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混濁する感情の渦 | わがままと自己嫌悪と思いやりの狭間からの脱出

こんなに最もそばにいるのに、なぜ分かってくれないのか。

人に理由と理解を求めてはいけないのだろうか。

ただ、そっとしておいてほしいだけなのだが。


こんばんは。wisteriaです。


最近、心身がやや不安定だ。

これからの研究方針や人間関係、何かとストレスを感じているのかもしれない。夜中に何度も目が覚める日が多くなった気がする。

私は、高校生の時から"てんかん"と同居している。

てんかんにも様々なタイプがあり、一概には言えないが、私の場合、睡眠不足・過剰なストレス・飲酒・強い光刺激は、てんかん発作の誘発因子(トリガー)となり得る。

なので、私は、"てんかん"とより良く接するために、日頃から、服薬を怠らず、規則正しい生活を送ることを努めている。その中で、いかに効率よく様々な作業をこなすかを考えている。


その努力を潰そうとするのは、なぜ?

しかも、一番近くて、私を最も理解し、愛してくれる、そして私の愛する家族が。どうして?

最も腸が煮えくり返りそうになったのは、てんかんと診断されて間もない時だった。

私は、その時、両親と姉との4人住まいで、4人同じ部屋で寝ていた。そこに1台の家族用のPCがあり、私の寝る場所に最も近かった。

そこで、ずっと居座ってPC作業することが、邪魔になることを分かっているはずなのに。暗闇の中に強い光がある中で、寝ることがどれほど危険なことかわかっているはずなのに。

姉は、ずっとそこで深夜までPC作業していた。両親も注意しない。

その時、ずっと聞きたかったが、自己中心的な問いだったから、聞けなかった。私のこと分かってるよね?って。

本当にいい加減にしてほしかった。それで不機嫌になっているのに、その理由も察することができない、愚かな家族が大嫌いだった。

そこから、姉は社会人になり、実家から離れ、隣接する県で就職した。

彼女は、実家が嫌で一人暮らししたはずなのに、今は、週末になると帰ってくる。姉が返ってくる週末は、姉中心にスケジュールを組み替えないといけない。それも本当は結構ストレス。


今朝、姉の突然の寝言で起こされた。

それだけのせいではないが、今日は、一日中、頭がはっきりせず、眠く、作業に集中できなかった。

気分良くないな、嫌だなぁと思って、不満を述べるのも嫌で、ずっと黙っていたら、母が、「何、しんどいの?」と声をかけてくる。

似たようなことがこれまでに何回もあった。

もうほっといてくれないかな、一人にしてくれ、と心底思った。

この黙秘は、私が私と戦っているんだよ。色々と考えてることがあるんだよ、あなた方に理解できないようなことも含めて。


姉に、実家に帰ってくるな、と両親の手前、言えない。

だけど、私には、配慮してくれない。

配慮してくれ、と言う勇気もなければ、そう思う自分に嫌悪する。

どこか別の場所に行って作業できれば、と思うが、それを言うとあなた方はあまりいい顔してくれない。私は、これでも一応、あなた方に思いやりを示そうと思った結論なんだが。


わがままと自己嫌悪と思いやりの狭間にいる。

ただ、私の努力を潰さないで欲しいだけなんだが。

そんな時、ふとこの文章を思い出した。

初めての土地、思いがけない役職、未経験の事柄の連続、それは私が当初考えていた修道生活とは、あまりにもかけはなれていて、私はいつの間にか"くれない族"になっていました。「あいさつしてくれない」こんなに苦労しているのに「ねぎらってくれない」「わかってくれない」       自信を喪失し、修道院を出ようかとまで思いつめた私に、一人の宣教師が一つの短い英語の詩を渡してくれました。その詩の冒頭の一行、それが「置かれたところで咲きなさい」という言葉だったのです。                        ~『置かれた場所で咲きなさい』(渡辺和子)~

私の敬愛する渡辺和子さんの本の一節だ。

私は、知らず知らずのうちに、"くれない族"になっていた。

境遇や環境は変えられない。変えられるのは自分だけ。

自分が変われば、時間がかかっても、周りは変わってくる。


また、渡辺和子さんは、こう仰っている。

現実が変わらないなら、悩みに対する心の持ちようを変えてみる。


混濁する感情の渦が収まり始めてきた。

私は、たとえ自己中心的でも、私の家族へ伝える努力をしただろうか?

理解してくれないと諦めていたのは私の方だったのかもしれない。

今度は、少しだけストレートに伝えてみよう。家族なんだもの。許してくれるよね。


明日から、新たなことも含め、一生懸命、努力し続けよう。

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