実家のごはん世界一おいしい

今日渋谷に新しくできたスープカレー屋さんに行った

めちゃめちゃおいしかった。スープカレーにごろごろ入ってる野菜ってなんでこんなにおいしいんだろうと思う。私はもつ入りを頼んだんだけど、口の中で溶けるもつは本当に最高だった。


ふと、『もつの肉もスープカレーも、大学生なるまで食べたことなかったなあ』と思い出した。焼肉もラーメンももんじゃ焼きもほとんど食べたことがなかった。
というのも実家にいたときは、毎日祖母がご飯とお弁当をつくってくれていた。


小学校のとき私は学校から徒歩3分のめちゃめちゃ近いところに住んでいた。近すぎてだれかと一緒に家に帰ったことがほとんどなかった。放課後友達と遊んだことも片手で数えるくらいしかなかったし、週末は習い事しかしていなかった気がする。ゲームも全くしなかった。
それでも学校では人と話せてたし、遊び相手には姉がいたのでわりと楽しかった。


でも楽しくない時が急に訪れた。小6の時。『わたしのいないとこでわたしの悪口言ってたでしょ』っていうのから始まって、気づいたらめちゃめちゃ孤立していた。今思えば交代で誰かがハブられていて自分の番が来ただけ(期間はめちゃ長かったけど)だし、ありがちないじめの始まり方だし、もしかしたらいじめと呼ぶには程度が軽すぎるかもしれない。
でも、たぶんこの時私はいじめられていたんだと思う。


ちょうどいじめられてるなぁって思い始めたあたりで、母が仕事で3か月間海外に行くことになった。不運なことに母の出発の日が学校行事で親子キャンプの日でもあった。学校に親子で寝泊まりして、キャンプファイヤーをしたりカレーをつくったりする行事だった。
母の出発を駅で大号泣しながら見送ったあと、一人で布団を担いで学校に行ったら、みんなが友達同士で集まって楽しそうにしてて、母親同士もいっしょに楽しそうにしていた。友達も母親もいないのは自分だけのようだった。今の自分と同い年の当時の担任の先生に、おなか痛い、と嘘をついて家に帰った。


遠足も嘘をついていかなかったけど、当時習い事と行事以外の学校は休まなかった自分を死ぬほどえらいと思っている。

学校に行かなかったところで人生の選択肢はあまり狭まらないことは最近わかったし、もし自分に子どもができて子どもがつらそうに登校していたら私は止めるかもしれない。

それでも、私のせいで疲れてぼろぼろになりながらもなお厳しくしてくれた祖父母には頭が上がらないし、毎日メールを返してくれた母親にも本当に感謝している。


話は戻るけど学校で孤立している期間は大変つらかった。毎日NANAのアニメのサントラを聴いていたせいで今でも土屋アンナの歌声を聴くと思い出してつらくなる(土屋アンナさんは悪くないです。当時の自分が鬼リピするほどいい曲です)

どうしても朝教室に入りたくなくて保健室にいたらたまたま校長先生がいて、詳しく事情を聞かれて、次の日の朝会で『いじめはよくない』の具体例として紹介されたこともあった。晒し上げられて気分になってこれもまた大変つらかった。


そんな日々が続いたある日、ピタリとそれがなくなった時があった。休み時間も孤立しなくなったし、遊びにも誘われるようになった。
同級生のひとりが『こういうのやめようよ』と言ってくれたらしい。今でもその子とは地元に帰ったら会うくらい仲が良い。ありがとうね。


いじめがなくなって初めて友達と遊んだのはスケートだった。みんなでどこかお店で食べる約束をしていたのを当日まで言い出せなくて、祖母がいつものようにお弁当を作っていた。

初めて『いらない』と言った。祖母は強い人だしあまり傷ついていなかっただろうけど、このとき私は一番のつらみを味わったように思う。祖母に作ってもらったものを食べないという選択をしたのはたぶん初めてだった。要らないと思ったことがなかった。


結局、せっかく誘ってもらったスケートはあまり楽しめずに終わった。レストランかコンビニの弁当か忘れたけど、祖母の作ったものじゃないごはんは全くおいしいと思えなかった。
加えて、ずっと孤立していたような人間が急にみんなに馴染めるわけもなく、ハブられてはいないものの会話に入れず寂しいまま一日がおわった。これだったら祖母のご飯を食べて家にいた方が絶対に楽しかったと思った。


いじめられたことにはいろんな原因があると今では思う。そりゃいじめられるよな、と自分でも思うくらい口が悪かったし、わがままだった。『いじめられる原因はいじめられる側にある』みたいないじめっ子の言い訳があるけど、それも私からしたら本当によくわかる。

今のわたしのまわりには素敵なひとがたくさんいるけど、小6までのあの性格のままだったら誰とも出会えていなかったかもしれない。

いじめられたことは結果、よかったのかもしれないと今では思う。


自分にとっていじめよりつらかったのは、家族を大事にできなかったことというか、家族から離れて友達とうまくやっていくことが難しかったことなのではないかと思っている。友達と仲良くできないことは辛かったけど、友達と仲良くしようとするのもつらかった。

もちろん友達と仲良くしながら家族を大事にする方法なんていくらでもあるだろうし、それができてる大人はたくさんいるだろうけど、今でもこのことを思い出して悲しくなってしまう自分は何も成長してないんだろうなと感じた。


大学に入って独り暮らしをするようになって、社会にも足を踏み入れて、友達以外にもいろんな人とかかわるようになった。楽しいことだと思う。

でも些細なことがきっかけで小6の時の事を何か月に一回思い出しては、そのたびめちゃめちゃ悲しくなって涙がぽろぽろ出る。


過去のつらかった出来事だったりトラウマを抱えながら今日も電車に揺られてる大人たちはめちゃくちゃえらいと思うし、そういう人たち全員を認めて幸せにするために生きなきゃいけない気持ちになる。


明日には恥ずかしくて消しそうだけど書いたらすっきりしたので良かったです。

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