見出し画像

茶道と武道の意外なカンケイ

みなさん、茶道というとどんなイメージですか?
堅苦しい、足がしびれる、敷居が高い、お金がかかる・・・・
なにより、ただ抹茶を飲むだけなのに、ああしろ、こうしろってめんどくさいじゃないですか、ねえ。

それでずっと避けてきたんですけど、でもどこかでコンプレックスみたいなものがあったのも確か。
「私の知らない世界があって、そこに行けない私」みたいな。

で、あるとき突然、その対極構造を打破したくなったんですね。

それでお茶のお稽古を始めてみたんです。そしたら、なんか思いもよらない世界が広がっていて・・・。

茶道には、所作が細かく決められていて、「ここではこういう手の動き」とか、「茶せんはここに置いて、棗(なつめ)はここ」とか、「ここは3歩で」「ここでは右足から」「ここでは左足を引く」「畳を擦るように歩く」とか、ものすごいマニュアルづくしなんですよね。初心者は先生の言うとおり動きながら覚えていくんですけど、最初は本当にロボットみたいな動きになってしまいます。(擦り足だけはなぜか絶賛されたんですけど)

いらちの関西人としては、「どうでもええやん」と思ってしまうのですけど、それをこらえてお稽古を続けていくと、わかるんです。実はこの動きが一番効率がいい、ということが。実際、所作を無視してお茶を点ててみると、それがよくわかります。

そういう無駄を排した究極的な動作がある一方で、「これは一体なんのまじないか?」と思うような所作もあるんですよね。

袱紗(ふくさ)と呼ばれる絹織物のふきんみたいなものを折りたたむ「ふくささばき」がそれ。
「たかがふきんを折りたたむだけなのに、この複雑怪奇な動きはなに?」

実は、中学の時に入った煎茶部で、このふくさの折り方がどうしてもできなくてすぐに退部したという前科があったのです。よってここは最大の難所だったんですが、そこは大人ですから、中坊の時よりは堪え性ができたのか、先生のインストラクションの通りにやればできました。

「ふくさを構える時は、大木を抱えるように」
「ふくさを左ひざの上で縦にして、三つ折りにして」
耳で聞こえる先生のインストラクションに従うだけなんですが、まあ、先生がよかったんでしょうね。部活の頃は、中坊が中坊に教えてただけでしたから・・・。

それで、何度かふくささばきの稽古をしていて、「『大木を抱えるように』ってどこかで聞いたことがあるな。」ってぼんやり考えていて、はっと気づいたんです。

「これって弓を構える時とおんなじやん!!」

高校の時、弓道部だったのです。その時の身体感覚と、今ふくさを持ってる自分が時空を超えて出会ったような衝撃が走りました!

先生が、「茶道はもともと武士のたしなみだったから、武道とも関係があるそうですよ」と言っていた意味が、自分の身体感覚として理解できたのです。そりゃ、擦り足褒められるわけです。自分では意識してなかったけど、カラダが覚えていたんですね。

で、なんでお茶と弓?ですよね。
多分ですが、「的に向かう時の心構えで茶を点てる」ってことなのかな、と自分では解釈しています。つまり、「無心で」ということです。

所作そのものは、弓道の動きが取り入れられていますが、剣道や柔道、合気道なんかも、精神と身体感覚の捉え方は基本的に同じなので、武道をやったことのある方なら、茶道のこむづかしさをひょいと超えて楽しめるかもしれませんよ。

日本人なら分かる感覚、とでも言うのかな?
そういうの、大切にしたいな、とおもいます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?