僕の父はさみしがり

‪「雨がひどいから車で駅まで送ろうか?」と珍しいことをけさ父が言ったので怪訝な顔をしたら「まあ君もぼちぼち行ってしまうから……」ともごもご言って、ああこの人はさみしいのだな、と思った。僕が父と血が繋がっていることを自覚する数少ない瞬間だ。

父はあまり喋らない方だ。寡黙というよりも口下手なのだと思う。あるいは人との距離の取り方がよく分からないのか。体育会系だが陸上部出身で、趣味にはスキー、釣り、音楽鑑賞と、見事にどれも一人でするものばかりだ。これだけでなんとなく、父の性格が伝わる気がする。
仕事は実家で続く小さな家業の三代目で、ずっと職人的な客商売をしている。家系的にさみしがりなのかまではわからないけれど、祖父の代までは昔ながらの三世代家族だったから、我が家で核家族化するのは父の代が最初なはずだ。
そして父は、昔ながらの(僕からすれば奇矯でかなり偏った)価値観をいくつか堅く持っているにせよ、基本的に家族には底なしに優しい人だと思う。

僕らは三人兄弟で、長男の僕がいま24歳、下に21歳、19歳と続く。いずれも何不自由なく、母とともにいくらか気を遣いすぎているくらい大切に育ててくれたと思う。兄弟みな男子としては大人しく、子どもの頃は学校生活などで色々と心配をかけたせいもあるのだろう。母と違い父はいつまでも不器用な接し方をしてくるので、息子たちとしては「やれやれ」みたいな部分も少しある。

去年の春に下の弟が大学進学で一人暮らしを始め、アメリカ留学から帰ってきた真ん中の弟はこの春から文字通り各地を飛び回る仕事を始める。そして僕も三月から次の仕事のため二年ぶりに実家を出て、京都に移り住む。たった一年の間に20年家にいた息子たちが全員いなくなるのである。出ていく僕らにとっては次のステップでしかないけれど、自営業でずっと家にいる父にとっては、たぶんさみしいことだろうし、それと同じくらい、人生のあるステップを"終えた"感じがしてしまうのではないかと想像している。一昨年、父は還暦を迎えた。

昔、小学生のころ、病気になって少し長い入院をしたことがあった。僕はまさしく現実逃避として、のめりこむようにゲームをし本を読んでいた。母は毎日来て、細々したことをしてくれた(今考えてもこれはすごい)。そして父は時折母の代わりに来て、着替えだけ渡してからは特に何もせず、ただ居心地が悪そうに病室の丸椅子にずっと座っていた。僕は僕で父がいる横でゲームに熱中することも流石にできないので、同じように居心地悪くベッドにいた。時折、天気の話とか他の兄弟の話とかを思い出したみたいにぽつぽつ話して、僕の好きな小説にありがちな意味深な思い出話もお説教も本当に何もなく、ただ手持ち無沙汰に俯いたまま、半日以上そこにいた。
たぶん父にとってもそれは苦痛な時間だっただろう。けれどそれでもそこにいた、いなければならなかった父の優しさに、今では僕も気づけるようになった。
何か話したいけれど、話せない父。不器用なままに、長い時間をかけて息子たちとのあいだによくわからない距離を作ってしまった父。

そんなことを承知の上、駅までの車内での十分くらい、僕と父ふたりきりで話したのは、天気と季節の話、花粉が飛び始めた話、箱買いしたマスクが便利な話。本当にたったのそれだけで、我ながら苦笑いしてしまった。仕方ないので、普段より少しだけ元気よく「いってきます」と声をかけてロータリーに降りた。父は花粉症なのか、何か鼻に詰まったような笑顔で送り出してくれた。

さて、仕事します。

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