(日記)おしゃれなカフェで優雅にコーヒーを飲んでいるおねいさんは人生が全てうまく行っているように見える
毎日ネット麻雀をやっている。ついでに将棋もやっている。
麻雀も将棋も(控えめに言って)結構うまくなっていると思う。
なぜそう思うのかというとやっていることが細かいからだ。
もうざっくりとしたテクニックはすべて覚えてしまった。
勝負は常に紙一重とかいうけれど、勝つためには細部にこだわる必要がある。もう将棋をやっていても麻雀をやっていても似たようなストレスを感じる。ただ楽しくアニメをみながらやっていた麻雀ではない。(例えば、裏ドラになる確率まで考えて一打を考えている)
よくよく麻雀を考えてみると、中級者以上のプレイヤーはみんな河を観察している。序盤、🀇か🀙どちらも浮いている状態でどちらを先に打つか?
他家がどう思うかを考える。それによって他家の一打が変化するかもしれない。それが連鎖していけば、バタフライ効果となるだろう。
それによって誰が上がるかが違ってくる。序盤、なにを打っても同じような場面でもそれが終盤に効いてくる。
そんなことを考えながら半荘を打つと疲れる。もはや仕事なのかもしれない。
風呂掃除をしてみても適当に「やった感」で終わらせるのか、パッ見では分からない場所まで掃除するのかというのは全然違う。
本棚の裏のホコリはノーカウントでいいのだろうか?
おそらく99%の人間はノーカウントだ。いちいち本棚を動かして掃除なんかできない。
今日おしゃれなカフェで優雅にコーヒーを飲んでいるおねいさんは人生がすべてうまく行っているように見えるがそんなことはない。持病があるかもしれないし金に困っているかもしれない。転職したいと思っているかもしれない。世の中に完璧な人なんかいないのだ。
で、結局何がいいたいのかというと、麻雀でも将棋でも風呂掃除でも、筋トレでも読書でもnoteの書き方でもプログラミングでも猫を飼うであっても全部最終的に極めようとすると細かい話になっていくということだ。
プロとアマの違いでもある。どうせ何を職業としても細かい話になっていく。心臓外科医なんか大変だと思う。でも心臓外科医でも土方でも細部にこだわれば同じだけ疲れるような気さえする。もらえるおちんぎんが職業によって違う世界だから自分が好きなことを仕事にした方がいいだろう。
で、結局何がいいたいんだろう? こんなふざけた文章を書いている私はnoteのアマチュアだから許してちょんまげ