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さよなら、トーキョー。

今から1年ほど前、夏もうだるような暑さのなか僕は東京に引っ越してきた。前職を辞めて1ヶ月、東京で職につくためにバカみたいに高い初期費用を支払って、単なる利便性だけの理由で、欲しくもない「デザイナーズマンション」という冠をつけたこのマンションに住み始めたのだ。

田舎育ちの僕と東京という都会

岡山生まれ岡山育ち。岡山といえど郊外で、生粋の田舎っ子である。幼少期には公営団地に住んではいたが、そこに「最寄りの駅」はなく、車が唯一のライフライン。バスが走ればいいほうで、車がないと日々の買い物にも困るようなところだった。中学は数キロも離れているのに自転車通学が許されておらず、周りが隠れて近くまで自転車で通っている中、真面目な自分は毎日徒歩30分以上かかる道をRTAのように早足で通い続けた。家に帰ればインターネット。2chやチャットに没頭していた。休みの日には家族みんなでショッピングモールに行き、その帰り道の国道脇にある回転寿司店で食べる寿司がごちそうだった。そんな少年期を過ごしていた。

18歳になれば誰だって自動車免許を取る世界だった。自分は免許をとった後、親が乗っていたお下がりの軽四をあてがわれた。

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日々の買い物や、自宅からたった1キロ先の学校、ちょっと離れたバイト先にだって車で通い、週末にもなれば友達を連れてあてもなく県外までドライブに行く。山口県に用事があれば国道2号線をどこまでも運転し、交通費を浮かせようと頑張った。免許を取ってから就職するまでの4年間で数万キロは運転しただろう。田舎者だって侮るなかれ、車があれば広々としたパーソナルスペースを持って、日々の買い物から通勤・通学、旅行までどこにだって行ける自由がある。

田舎者でオタクの僕はモノの価値観なんてのも適当だった。服はユニクロで買ったジーパンとTシャツ。ファッション性やブランドになんて目もくれず、重視するのは価格と品質。近所の大きなホームセンターがたのしいお買い物スポットだし、家電量販店だったら一日中だって居れる。おしゃれな小物より機能性のあるもののほうが好きだった。

そんな生活を社会人になる直前まで送っていたのだ。

こういった人間が都会・東京で暮らし始めるとどうなるか。「息苦しい」ただそのひとことに尽きる。

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まず買い物がつらい。おしゃれで雰囲気のいい店や有名ブランドのフラグシップ店は山程あるが、自分はそんなもの必要としていない。目的が満たせるのであればモノは安い方がいい。少し大きめの家電量販店と、ホームセンターがあれば生きていく分には事足りていた。なのに今では電車を使って数駅も先、車がないから少し大きいものを買ってしまった日には持ち帰るたってそうはいかない。社会人になって、その年齢で、金だってそこそこあるのにこの価値観はどうなのって自分でも思うが、ブランド店に入る勇気なんてこれっぽっちも持っていない。人の価値観なんてのはかんたんには変わらないのだ。

なにより毎朝の出勤電車がつらい。事前に調べて知ってはいたが、悪名高き田園都市線。混雑とかいうレベルじゃない。もはや人権がない。東急は田園貨物線として全車両コンテナ車として運用したほうがいいだろう。

一応引越し前にこうなることを見越していたので、部屋探しではバス通勤が可能かどうかも判断の材料だった。電車が嫌ならバスを使えばいいじゃない。けどまあ現実は甘くない。電車ほどではないものの、雨が降ったらもう終わり。積み残しなんてしょっちゅうで、道路が混んだら1時間コース。

でも、出社しなければ仕事はできない。出社するために自分は東京に住まわねばならない。

そんな固定概念にとらわれて、僕が東京に住み続けて数ヶ月が経った。

「明日から全社在宅勤務体制にします」

そんな生活の中、2020年に入り、昨年の暮れ頃から海外で騒がれていた新型コロナウイルス感染症がいよいよ日本でも猛威をふるい始めた。それでもまだ身近な人が感染したって話は聞かないし、自分にはあまり関係ないなんて思いながら、いつもどおり家に引きこもっていた日曜日、会社から緊急連絡が入った。

