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#みんなあさか由香 インタビュー05「子ども一人ひとりが輝く社会を。」/大石舞(翻訳家) #あさか由香

政治と教育の距離

あさか由香さんを最初に知ったのは3年前の参議院選挙です。当時は勤めていた学校の業務に忙殺され、無党派の人たちと一緒にがっつり何かやることはありませんでしたが、何度か会議に参加させてもらい、こんなに幅広い層の支援者がいるのかと驚きました。

―――選挙や政治・政治家を身近に感じにくい雰囲気があるけれど、教職として感じていたことはありますか?

学校にもよりますが、最初に私の勤めた私立高校は労働組合が強く、そこで子どもの権利を獲得しようと頑張っている人たちが作ってきた学校でした。とてもリベラルで、例えば生徒と一緒に私学助成拡充の署名もすごくやりました。同僚同士で日常的に政治の話をするという事は無くとも、選挙になれば「この人を応援しよう」とかは普通にありました。その私立高校には6年間勤めて、結婚を機に転職。公立中学校での非常勤や放課後デイサービスで小学生や未就学児とも関わりました。中学校では特別支援学級や、教室には行けないけれど保健室などの離れた居場所になら通える子どもの支援をしていました。私立高校時代からずっと問題意識としてあったのが、子どもは一番社会の影響を受けます。自立もしていないので、親や家庭の精神的・経済的状況にすごく左右される。子どもを見ていると、おかしいのはその子のせいではないという事がすごく見えてきました。

―――子どもの自己責任では決してない、と。

はい。2年くらいそういう働き方をして、その後は公立高校に教師として戻りました。働く環境としては公立高校はまだ守られていて、中学校のように明け方に帰るような事もなく、安定していました。こういう環境だったら子育てしながら働き続けられるかもしれないと思っていたんですけれど、やっていくうちにどんどん自分には合わないなというところが出てきて。例えば整列しなさいとか、国歌斉唱を義務付けたりとかって、自分は全く興味がないのに生徒にそれを教えられない(笑)。

―――教師だからやらなきゃいけない、というのも違う。

元々が教員になりたいというよりも、子どもが好きで、就職活動は、企業の為に働くより子どもの為に働きたいと思って教職に就きました。そういう事もあって、公立進学校の偏差値・学歴偏重の風潮の中で頑張り続ける気力とモチベーションを保てなくなってしまいました。その環境から1度離れて生き方と働き方を考え直した。それを決めるのにも1年以上かかりました。あさかさんも言っていますが、年金問題含めて将来への不安が私にもすごくあったし、ずっと教員として固定給をもらう生き方をしてきた自分に何ができるかも分からない。そこを「えいっ」って辞めるまで、とても時間がかかりました。

自己責任ではない。社会環境が歪みをつくる。

―――そうした葛藤の実感は、政治や選挙への距離感と繋がっていますか。

一番初めに政治と教育の関係を考えたのは私立高校で働いていた時。不登校の生徒がいました。小田原から鎌倉に数時間かけて、私とサポートの先輩の先生と一緒に、何度も会いに通って。不登校の子どもは内側に色んな屈折したものを抱えていたりするので、こちらが何度も通っても色々わーっと言われたり、きつかった。ある日帰りの電車の中で先輩の先生に「あの子は甘えているから学校に来れないんじゃないか」って、ぽろっと言ってしまった。その時にその先生が「苦しい思いをしながら学校に通っている子も確かにいるけど、あんな風に内側にこもって戦っている方がもっと苦しいんじゃないか」とおっしゃって。その言葉にハッとさせられて色んな話をしていくうちに、やっぱりその子のせいじゃないと思えるようになりました。その子個人のせいだ、家族の責任だ、みたいになってしまうとみんな辛いし、憎しみにしかならない。もっと大きな視点で、社会の中にその子がいると捉えると理解が深まるし、私自身も楽になりました。

―――自分自身も楽になった?

迷いがなくなりました。その子が悪いんじゃないかと思うと、じゃあ甘えているからもっと厳しくしたらいいのかとか、変な方向に迷いが生まれる。

―――社会や環境がそうさせている側面があるなら、変えなければいけません。それが社会への、ひいては政治や選挙への関心に繋がった。

3.11の原発事故も大きかったです。事故直後、私は長崎修学旅行の事前学習の一環で、平和学習を担当していました。それで被爆者の話を聞いた生徒の感想の中に「原発も原爆も一緒だ」というものがあって。「自分は福島から逃げてきたから絶対に忘れないし、ずっと語り継いでいくんだ」と。それを書いた生徒は部活も一生懸命でいつも明るくて、先生たちも全く知らなかったんです。そんな子がこんな風に感じている、教育者として平和学習に携わる自分が核兵器や原発の問題から目を背けちゃいけないなと。それで反原発のデモに行ってみたり。2012年に東京の代々木公園で大きな原発反対のデモがあったのですが、そこで反核の運動をしている方と繋がったことで、平和運動にも少しずつ関わるようになりました。

―――震災や教育者としての体験から社会への関心を深めていき、政治への関心から政治家・選挙までは、一見近そうに見えて壁もあるでしょう。

自分の中では平和運動も政治や選挙も、どちらも大事だという思いはありましたが、ひとつに結びついてはいませんでした。政治的な事へ主体的に関わりだしたのは、韓国に行った事もひとつのきっかけでしょうか。そこで市民運動の盛り上がりを目の当たりにして、政治で社会が変わるんだという事を実感できたのは大きかったです。あとは、一度教職から降りて自分の生き方を定めた事も、自分が意義があると思える事に飛び込んでいくきっかけになったと思います。

―――311以降の日本の市民運動をどう見ていましたか。

忙殺されていて運動自体を追えていなかった事もありますが、SEALDsやママの会などを見て、自分も何かやっていいんだと励まされました。デモや国会前に行くと、思いを同じくするたくさんの人たちから力をもらっていました。

小さな町からやれること

―――今、#みんなあさか由香 のあさかコスプレで一緒に動いている無所属の人たちとはどのようにお知り合いに?

