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Sometimes I feel blue

 高く遠い空だった。つらくなるくらい綺麗な空だった。雲ひとつなく晴れていて、太陽は控えめな顔をして西に傾いていた。鳥が黒い影となって僕の頭上を風と共に横切っていった。軽やかに飛ぶ鳥を目で追って、追って、追った。鳥は東の空へ向かってゆき、次第に小さくなって、やがて見えなくなった。それから、一歩ごとに重石を持ち上げるような気持ちで、僕は鳥たちと反対の方向へとゆっくり歩き出した。

 歩きながら、僕は不思議に思った。いつのまに僕の人生はこんなにも重く垂れこめてしまったのだろうと。どれだけ歩き続けてもこの世界から出ることはできないという思いがした。空はこんなに青いのに、そのことが僕の解放を謳いはしなかった。いっそ雨に振られたかった。

 僕はゆっくりと歩を重ねた。道はアスファルトで舗装されたなだらかな下り坂だった。風が吹くと広がった田園の緑稲が波打ち、さああっという音がその後を追った。下り坂がおわるところには、ひどく大きな鉄塔がそびえていた。そこに辿り着くまでもそれはずっと見えていた。しかし、足下から見上げた鉄塔は、無数にあるボルトの無骨な形や細かな鉄の錆びまではっきり見えて、まるで生きものの死骸のように、まったく違うもののように見えた。あるいは廃墟になった遊園地のように。灰色の鉄塔は、青空の背景に、何故だかよく映えた。『高圧電流、注意』と書かれた看板の横を通って、僕はその足下を通り過ぎた。しばらく歩いてから振り返ると、やはり鉄塔は無感動にただそこに立ちつくしていた。それを僕はとても美しいと思った。

 なおも歩き続けて、道は片側二車線の道路に合流した。バイパスから次々と降りてくる自動車は空気に淀みを混ぜながら僕をあざ笑うように追い抜いていった。運転手はみな一様につまらなそうな顔をしていた。なんの喜びもなく、運転手たちは時速六十キロで走っていった。そんなに速く走っているのだから、もっと楽しそうな顔をすればいいのにと不思議に思いながら、僕はなんとなく自分を追い抜いてゆく車の数を一台ずつ数えて歩いた。しばらく歩き続けて、248台めを数えられずにカウントは247でストップした。248台めの車は僕と同時に赤信号にひっかかったからだ。ごくふつうの交差点だった。道路沿いの看板には上に大きく『西洋美術館・左折5km』と表示され、その下に美術館のポスターが貼ってあった。『ミレイ展』が今の展示らしい。『落穂拾い』の画家かと思ったが、僕の記憶している画風とは全く異なる――暗く美しい水に沈みゆく女の――絵だった。少し興味があったものの、僕の進路は直進だった。まだ信号は変わらなかった。248台めの車は白いミニバンだったが、乗っているのは運転席の女性ひとりだった。顔はあまりよく見えなかったけれど、なんとなく素敵ないい雰囲気を持っていそうな女性だと思った。女性も僕の視線に気が付いたらしかった。目が合った彼女の、その表情が少しこわばったように見えた。僕の顔はそんなに怖かっただろうかと悲しくなったとき、信号が青に変った。白いミニバンはウインカーを光らせてゆっくりと左折していった。美術館に行くのだと気が付いて、悲しさは嫉妬に近い感情に変わった。自分でも何故そうなるのかはわからなかった。

 交差点を渡ってそのまましばらく歩いた。気が付くと僕は歌をくちずさんでいた。サイモンとガーファンクルのアメリカという歌だった。たぶん最後の方でニュージャージーの高速道路を走る車を数えるという歌詞があったからだと思う。眠っているガールフレンドに、そうと知っていながら男は話しかける。キャシー、俺は失くしちまったんだ。からっぽでつらくって、でも、それがなんでなのかさえも俺にはわかんないんだ。