最初は「おいおいマジかよ やりすぎだろ」という半笑いな感想が出たが、会社の方針なら仕方ない。私は幼少期から至って真面目な人間なので、上の方針には従うのだ。その日のうちに会社に行って、MacBook Proを持ち帰り、次の日からの在宅勤務体制に備えた。まあどうせ数週間で終わるだろうと思っていたのも束の間、それから日本国内の感染者数はあれよあれよと増えてゆき、4月には緊急事態宣言まで出る事態となってしまった。今となってはあのタイミングで在宅勤務に移行したのはいい判断だったと思う。会社の知名度も向上したし、なにより外出しなければ感染し感染されに怯える心配もないので心理的安全性が強い。

とはいえ現場はこの変化に対応するためにあくせくしていた。ただ最初のほうこそ急な環境の変更やコミュニケーションに手こずっていたものの、数週間もすれば環境は整い、コミュニケーションも試行錯誤でどうにか保てる体制になった。インターネット黎明期からネット文化を支えてきた企業なだけあって、社員全員がネットを通したコミュニケーションにそれほど抵抗感がないというのもあるかもしれない。かくして東京に引っ越してきて数ヶ月、契約したときはまさか自宅で仕事をすることになるとは思っていなかったが、無理して少し広めの部屋を借りて正解だったのである。

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だが在宅勤務とほぼ同時に別の問題が僕の元へ降りかかってきた。上の階の住人の生活音がやけにうるさいのだ。本当は住み始めた頃からずっとうるさいことを気にしてなかっただけかもしれないが、本当に朝から晩までずーっと何かしらの生活音が響いてくる。足音みたいなかわいい物ではなく、ローラーを転がすような音だとか床を叩く音だとか、一体それが何によって発生している音なのかがまったくわからないため心理的にやられてしまう。ひどいときは深夜3時や朝5時にその騒音で叩き起こされ、その時の心情は穏やかではない。管理会社に電話したってやってくれるのはせいぜい張り紙1枚程度。夜に警察が来たこともあったが、次の日になれば通常営業。景気よく音が鳴り響き続ける。結局自分は騒音で寝れず、加えてストレスで精神をやられ、ついに仕事にまで支障をきたすようになってしまった。

「実家に帰ろう」

3月中旬、世間やテレビは首都封鎖や緊急事態宣言の話題でもちきりで、都知事は「不要不急の外出は自粛」なんて言葉を連発していた。そんな中、僕は岡山の実家に帰る決心をした。このタイミングでだ。でも仕方なかった。自身でも「こんな時期に身勝手な移動が許されるだろうか」と頭を悩ませた。しかしもう逃げ場がないのだ。管理責任のある管理会社も、公権力のある警察も、誰も自分を助けてくれない。自分の身は自分で守るしかない。

3月26日 早朝 僕は新幹線に乗って東京を後にした。

岡山駅に降り立つと、親が迎えに来てくれた。ようやくあの窮屈な日々から解放された瞬間だった。

しかし実家に帰ってすぐは徹底的に自分の部屋でおとなしくすることにした。東京から来た自分が迂闊に出歩くのはよくないことはよく理解していた。自分は1月末から在宅勤務で通勤もしてなければ外出も極端に減っている。東京のそのへんを歩いている人よりは感染している可能性は低いと思うが、帰る道すがらもらってしまっている可能性だってある。実に2週間、近所のコンビニすら行かず、外出しても自動販売機でコーヒーを買うぐらい。親とも食事を別にして、風呂は必ず最後に入った。

しかし、そういった中でも実家での生活は快適そのものだった。そもそも家の外に出たところでほとんど誰も居やしない。散歩したって人に会わない。勝手にソーシャルディスタンス。密になるほうが難しい。東京で生活していた頃に比べれば精神的余裕がまったく違う。学生時代に使っていた車はもう売ってしまっていたが、実家には昨年知人から譲り受けた原付が置いてあった。そいつを使えば買い物ぐらいは行けるし、気晴らしに近所を軽くツーリングすることだってできる。

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田舎だからなにもない?スーパーとドラッグストアで買えないものがほしいのかい?ホームセンターか家電量販店に行けば大抵のものは置いてあるよ。今は営業してないけれど、ちょっと遠くまで行けばショッピングモールもあるよ。それでも買えないものだったらインターネットで通販だね。まあ配達まで3日はかかるけど。

