

夢は「普通になること」だった。

20歳でうつ病になり、布団で横になるだけの生き物になっていた。
野菜売り場の端、値引きシールが貼られているセロリ。

たまに気に止める人はいるが、しなしなになりすぎていて買い物カゴにいれはしない。
そのような物だった。

約5年後

医療やまわりの人のおかげで人間のような物になることができた。
自ら行動するようになり、近くに遊びに行くことも出来た。

「私でも人間になれるかもしれない!」

私は人間らしさを追求した。普通の仕事、普通の遊び。
人間になるのが楽しく、
なんでもできると過信していた。

それが他人にとって迷惑かは気にしない。

私はやっと人間になれたのだから。
もっと普通の人間になりたい!
私はまだ成長できる!
急激な成長を楽しんでいたのだ。

セロリに戻った日

突然何かが起きた。
心が不安と恐怖に覆われ始めたのだ。文字が滑って読めない。理解ができなくなっている。

これはうつ病の症状だ。
全力を出していたせいだと、後悔していた時だった。
他人から傷つく言葉、嘘を次々と浴びることになった。 
私は言葉を失い、パニックに陥った。

早く、楽になりたい。
楽にならなくてはいけない。

しかし、その時はパニックもあり、紐の結び方すらもわからなくなっていた。
自分が楽になるやり方さえわからない。
私はただ、ただ、
どうしたかったのだろう。

気づいた時には、両親が見守る中実家の布団に寝かされていた。
嘘ばかりの言葉の原因は、私が理想ばかりを見て、現実が見えなくなっていたことだった。
他人はその事に何も言わず、我慢をしていたのだと。
気づくのも、謝るのも遅すぎた。

それからすっかり、
私はしなびたセロリに戻っていた。

人間になりたくない生活

1日1食。
お粥や湯豆腐。少し調子が良い日はおにぎり。
目が覚めている時は泣き、その後泣き疲れて寝る生活を繰り返していた。

「もう人間にはなりたくない。」

人が怖い。
自分がどうすればいいのか、何もわからなかった。
死にたいと言う考えはしばらく頭の中から離れなかった。

自分勝手な行動が迷惑以上の罪になってしまった。
幸せになってはいけない。死んで逃げることも許してもらえない。
私はどう生きたらいいのだろう。

今、少しでも生きる理由

半年程経ち、少しづつ自分の脳内に考える力が戻ってきていた。
うつ病は心の風邪ではなく、心の癌と誰かが言った。いつ死んでもおかしくはないと。

それでも自ら死んでしまうのは、両親の心を殺してしまうのではと私は考えた。
私に優しさがあるのなら、両親の心を殺してはいけない。
私はどんな人になりたかったのだろう。
何が優しさになるのだろう。

ふと、財布にずっと入れている
あるカードを思い出した。

臓器提供意思表示カードだ。

脳死・心臓が停止した後に、臓器を提供します。
保険証にも書かれているが、私はこのカードを高校生の時から持っていた。

カードの使い道からはズレているが
私はカードの存在のおかげで、何があってもタバコは吸わないと決めていた。
両親もタバコは吸っていない。
身近な人も吸っていなかった。
心や脳は使い物にならないかもしれないが、臓器だけはピンクであろう。

それはだいぶもったいないのでは……?

極端な考えとは思う。
それでも生きるための何かが欲しかった自分には1番納得のいく考えだった。

人の為に生きることにしよう。
人の為に健康になろう。

これから先、他の考えも出てくると思うが
今のところは十分だ。

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