 最後の繰り返しも歌い終わったころ、視線の先で電車が高架橋を走っていくのが見えた。電車は左手側から減速ぎみにやってきて、右手側に見える駅に停まった。僕の目指す先もその駅だった。走ってもどうせ間に合わないので、その電車が再び走り出すのをそのまま見送った。どうせ電車は十分に一本来るのだ。駅まではここから普通に歩いてあと五分といったところだ。それくらいの距離から電車が線路を走る音を聴くのは、悪い気分ではなかった。駅に着くまでにもう一本、反対方向の電車が同じように駅に停まりまた出ていった。

 駅に着くと、僕は切符販売機へ向かった。駅は大した規模ではないが近代的な清潔感のある建築で、ひとけがなくやけに静かだった。電車が来るのは二階の高架上で、一階に改札口や駅務室など関係の設備施設が集まっていた。僕は切符販売機の前で千円札を入れてから、どのボタンを押せば良いのかわからず途方にくれることになった。切符販売機のボタンは140~1620までの数字を無機質な赤いデジタル数字で示していた。むろん行き先と一致する運賃のボタンを押せばいいのだが、運賃表が見当たらなかった。近くに駅員も見当たらなかった。代わりに、遠くから電車がこちらへ走ってくる音が高架を伝い響いてきた。適当なボタンを押すしかないようだった。僕が行きたいところは近くはなかったが、かと言ってすごく遠いところでもなかった。あてずっぽうな気持ちで、僕は820のボタンを押した。券売機がピーという音を鳴らして切符と180円を吐きだし、僕はそれをひっつかんで改札へと走った。どこまでも行ける切符なんてないのだと思った。少なくとも僕はそんな特別な客ではないのだろう。

 電車はやけに客が少なかった。数少ない客は、みんな旅行帰りのようなスーツケースやキャリーバッグを持ち込んでいた。ほとんど手荷物のない人間は僕だけのようだった。あるいは僕はそういう類のものをぜんぶ置いてきてしまったのかもしれなかった。車両はがらがらだったけれど、なんとなく座りづらくて、降口のそばに立った。やがて電車はゆっくりと動きだした。もうここには戻ってこれまいと僕は思った。そして、それと同時に、僕はここで何を得たのだろうと思った。手荷物さえ持たない僕は、あるいは、何かを失ったのだろうか。今僕の両手の中には何が残っていて、そもそも僕は何を掴もうと手を伸ばしたのだろう。なんとなくゴーギャンの最期の絵を思い出した。さっきの女性はそろそろ美術館に着いたころかもしれない。

 線路の継ぎ目を通過するのに合わせて、電車はがたんと揺れる。スピードが上がるにつれて、音と揺れの間隔も短くなっていった。窓の外には西の、今日僕が歩いてきた道が見えた。交差点の信号機が見え、高くそびえる鉄塔が見え、それより大きい青空が見えた。西の空はコントラストの強い緑稲と山の木々によく映えた。もう二度と見られないかと思うと、僕は余計にその美しさに尊い気持ちがした。僕はこの先、何度も何度も、この景色を思い出すだろう。しかし、それは時の流れに負けて、いつか消えてしまうものだ。記憶なんて何の役にも立たない。ただ置き去りにされて、雨に打たれ、風に晒され、だんだんとその色を失っていく。永遠なんてものはどこにも存在しないし、この電車が心とか魂の在り処に辿り着くこともない。

 車内に傾いた西日が陽だまりをつくった。その陽だまりの中に僕の影が落ちた。西の光からぬくもりを感じる。ただ、それでも、と僕は思った。それでも僕は、諦めないでいよう。どれだけ月日が経とうとも、汚れ損なわれようとも。たとえ何も手に入らないとしても。それだけはやめないでいた方がいいと、強く、思った。

 太陽が西へ落ちはじめると、やがて空は青から白へと、徐々にその色を変えていった。この電車がどこへ僕を導くのか、そこは空が綺麗なのかが気にかかった。それだけを考えながら、僕は窓の外の景色をいつまでも見続けていた。


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