変化と繋

こんばんは。りおんです。


今日家の前に咲いている小さい花を見つけました。ずっと家の中にいたので目で季節の移り変わりを認知できて少し嬉しくなりました。あー、ちゃんと季節は私の知らないところでも変わっていくのだなと当たり前だけど普段意識しないことに気づけました。


唐突ですが、「季節が変わる」ということは前の「季節が死んでいる」ということなんじゃないか、と思うんです。



冬が死んで雪が解けたり寒さが緩んで春が来る。そこで新たな出会いと別れが生まれる。


春が死んで穏やかな風に運ばれてくる花の香りが薄まって夏が来る。そこで水面が乱反射して海が笑うようになる。


夏が死んで太陽が低くなり緑が枯れて秋になる。葉は色づき夜の庭では小さい子たちが音色を奏でる。


秋が死んで屋外にも屋内にも人ばかりになって冬が来る。頬を切るような冷たい風が身体を刺す。




人が意識しないだけで季節は次々と死んで、でもそれは決して悪いことではなくて。日にちとか、数字で1年を数えるのも良いけれどこういう感覚的な部分で1年を感じることもまた良いものだなって思うんです。




「死ぬ」ってすごく暗くて怖い言葉です。でも、「季節が死ぬ」のは次の季節への繋がりを生むんです。だとしたら人に関しても、「死ぬ」という言葉はそんなに敬遠しなくても良い言葉なのかななんて思います。


もちろん、今私の周りにいてくれる人には死んでほしくないです。



この言葉がどれだけその人に重くのしかかって、苦しむ結果になってしまったとしても、多分私は言います。私は周りの人に支えられて、救われています。そんな私ができることなんて本当にちっぽけなことかもしれないけど、つなぎとめておきたいものがあるんです。自分勝手と思われても今私を構成してくれる人がいなくなるなんて嫌です。


彼・彼女らが生きていてくれるなら、自分が辛くてもいいんです。きっとそれ以上に辛い未来が消えてるんだって思えて受け入れられます。耐えられます。

自己犠牲を美徳とは言いません。でも私はこういうやり方しかできないから、そういう時くらい、自分なりに奮闘したいんです。


少し前に友達が「私の心に時々絡まって楽しそうにしてる姿を眺めてられるならまだ生きてても良いことあるかな」って言ってたんです。まさにその通りだと思いました。私に関わってくれてる人が楽しそうにしてたらそれだけで良いことなのかなって。




そんなことを改めて思った冬の終わり、春の始まりの日でした。ではまたどこかで、そのうち。

ばいちゃ。

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