見出し画像

立派になれない私の話

いつのときも「立派になる」ことがいいと思っている。立派でないよりは。

小さいときは、「いい子」を求められた。誰かの言うことを聞く子は褒められる。そんな価値観は今もある。子供ながらそうしようと思ったからこそ、社会のなかで生きれるようになったと思う。社会に適応できないのは、人の言うことを聞けない、わがままだというわけではない。きっと、聞き続けることに疑問を持ってしまったからなのだろう。

今社会で役になっている人は、少なからず人の言うことを聞ける人なんだと思う。革命児と言われる人も、誰か知らない人の共感を得ているわけだし、そうでないなら孤立して、名前など広まっていない。

大人になったとき、人の言うことを聞くことと、立派になることは違うとわかった。立派になるには、自分が自分以外の人に役に立つと認めてもらわないといけない。最終的には共感を得ないといけない。味方をつくり、協力者をつくらないと大きなことはできない。

そんなの聞いていない。立派な人になる方法なんて聞いていない。人の言うことは聞けるようになったけど、立派にはなれていない。なりたいか、といえばなりたい。でも、なれない。

立派な人の言うことは聞ける。できることはそれぐらい。でも、立派な人って誰?政治家?誰だろう?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?