僕は田舎を謳歌した。

たった数ヶ月で"住む場所に囚われない時代"へ

それから数ヶ月間、東京の自宅に帰ることはなく、ずっと実家からリモートワークを続けていた。テレビをつけると「緊急事態宣言が終わり〜」などという報道がされていた頃、会社が今後永続的に基本出社を必要としない体制になることが発表された。前々から東京オリンピックに向けて在宅勤務をできるようにしようという機運はあったが、正直言って全社員ができるようになるにはあと数年かかると思っていた。そんな変化が今年に入って急速に進み、たった数ヶ月で達成したのだ。本当にすごいことである。2020年、ついに自分にも仕事で住む場所に囚われない時代がやってきた。

僕はすぐさまこのことを親に報告した。すると、親は言う。

「じゃあもうこのままずっと岡山に居れるね」

その言葉を聞いたとき、ハッとした。そしてすぐさま実家に住もうという気にはなれなかった。この数ヶ月、実家に居て思ったのは「ここは田舎すぎる」ということだった。流石に自分でも「天の邪鬼すぎるなあ」という気持ちはあったが、やっぱり実家で生活するには「自分の車」がないと如何ともし難い。原付だけだとせいぜい行けて隣町。雨の日は親が車で仕事に行ってしまえば行動不能で、コンビニすら行くのがつらい。自粛期間中は我慢できたが、今後もずっととなればになれば話は別だ。じゃあ車を買えば?となるのだが、お金も必要だし、維持費も高い。まさに今思わぬタイミングで自分が人生の岐路に立たされている。まだ26歳。この年齢で、見知った土地で、ぬくぬくと自適な実家暮らしライフをするのはアリなのか?

それとなにより住む場所が自由になったといえど、どこに住むかはよく考える必要がある。今後も年に最低4回はオフィスに行く必要があるとのことだし、今でこそ無いが、近いうちに実際に顔を突き合わせてやったほうがいいような仕事だって出てくるだろう。かといって東京の自宅に戻るという選択肢はなかった。緊急事態宣言が終わったって騒音の原因が解決することなんてありえない。まったくもって自分の過失ではないので最悪だが、戻るにしたって引っ越しが必要なのだ。

実家ぐらしか、引っ越しか。引っ越すにしたってどこに住むのか。

………
……

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そういえば、前から住みたい街がある。
青い海、青い空。そこには"彼女たち"も住んでいる。

拝啓、トーキョー。

ついに僕はここを出ていく決心をしました。

もともと通勤のために借りていたような部屋です。通勤やたまのイベントの参加には便利でしたが、まさかこの部屋で仕事をするようになるとは思っていませんでした。しかしこの一年を振り返ってもこの家や街にあまり思い入れが湧かなかったように思います。窮屈な東京という街で、小さな部屋に詰め込まれ、首都を構成する900万人のうちの1人として生活をしてきましたが、自分に東京は向いていないと痛感する日々でした。

だけど今年に入って、たった半年足らずで社会の構造そのものがまるで変わってしまいました。これは本当に大変なことです。そしてその結果、僕は東京という土地に縛られることなく、今まで通りの仕事ができることになりました。この状況で、起きている変化のすべてが決して良いことだけというわけではないというのは理解していて、また以前のような生活ができるようになってほしいと願う気持ちも持っています。だけど世界はもう元には戻れないところまで来てしまいました。そしてその変化のさなかを生きている若い僕たちは、この社会の変化を少しずつ受け入れて、適応しながら生きていく、そういう使命があるのだと思っています。

今朝、引越し業者が来て家財道具をすべてを運び出していきました。なので今夜から硬いフローリングの上に寝袋で雑魚寝です。けど、明後日の朝にはこの部屋を出ていって、新天地へ向かおうと思います。そこは前から本当に住みたいと思っていた街です。そこにもうすぐ住めるのです。今でも奇跡みたいだって思います。

この挑戦が成功するのか失敗するのかはまだわかりません。本当に今は不安で仕方ないのです。だけど、無茶だってやってみないとその先はわからないですよね。

最後に、短い間だったけど、いままでお世話になりました。

さよなら、トーキョー。

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