コレモのババアの顔を見る。

延長に延長を重ねた甘美なモラトリアムから半ば無理やり脱したはいいもののハリのない社会人生活を送っている俺にとってそれは目下最大の目標であり日課となっており、そして昨夜ついにあと一歩というところまで迫ったのである。
順序立てて説明をすると、京都市某所にあるスーパーマーケットコレモ付近に白頭鷲を思わせる美しい白髪と強烈に歪曲した腰を持つ老婆が出没し、その腰の歪曲は例えるなら弱虫ペダルの御堂筋くん、傘の柄、ひらがなで言えば"へ"。もし直線であればアナログ時計の19時半、或いはコンパス、角度で言えば35°ほどだろうか。とにかく曲がりに曲がった腰ゆえに老婆は常に下を向いている形となり、ポケモンでいうワシポンの様なボリューミーな白髪が重力に従うことにより老婆の顔は完全に覆い隠されている。
大した事ないものでも隠されれば見たくなるもので、週2のペースで遭遇するにも関わらず一度として見られないその純白のヴェールの向こう側の景色に対し現実の退屈さに辟易している俺は老婆の存在そのものに疑いを持つ域まで想像を膨らませていた。

さて、この話を聞くと顔より先にそんな状態でどの様に生活をしているのかと言う疑問が生じるだろう。
俺が遭遇するたびに観察を重ねた結果その答えは呆気ないほど単純なものであった。
なんと老婆は五歩ほど歩いては上体をわずかに起こし周囲の状況を確認、行動を再開。というルーティンに基づき生活を送っているのだ。深夜帯に出没するのも納得である。その様な生活で人混みの中を歩くことはできないし、ピークタイムのスーパーマーケットなどに居ようものなら舌打ちの豪雨に晒されストレスにより美しい白頭鷲はあっという間にハゲワシに変わり腐肉を漁って生きていくことを余儀なくされるだろう。

老婆の顔の謎に話を戻そう。それならば上体を起こす瞬間に正面にいれば顔がみれるではないかと思われた方もいるかもしれないが、先述した通り老婆の腰は激しく歪曲しており、そのような状態からわずかに上体を起こしたところで精々直角。御尊顔を拝むことは困難でありそもそも周囲の確認をしようとしている老婆に対し凝視など不躾な真似をすれば不審者とみなされ今後コレモに現れなくなってしまうかもしれない。老婆の平穏な生活を脅かす様なことはあってはならないのだ。
そんなもどかしい初心な恋にも似た状況の中、俺は千載一遇のチャンスを手に入れておきながらむざむざと棒に振ってしまったのだ。
老婆と俺が利用しているコレモというスーパーは商品のスキャンを店員が行い清算だけ自動レジというシステムを導入している。
昨夜俺が商品をスキャンしてもらっている時老婆は袋詰めをしており、俺が清算を終えたタイミングで老婆も作業を終え商品カゴを戻そうとしていたのだ。老婆が腰の角度と視界の狭さによりカゴを戻すのに手間取っていたため、単純な親切心に基づき横からそっと声をかけ手伝おうとすると老婆がこちらをチラリと見て感謝を述べた。またとないチャンスである。
白髪の奥から老婆の目が覗く。深淵に触れた。
今にして思えばここで目を合わせ微笑みを浮かべ世間話の一つでもすれば自然に顔を見ることができたのだ。しかし親しい人なら周知の通り俺は愚という言葉を具象化した存在。あろうことか会釈を軽く交わしそそくさと店を出てしまった。
その後店前で原付に跨った俺の前を老婆が横切り例によって周囲確認をした際も、先程世間話をしていれば微笑ましく挨拶をすることができただろうに、それももう叶わない。
次に老婆の目が見えるのはいつか、想像もつかない。いつだって俺は後になって事の重大さを知る。今こうしている間も失っている。
これからも老婆の顔を見逃して生きていくのだ。
白頭鷲になるまで。

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