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行けない理由ではなく行ける方法を考えられる自分でいたい

人生にはいくつも、選択を迫られる瞬間があります。
でも、どうしてもどちらかなんて選べずに
どちらも選べる方法を最後まで模索してしまう。

私にもそんな忘れられない経験が、ありました。

迫られた究極の選択

今から12年前。大学3年生だった私は就職活動真っ只中。いわゆる「就活生」でした。

当時の私は出版社に行きたくて、今考えると恐ろしい気もしますがほぼ出版社の試験しか受けていませんでした。

当時、出版社の試験が集中していたのは3月。

就活生にとって就活以上に優先すべきイベントなんてないはず。私の3月の予定は試験予定だけで埋まっていくはずでした。

…はずだったのですが。

私にとって就活と同じくらい、一生に一度なのではという大イベントが重なってしまったんです。

それが、所属していたオーケストラの海外演奏旅行

サークル…というよりもはや体育会系の部活レベルで、学生時代の時間を費していた大学のオーケストラ。

私の所属する大学オーケストラでは、4年に一度、ドイツ・チェコ・オーストリア・ハンガリーをめぐり、現地のホールで演奏する「海外演奏旅行」なるものがありました。

4年に一度、何年生のときにあたるかはその代によるのですが…最高なのが4年生のときにあたるパターン。
就活も終え、卒業旅行も兼ねて行けるといううらやましい形。
逆に、最も不運と言われるのが3年生で行くパターン
そう、私たちの代でした。

就活と完全に被るため、せっかく旅行に行っても現地からエントリーシートを書いたり、演奏以外は就活に時間をあてることになるという残念さがあると言われていました。

しかも、私は出版社を志望していたので演奏旅行期間である2月末〜3月頭に思いきり試験期間が被っていて。
試験をあきらめることも一瞬考えましたが、
第一志望の出版社のエントリーシートが通ってしまったがために、その次の3月7日の筆記試験にどうしても行かなければならなかったのです。


一生に一度の演奏旅行。
一生に一度の筆記試験。



こんなに究極の選択を迫られるなんて、
人生はなんて残酷なんだろう…と当時は絶望感に打ちひしがれていました。

周りのオーケストラ仲間はというと、志望業界が異なることもあり、ほとんどの人たちが演奏旅行一択!というスタンスでした。
海外からでもエントリーシートは書くことができるし、Webテストも受けられる、と。

でも、私はだめでした。
出版社の筆記試験はどうしても会場で受ける必要があったのです。

どちらも、という決断

悩み続けた私は、一つの選択をします。

それは、どちらかではなく「どちらも」という選択

正確に言うと筆記試験を受け、演奏旅行はオーストリアのみ参加する、という選択でした。

実現するためのスケジュールはとんでもないもので

筆記試験を受ける

受けたその足で空港に向かう

フランスで乗り換え、オーストリア・ウィーンへ向かう

ウィーン到着日にコンサートの本番に出演する

今振り返っても、我ながら現実味のない無茶なスケジュールだと思います。
それでも当時の私には、この選択しかありませんでした。

孤独な遠征チャレンジ

いざ挑戦してみると、頭の中で描いたプランは幸い順調に進みました。

筆記試験の会場からタクシーに乗り、
フランスまでの便に乗って、
早朝のほぼ誰もいない閑散とした空港で乗り換えて。

淡々とミッションをクリアしていきましたが、
唯一辛かったのは「孤独感」でした。
うまくいくかどうかわからないドキドキを、誰とも共有できない孤独感。
演奏旅行で先に楽しんでいるみんなをうらやましく思う孤独感。

自分自身しか共感してあげられないドキドキを抱えたまま、私はウィーンへ向かいました。

夢のウィーンでのコンサート

そしてついにたどり着いた、ウィーンの地。

現地についても、本番が行われるコンサートホールに着くまでは一人。

3月のヨーロッパは、まだまだ冬の気候。
寒さと緊張で、相棒のバイオリンを抱える手を震わせながら、会場に向かいます。

会場はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートでも有名な「ウィーン楽友協会」
テレビでしか見たことのない憧れの場所に、本当にみんながいるのだろうか。実感がわかないままとにかく一歩ずつ向かいました。




いた。


見えた。



知ってる顔が次々と目の前にあらわれます。
ああ、やっとみんなの元に辿りついたんだ…

安心感と喜びと、疲労を通り越したランナーズハイとも言える興奮とが重なり、妙なテンションでみんなと会話したことを今でも覚えています。

みんなとの再会による喜びも束の間、
数時間後には本番。

舞台裏で少し音出しをして、
ゲネプロと呼ばれる最終リハーサルに向かいました。

金色に輝くステージ。
響き渡る音。

夢にまで見たステージに立てる感動を
じっくりと味わいながら、
演奏をする。

私、本当に楽友協会にいるんだ…


ゲネプロも終わってあっという間に本番の時間。
3曲あるプログラムのうち、私の出番はマーラーの交響曲第5番。

ステージに出る。


椅子に座る。


指揮者を見る。


バイオリンを構える。

正直、本番独特の不思議な空気感に包まれて
演奏中の記憶はぼんやりしていて。
個人としてうまく弾けたのか、弾けなかったのか
自分でもよくわかっていません。

その中でも、
自分の音とみんなの音が重なって
音楽ができあがっていく感覚。


この感覚だけは、今でも覚えています。

オーケストラで何度も味わっているはずなのに、
孤独感から解放されたこのときの演奏ほど
みんなで一つの音楽を作り上げる喜びを感じたことはありませんでした。


来てよかった。
どちらかではなく、「どちらも」という選択をした自分をこのとき初めて褒めてあげたいと思いました。



残りわずかなみんなとの時間

本番を終えて、私の旅はあっという間に終わりに近づいていました。
みんなはハンガリーでの公演が控えており、旅はまだまだ続く予定で。私はハンガリーの移動までみんなと共にし、次の筆記試験を受けるために演奏会には出演せず、帰国することを決めていました。

せっかくの観光地。本来ならあちこち観光したい中で演奏以外にできたことはほぼなかったけれど、それでもわずかな隙間時間でできたこともあって。

ウィーンの「カフェザッハー」で本場のザッハトルテを食べたり。

ハンガリーのロイヤルパレスや鎖橋を見たり。


とっても贅沢で幸せな時間でした。
みんなと過ごせる時間が限られていたからこそ、
私にとってはより一層愛しい時間だったのかもしれません。

旅が教えてくれたこと

夢のような時間が終わり、私は筆記試験という現実と向かうべくみんなと別れを告げ、一人で先に日本に戻りました。

帰り道も淡々と、ほぼ順調に一人で帰りましたが、
みんなと過ごした時間があまりに幸せだったからこそ
孤独感が引き立ったことは間違いありません。

一人じゃない喜び。
みんなで一つのものを作り上げられる喜び。

ウィーンへの海外演奏旅行はそれを教えてくれました。

一方で、孤独と戦いながら究極の選択に対して、
自分自身で答えを出すことができたというのも自分には大きな発見で、自信となった気がします。

結局、出版社の筆記試験は全滅で、私は出版社に行くことはできませんでした。
それでも、あの時間は無駄ではなかったと12年経った今も胸を張って言えます。

旅は一人の時間も、みんなとの時間も輝かせてくれる。

この旅で少しだけ、自分自身もみんなとのつながりも
強くなったと思います。

この先旅をする機会があって、それを阻む何かしらの理由があったら、行けない理由ではなく行ける方法を考えられる自分でいたい

いや、きっと、いれるはずです。

どちらかではなく「どちらも」。
人生欲張っていきたいと思います。

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