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「幸い」住むと人のいふ【未央がしたたた...ためる #(9-1)】

こんにちは、今日は2023年9月18日です。

思いは 距離を飛び越え
今 君に届く きっと

山を飛び谷を超え、時には海のあなたに住むアナタ。
でも共有する時間は確かに同じで、同じ空に手を伸ばしている。
ほんの少し、角度がちがうだけ。

身の回りのあれやこれやもままならないのに、ときどきそんなアナタに思いを馳せることがあります。

入道雲が崩れて、もうすぐうろこ雲が泳ぎ始める空。
不特定多数のアナタもこんな気持ちでいるのでしょうか?

さあさあ、まずはこちらのツイートをご覧ください!

(WithとVRの間に半角スペースがないな……。)
(ちょっと意味の重複と主体客体の混合が見られるな……。)

……ということではなく!
VRChatで執り行われる運動会・メタリンピックの開催です!
わー!すごいー!

野球やボクシング、ビリヤードといった現実にもある競技からクロスディスクといったデジタル、ひいてはVRならではの競技まで、よりどりみどりの祭典――皆さんが遊んだことのあるものも多いのではないでしょうか。

リアルで行うスポーツの魅力は、やはり「運動」が根底にあるところでしょう。体を動かすことは健康にも繋がりますし、さまざまな動きや感触が実感を伴って返ってくるというのは体験的にも心地よいものです。
一方で、対人の競技を行うにはひとつの空間に集まらねばなりません。北海道でサッカーをやるから、と沖縄の人を呼び出してくるのはかなり無茶ですよね。いわんや海外住みの人をや。

その点、e-Sports(今使われている用法とはちょっと定義が違いそうですが)やVR-Sportsは集合空間をインターネットが肩代わりしてくれます。参加者は各々の場所から通信でアクセスできさえすればよく、実際に複数の国の方と同じゲームで遊んだりすることも。
ただし、身体へのフィードバックは相応に少なくなってしまうでしょう。基本はキーボードとマウスでの操作、あるいはコントローラーを両手で握ってボタンを押すだけ、どちらにせよ操縦者は椅子に座っているだけ……。

スポーツを運動という面で切り取るなら、その運動を行うに足るスペースの確保は前提条件としてありそうです。裏を返せば、その条件さえクリアできればe-SportsやVR-Sportsでも同等の体験が期待できるということ。
実際、VRにおいてはトラッキング箇所を増やせば増やすほど現実に即した挙動になっていくわけですし、任天堂のSwitch Sportsやリングフィットアドベンチャー、Wii Fitなどはこの理論をいい感じに体現しているように思います。

……唐突に二者を比較してみましたが、ここから持論を少しばかり。
ぼくがVRに興味を持ったとき、そこに期待していたのは「非現実」「非日常」でした。家にいながら広い世界を走り回ることができて、天地がひっくり返った街を逆さまに歩き、君と手を取り合って思うがままに空を羽ばたく。そんな体験を夢見ていました。
この記事を読んでいる方の大半はVR経験者・あるいはVRC経験者かと思いますから、ぼくの夢想がどれだけ現実離れしているものかというのはすぐにおわかりいただけたことでしょう。

移動はコントローラーのアナログスティック。歩くなら八の字にぐるぐる。重いHMDとトラッカー。自分の表情や立ち姿ひとつとっても正常に表現できているか不安になり、鏡を見てしまう。どこまで行っても立っているのは現実。
悔しいけど、今のぼくが持つ財力ではこの程度の体験です。没入感は、正直に言ってしまうと得られたことがありません。

もちろん、これは現状のVR環境を否定するものではありません。技術的に難しいことが多いということも、人を軸にしたコミュニケーションが容易い空間というだけで十分に魅力があることも承知しているつもりです。

でも、それでも、だとしても、そういった期待を捨て去ることはできない。
それは、ぼくのなかでVRが「現実世界に包囲された異世界への扉」のように認識されているからかもしれません。

基底現実とVRについての見方は、それこそ千差万別、これが正しいなんていうものは出てこないでしょう。現実の上に別レイヤーとして乗っかっていると見る人もいれば、現実を外側に拡張してくれると考える人もいるはず。もしくは、現実とVRに接点を持たせない、二項では比較し得ないという意見も出てきて然るべきです。

そんなバラバラの意見がサラダボウルに詰められてかき混ぜられて、今ここにある。これが今のVRの座標であり、かつ我々ユーザー個人の指針でもあるように感じます。

団体・コミュニティはそんな不安定で混沌とした世界において、わかりやすく安心できる「場所」としての役割を持っています。たくさんの「場所」が積み重なって敷き詰められて、混沌の海を陸地に変えていく。そうやって幾多もの世界が形作られてきました。きっと、ここもそうなっていくはずです。

「そうなっていく」というのは「そうなっていない」とも読めますね。
いま現在のVR世界は、まさに「そうなっていく最中」だと考えているからこそ、このような表現を用いました。
確かに陸地はあります。浮島のように、いくつか点々と。
でも足場は脆く、ちょっとした衝撃で崩れてしまうかもしれない。新しく生まれて、崩れて、その繰り返しです。ちょうどできたばかりの太陽系のような。

この混沌の海を飛び続けるか、陸地で羽を休めるか。この選択もまたサラダボウル。解は決して2通りだけではないはずですし、そも解と呼ぶべきものすらありません。それぞれの思いの数だけ、それぞれの海や空があるのです。

個人個人が持つ、集合空間への思い。
明るくなったら、空を見上げてみてください。アナタの目にはどのような空が映っていますか?
ぼくの空とアナタの空は同じにしてちがうもの。ほんの少しの角度のちがいが、それだけがあるのです。

VR-Sportsから発展して、いろんなところに思いを馳せてみました。メタリンピックはこの海でどんな化学反応を見せてくれるのか、楽しみが止みませんね!

それではまた10月に、今度はメタリンピックの感想でも書けるかしら(むしろ皆さんの感想をお聞きしたいくらいですが)。

ババンババンバンバン……ババンババンバンバン……

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