この前の統一地方選挙の時に憲法カフェで山北町から立候補する人に会って、その人の選挙応援に行ったり、地域の運動の中で顔を合わせることが多くなったところから繋がっていきました。地方の、保守的だったり選挙がなかったり、男尊女卑の風潮が残っていたりする場所だからこそ、自分たちで動いてなんとかしよう、何か生み出そうという人が出てくるんだなと感じています。

―――エンパワーされ、人生の転機ですね。

そういう人と知り合えたことはすごく大きかったです。山北町から立候補された方が立候補した理由も、選挙がなかったから。自分たちで町を作っていくために投票行動を起こしたい、という動きは最先端に見えました。

―――お住まいは大井町ということですがこちらはいかがですか。

来年が選挙なんです。今、憲法カフェに来ているお母さんの1人が無所属で出ようかなと言っているんです。町議会の傍聴にすごく通ったりしていて、その人が代表のNPOを作ろうという動きに、私も参加しています。まだ参加したばっかりなのですが、これから頑張りたいと思います。田舎は自然はあって環境はいいけれど文化施設がない。例えば私だったら学校に行って戦争体験や被爆者がお話をするような部門を作ったり、いい映画を見る会という活動が既にあるので上映会をやったり、色々なことを町の為にやりながら、少しだけ収入も得られるような活動ができたらいいねと相談しています。

―――文化振興のNPOをローカルから。素晴らしい!

いい映画を見る会はずっと町と一緒にやってきた団体で、町からも「そろそろ独立してNPOとしてやったらどうか」と打診があったタイミングで参加する事になりました。

―――来年に向けてそういう人たちと一緒にやっていくとなると、選挙もまた重要な動きになってくると思います。

大井町は誰を選んでも同じ、みたいな状況でしたが、町長が変わった事で色々なことがはっきり違ってきました。核兵器廃絶の署名も、これまではお願いしても全く反応がなかったのが、すぐにやってくれたり。政治の影響力を実感しました。

―――あさかコスも好調です。

近所で1回目の打ち合わせがあって、その話が出たらしいんです。私はその会議には行けなかったんですが、LINEグループで共有していました。正直最初はこんなに盛り上がるとは思っていなかった(笑)。

―――コンテンツが生まれた事で地域で地道に頑張っている人たちと繋がれたし、あらゆる人たちがその人なりの応援をしていいんだ、というムードが醸成された。素晴らしい応援の可視化の動きだと思います!

それぞれがそれぞれのやり方で関われる、というのはすごくいい。組織だからこうしなさいではなくて、自分たちが好きなやり方で自由に関わってよし、という懐を見せてくれるのがあさか由香さん。政治家は目立たなくていい、みんなで考えましょうと。市民と一緒に政治を考えてくれる。関われば関わるほど応援したいなと思える人です。

子ども一人ひとりが輝く社会を

―――あさかさんも無所属の人たちと一緒に自分がやりたい選挙ができる。お互いに得るものがあり、組織の中にも刺激を与える活動になっています。

「子供ひとりひとりが輝く社会」とあさかさんは言っていますが、私はそれは大人にも言える話だと思います。先日、応援演説で、奨学金で600万円の借金を抱える学生のお話しをしました。そしたらそれを聞いたある女性が「同じ境遇の娘を思って本当に涙が出た」と話しかけてくださって。借金を背負った本人はもちろんですが、そんな借金を子どもに負わせた親だって、苦しい子の姿を見たら、自由に自分の好きな事なんて出来ないでしょう。そんな風に、制度があらゆる人を抑圧して、自由に夢を語れなくさせている。私はドイツに留学経験がありますが、大学にお金がかからないので、社会人になってからでも学ぼうという意欲があれば自由に学べる環境でした。それを思うと、やはり社会を変えなければいけないなと思います。

―――あさか由香のような政治家が1人でも増えたら変わると思うか。

1人だとなかなか苦しいと思いますが、その為にも私たちがいる。「もし当選したらそこからがスタート」と話しています。支えなくちゃいけないですよね。

―――今回は女性の候補者が多い中で、あさか由香の決め手は。

市民と一緒になってやってくれるのが一番根本にある人なので、そこがきちんと見えるようにする事の大切さを、あさかコスを通じて学ばせてもらいました。自分たちが動員された訳ではない、一人一人が心から応援していることが、面白いと思ってもらえるような形で伝えられれば、他の候補者との差別化にも繋がると思うんです。普通の議員さんで、ここまで市民は動きません。私の場合、電話かけはすっごい苦手ですが…(笑)。

―――公選法や組織運動の慣習でがんじがらめになっている中で、地方から色々なやり方、受け止め方がある事を、あさかコスで示せたのでは。

なぜあさか由香を応援しているのか、言わされた原稿ではない、自分の言葉で話しているのがとてもいい。組織ではなく自分で考えて動く事が必要なんだろうなあ、と言ってくださった方がいたり。それは大事だと思います。

―――同世代や働く女性へ向けて何か発信したいことはありますか。

友達にLINEで送るんですけれど、「共産党」だと言いにくいことでも「あさか由香さん」なら、政策を読んでみて、と言いやすい。旦那さんが鬱で体を壊して今も苦しんでいる友人が、すごく共感的に読んでくれました。彼女と「人生ハードモード」って話をしてて。自分の人生がこんなに大変な思いをするなんて思っていなかった、と。多くの人たちと一緒に考え、共感の輪を広げていけたらと思います。(了)


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