90年台、市中にトカレフが蔓延した理由

数人の方からこの頃のトカレフ絡みの話を聞いては聞き流していたのですが、それらの話が全部繋がっててちょっと驚いたので文字にしてみます。

私自身はまるっきりカタギでそちらの世界に首突っ込んだ事は無いんですが、何でか当時の事を知ってる人がトカレフの事を面白おかしく話してくれるんですね。
別に自分に関係ある話でもないですし最初は話半分に聞いていたのですけど、ヤクザの皆さんも大変だな、くらいに思ってたのですが、話が全部繋がると正直ちょっとドラマティックでさえありました。
私みたいなカタギの人間が聞いてるくらいなので割とそこら中に広まってる話なのだと思うのですが、始まりから終わり迄の殆どの流れを知ってる人は当事者でさえ少ないのではないかと思いますし実際まとめて一本の話にしているのを知りませんので私がまとめようかと思い立ちました。

で、センシティブな話ですし一度やってみたかった事ですので有料記事にしたいと思います。
話の冒頭部は無料で読めますので、続きを読みたいと思った方は是非購入をお願いします。

始まりは暴力団対策法、通称「暴対法」でした。
91年に施行されたこの法律、ヤクザの世界を一変させてしまう大改革でした。
実はこの法律が施行される前から業界ではいろんな噂が飛び交ってたそうで、皆さん戦々恐々としていたそうです。
その内に「山口組を潰すのが目的なのではないか」という意見でまとまるようになります。
当時(というか昔から今でもですが)山口組は国内最大のヤクザ組織で規模としてはブッチギリ、結果警察から目の敵にされていました。
逆にいうと山口組以外のヤクザ組織はお目溢しとまでは行かずとも山口組よりも徹底されてはおらず、山口組とやりあって潰す迄は行かずとも勢力削ってくれないかな、と警察が期待してるんじゃなかろうか?と勘繰るくらいには扱いに差があったそうです。
そこに暴対法です。
警察は暴対法で山口組の勢力を削ぎに来る。
すると山口組の縄張りで衰退する所が出て来ますし、何なら空白地帯も生まれるでしょう。
「これは抗争が起きるのでは」という危機感が生まれます。

当時、拳銃のような武器はヤクザの皆さん全員に行き渡ってるような状況ではありませんでした。
知ってる人は知ってる事ですが、日本の警察の銃に対する執念はもう強烈で、誰にも話さずコッソリ収集していたガンマニアさえ検挙してしまうような徹底ぶりです。
ヤクザとなるとそれはもう監視の目は厳しいしガサ入れも行われるので念入りに隠しておかなければなりませんし管理も大変です。
また、70年代に入った辺りで景気が上向き出した頃から「抗争よりもシノギ」にシフトして行くようになって武器の所持にこだわらなくなったのもあり、ヤクザはさほど武装に執着しなくなっていました。

そこに「暴対法」です。
ヤクザは太平の眠りを覚まさせられた訳です。
山口組が衰退するのなら他の組には勢力拡大するチャンスですし、山口組自体は警察だけでなく他の組からも狙われる立場になります。
左派活動家みたいに「話し合いで解決」なんて生ぬるい世界ではありません。
話し合いするにしても相手に舐められないだけの力は必要です。
武器が要ります、しかし日本では武器商人から買うなんて訳にはいきません。
それまで日本のヤクザが持ってた銃はほとんどが米国から密輸した物で、個人的に持ち込むのが精一杯だったので一度に大量に仕入れるなんて事したら一発検挙物です。
全国のヤクザは銃を大量に、かつ暴対法成立迄に大量に手に入れる為のルートを模索します。

丁度その頃、ソ連はアフガンから撤退して崩壊間近、中国は天安門で西側から一斉に制裁受けて経済ボロボロの頃です。
経済ボロボロになると軍隊には予算が回って来なくなり、武器の横流しが横行し始めます。
東側にも当然ヤクザのコネはありますので、日本のヤクザが武器を欲しがってる話は伝わります。
普通ならココでサインして契約成立なのですが、日本には「持ち込む」事が最難関な訳ですので、取引の方法に神経を使う事になります。


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