見出し画像

【ピザ・ロード・トゥ・ホーム】

ニンジャスレイヤーAoMの二次創作小説です

 ボボボ、ボボボボボ、ボボンボボボボボ。
 電子柵に囲まれた緑豊かな川のほとり、「タマリバーほとり公園」の爽やかな空気を、気の抜けた雑音がかき乱す。重金属酸性雨は昨夜早くに止んだきりで、道路は乾いていた。ボボ、ボボボボボ、ボボボボン、ボボボボ。散歩バイオドーベルマンに追い抜かされながら走っていたスクーターは、【駐車場こっちな】の標識ギリギリでウィンカーを点滅させてから危なっかしく左折し、駐車スペースでエンジン停止した。ボボボン、ボッ……キュイ。ドライバーのゴーグルからは、黒まじりのくすんだ金髪が飛び出している。

 どら声。ミットに球が吸い込まれる乾いた音。湿った風に軋むフェンスは塗りなおされて斑模様だ。駐車場端のイベントカースペースには、黄色い装甲ピザワゴンがルーフを上げ、『焼きたてピザ』のノボリがはためく。「タキ=サン! こっちこっち! こっちだぜ!」窓から首を突き出し、しきりに手を振るプエルトリカンの少年に舌打ちし、ドライバーはしぶしぶゴーグルを引き上げた。

「何だってオレが……」土手沿いに降りてきた二人連れの客が注文している。ザックが二度頷き、引っ込んだ。タキはピザワゴンの方角へ歩きながらグラウンドを見た。キタノ地区の見知った面々が小汚いユニフォームで円陣を組んでいる。ひときわ目立つのは、鮮やかなオレンジ色のポニーテール。敵陣でも似たような面々が、土埃にまみれてキャッチボールを行っている。キタノ地区vsミナミナ地区の地区対抗草野球だ。

 タキは後部出口から厨房スペースを覗いた。一段高い厨房スペースで、ザックがせわしくピザを手持ちサイズに丸めると、公園のゲートボール老人客に手渡している。「うちのトマトソースは手作りだからウマいぜ!」「キョートの孫も同じくらいの年かねえ」老夫婦が和やかに去っていく。客を見送ると、ザックは苦虫を嚙み潰したような表情のタキに近寄り、跪いた。「頼むよ、思ったよりお客さんが来ちまって、俺一人じゃオペレーションが回らないんだ。タキ=サンだけが頼りなんだぜ。コトブキ姉ちゃんはそろそろ試合だしさァ」「あのなァ、店が休みだろうが何だろうがオレはアレでその……とにかく忙しいんだよ!」

 タキは黒い指を突き付ける。ザックは食い下がる。「トッピング技術、スゲエじゃねえか! タキ=サンがいてくれりゃ百人力なんだよ」「……そりゃお前オレは……だからってなあ……」「タキ=サン!」タキは飛び上がった。肩越しにコトブキが微笑んでいる。『きたの』と書かれたネイビーのベースボールキャップに、オレンジ色のポニーテールが揺れている。「来てくれると信じていました!」

「もうすぐ試合が始まりますので、よろしくお願いしますね! キタノ地区のみなさんへの恩返しができて嬉しいです」「恩返しなァ……」タキは唸った。「そもそもお前が出る必要あンのかよ。野球なんてな、聞いてねえぞオレは」コトブキは神妙に頷いた。「実際助っ人です。タイワ=サンとオイド=サンがセイケン・ツキのし過ぎで骨折してしまったので……けれど、助っ人は私だけではないのですよ!」コトブキが手を振った先には、パーツ屋のケドワキと二人一組で柔軟体操をしている中年男。「ピザスキ、キタノ支店のニコダワ・カカリチョです! チームメンバーが足りないと聞き、急遽駆けつけてくれたのです。義心です」「なんだって!?」「敵ながらアッパレ……」

「ピザスキが来たってことは、ピザスキ・ワゴンも後から来るかもしれないンだ。今から先に売って少しでもリードしておかないとさ」「地域の皆さんのコミュニティスペースを提供する立場としては絶対に譲れません。ピザタキがナメられずにやっていけるかどうかの瀬戸際なのですよ!」「そうだぜ! ピザでも野球でも負けていいわけないぜ!」「そうです!」「アーッ! うるせえ!」タキは両サイドから迫る二人を押しのけた。

「コトブキ=サン! 試合が始まりますよ!」「ハイ! タキ=サン、頼りにしていますからね! 応援してください!」コトブキは手を振りながらグラウンドへと駆けていく。強風に砂煙が舞う。オレンジの毛束が踊り、ノボリは激しくはためいた。「また客が来ちまった! タキ=サン、頼むよォ。オレ一人じゃ無理なんだ。タキ=サンがいないと」「仕方ねェな……」タキは大仰に溜息をつき、緩む口元を引き締めながら、ピザワゴンに乗り込んだ。

 敵チームも遅れて円陣を組んでいる。ミナミナ地区は、キタノ地区とは大通りを挟み睨み合う、似たような治安悪化区域である。平時はさして気にも留めない近くて遠い隣人関係ではあるが、このような対抗戦においては月並みの敵愾心を抱き合う。キタノ地区とさして変わらぬ面構え、小汚いユニフォーム……否。タキは眉を上げた。洗い立てのような白いユニフォーム姿が二人。どうやら羽振りがいいと見える。タキは舌打ちした。

