いないコンサートのこと

 今回のコンサートは見送ろう、と、思っていた。松島くんがおやすみだからだ。私はセクシーゾーンのみんながみんな同じくらい大好きないわゆる『箱推し』である。でも、いつも松島くんのうちわを持ちながらグリーンのペンライトを振っている。松島くんは私のとびきりの『推し』である。好きなアイドルに推しなんて言葉を使うのはたいへんこっ恥ずかしいため普段は使わないが、今回は形而上使う。
 推しのいないコンサート楽しめるか問題。
 あるいは、楽しんでいいのか問題。
 結果から言うと、壮絶セクシー楽しかったのである。4人のセクシーたちが登場した瞬間にボルテージが何段階も上がる会場、横浜アリーナを走り回る4人、動と静のバランスの取れたセットリスト。4人がこだわった楽曲。たくさんの元気をくれるMC、おおきなセクシーゾーンコール。
 そして、はじめて泣くことができた。松島くんが休止を発表してから、ジャニーズを退所したわけでも、セクシーゾーンを脱退したわけでもないうえに、松島くんはいままでがんばりすぎてきた分おやすみを取るだけだから、なにもかなしむことはない。そう思っていたけど、ずっとこまめに書いていたファンレターが負担になるんじゃないかと思って出せなくなったり、アイドルとファンの関係性がそもそも誤っている可能性などのことを強く考えて頭を抱えていたので、私が泣くことはただの逃げでしかなかった。でも、さいごのさいごで涙がとまらなくなった。松島くんはコンサート会場にたしかにいたのだ。グリーンのペンライトもたくさん光っていた。コンサートがはじまる前、松島くんのメンバーカラーに光る横浜アリーナがとてもとてもうつくしかった。ちなみに私はセクシーゾーンのコンサートに行くといつも赤ちゃんみたいに泣いてしまう。セクシーゾーンのコンサートでは愛をたくさんたくさん可視化してくれるので、ありがたくていつも泣いてしまうのだ。松島くんがいないコンサートだから泣いたのではなくて、松島くんがいないコンサートでも泣けたのだ。
 松島くんが拠ん所無い事情でおやすみしているとはいえ、みんな揃ってこそのセクシーゾーン、5人が横並びでいるところが観たいんだから、そんなふうに思っていた。それはコンサートを経ても変わらない気持ちだ。それは主にセクシーゾーンが3人だった時期、松島くんとマリウスくんがいなかったことを経て培われた意識だろう。君にHITOMEBOREなんていまや5人で歌う大好きな曲になっているけど、3人だった時期のCDはカラフルEyesが発売されてはじめて満を持して開封できた。松島くんはセクシーゾーンのメンバーのまま活動を休止している。その違いはあるけれど、はじめての、4人の「セクシーゾーンの」コンサート。ファンクラブからのコンサートのお知らせはあまりよく読めずに机の上に置きっぱなしだった。松島くんが不在のなかでも4人がセクシーゾーンとして活動しつづけていることは、私にとって途轍もない救いだったけど、松島くんがいないコンサートで、だれがペンライトを振ることができるというのか。無為に申し込みの締切日を迎えようとしてくれたとき、友人がいっしょに行きませんか、と、誘ってくれた。チケットが当たって(自名義は外れた。自名義でチケットが当たったことがない。みんなありかとう)日程が決まって、推しのいないコンサートにいる自分がにわかに現実味を帯びていく。
 コンサートに行くことでもっとも危惧していたのは、松島くんのいないコンサートなのに、楽しい、と、思ってしまったらどうしよう、ということだった。楽しめなかったらどうしよう、ではなかった。松島くんがいなくちゃダメなのに、松島くんがいなくても大丈夫なふうになってしまうのではないか。絶対にそんなことはないんだけど、松島くんのいないコンサートで笑って、キャアキャア言って、自分はそれでいいのか。不誠実なのではないか。不義理なのではないか。自意識過剰なのでそんなことを考えていた。蓋を開けてみれば4人にスポットライトが当たった瞬間に断末魔を放つ自分がいた。ペンライトの色をコロコロ変えて応援するセクシーゾーンのコンサートもまた一興だった。4人が走り回ってそれぞれが何度も目の前に来てくれたおかげで、目が泳がずに済んだ。箱みたいなのに乗って客席をズイ〜と横断するとき、みんなのセクシーに当てられた目が潰れた。椅子のときも目が潰れた。4人が一生懸命で、でもやっぱり松島くんがここにいたら、と、思う場面もたくさんあって、その余白も含めてセクシーゾーンがあたらしく作ってくれたアルバムのページなのだろう。私たちよりも寂しいはずのセクシーゾーンが、私たちよりもニコニコキラキラで、ステージを端から端まで走る姿に、ほんとうに元気をもらった。松島くんの居場所はずっと4人のそばにあるのだ。4人が、5人のセクシーゾーンとしてステージに立ち、すてきなコンサートを続けてくれていることがうれしかった。グループでうたう歌のとき、ペンライトをグリーンにしても大丈夫な雰囲気がうれしかった。
 至極どうでもいいことだが、私はちいさいころストレスが原因で吃音症になったことがある。そのとき、周りは誰も私を遠ざけず、ちょうどいい距離感で見守り、好きなことをさせてくれた。だからいまは、話しかたはすごくゆっくりになってしまったけどスッカリ治ったのだ。松島くんもそうであってほしい。それでもしも、数ヶ月、数年、もっとたくさんの歳月が過ぎても、またアイドルとして、セクシーゾーンとして、ステージに立とう、と、思える日まで、たのしいことや好きなことをたくさんして、あるいはなんにもしないでゆっくりしてほしい。横浜アリーナ最終日の夜公演で、メンバーの口から松島くんの名前が出た(らしい)ことで、何年でも待っていられる、と、安心した。セクシーゾーンが大好きだ。アイドルを好きになることができたのはセクシーゾーンのおかげだし、ずっと好きでいられるのもセクシーゾーンのおかげだ。そもそも生きていられるのもセクシーゾーンのおかげだ。推しのいないコンサートも楽しい。ただ、推しがいてくれたらもっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっと楽しい。この世界のすべてはセクシーのおかげだ。セクシー大明神だ。
 セクシーを信じろ!