「ニコダワ=サン、頑張りましょうね! 昨日の敵は今日の友といいます!」「ハハハ。今日はお互い死力を尽くしましょう」がっちりと握手! ニコダワは痺れる両手を揉みながら敵チームを見た。ニコダワはピザワゴン事件の後に昇進・異動してきたばかりの新カカリチョであり、既存社員に比べピザタキへのライバル心は強くない。所詮は客層の違う貧弱な個人経営店。常であればとうに潰されているはずが、未だ生き延びているのは不可解ではあった。本社には何らかの考えがあるのだろう。藪をつついて蛇を出す気はなかった。

 そう、敵はピザタキなどではない……。ピザスキ・ミナミナスクエア支店。キタノ支店の好調に勢いづいた本部が出店をかけたばかりの新店舗だ。ピザスキ同士とはいえ、週に一度ネオサイタマ本社で営業成績を競い合うライバル関係でもある。ナムサン。この試合はいわば、地域貢献により売上を奪い合う……ピザスキ代理戦争である。ミナミナ支店もまた、ピザスキ本社から助っ人を派遣している。

 風が雲を押し流し、雲間から光が差し込んだ。1回表、ミナミナ・コークスの攻撃! 向かい合って、礼! 散開! プレイボール! 「イバカミ=サン! 頑張ってください!」ショートの守備についたウキヨが、中腰でマウンドへ声援を送った。ピッチャーが靴裏を擦る。土埃が舞い上がる。風に乗ってほのかなピザ・ソースの香りが届く。外野深くに構えたニコダワは、憎々しげにピザタキ・ワゴンを睨んだ。ピザ待機列ができている。
 
「「「ミーナミーナミナミナミーナ!」」」ミナミナベンチから応援コール。「「「ヨッヨッヨッヨテーテーテ! ミーナミーナミナミナミーナ! ヨッヨッヨ!」」」キタノ・ヤキイモーズの中年投手が、両手を空に向け、振りかぶる。「ンンン……ンアーッ!」パシィン! 遅いスイング! 空振り!『ストライーック!』「ナイスボールです!」「シマッテコーゼ!」

 ニコダワは首をめぐらせる。ミナミナ・コークスベンチにはあからさまに地元住民とは毛色の違う男たちがいた。ミナミナ支店の配属社員ではない。……新規出店直後ゆえのトラブルを懸念したか。それとも、周辺住民への非敵対的アピールを行うためだけに、わざわざ本社営業部からの派遣を? だがそれは……「ピザスキ=サン! 行ったぞ!」「エッ!?」「下がって下がって!」気づけば頭上近くに、白球が――「アイエッ!?」痛恨のエラー! 走者は二塁へ! 「「「ミーナミーナミナミナミーナ!」」」応援チャントが沸いた。「「「ミーナミーナミナミナミーナ! ヨッヨッヨッヨ!」」」

「まだまだこれからです! ドンマイですよ!」ショートから声が飛ぶ。以後の勢いは続かず、2番打者は凡退。続いての3番打者もファーストゴロで、攻守交代となった。「スミマセン」「ドンマイですよ!」「今度ピザおごってくださいよ!」「負けた地区は試合後のウチアゲ・パーティ全額オゴリですからね!」「まあ! そうなんですか?」「恒例だぜコトちゃん」「負けてられねえな! ピザスキ=サンもよ!」ニコダワは曖昧に笑った。強引な戦術で既存顧客を奪い取り、ピザスキは常にネオサイタマのピザシーンを席巻している。だが……地域住民にとって「いけ好かないメガコーポ社員」であったニコダワのエラーは、サイオー・ホースめいてキタノスクエア住民の敵対的感情を和らげることに成功していた。

 ◆

 1回裏、キタノ・ヤキイモーズの攻撃。「「「キッタッノ! キッタッノ! ウーセウセウセウセウセイシモ!」」」「イシモ=サン! ファイトです!」ベンチから声援を送り、自身も応援チャントに混じろうとしたコトブキは、ふと、敵チーム投手の佇まいに不吉なものを覚えた。ただならぬ身のこなし。マルゲリータ・ピザ柄のメンポ。何よりも、「背番号が……222……?」「注意してください。敵バッテリーは、ピザスキ・ミナミナ支店の助っ人です」横からニコダワが囁いた。

 バッテリー。コトブキはキャッチャー位置でミットを構えた大柄な男に注目する。彼もまた、尋常の姿ではなかった。首から足首までを黒光りするエメツ合金プロテクターがくまなく覆っている。襟や袖からのみ真新しいユニフォームの白が覗く。ジュコー。ジュコーッ。一定のリズムで腰脇の機構が開閉し、蒸気とともに排熱。キャッチャーマスク奥のリネン生地メンポはハム卵迷彩柄だ。

「油断ならぬアトモスフィアです」コトブキは慄いた。震え声で囁き返す。「もしや、ニンジャなのでは……?」「ハハハ。まさか……特殊営業課マターですよ」

 ビュオウッ! 重い風切り音が、空を裂いた。ズバンッ!『ストライーック!』ズバンッ!『ストライーック!』ズバンッ!『ストラーイックッ! バッターアウッ!』

 審判の声が響き渡る。キタノベンチは応援チャントも忘れ、静まり返った。打者のイシモが、ベンチへとふらつきながら戻ってきた。「……球が」顔色が真っ青だ。「球が、」がくがくと震え、崩れ落ちながら失禁する。「……球が、俺の目の前で……、消えた! 跡形もなく消えたんだ! ア、アイエエエエ……! 消える魔球ナンデ!?」コトブキとニコダワは恐々と顔を見合わせた。

 キャバアーン!「マイドドーモ!」素子決済と引き換えに、手早くテリヤキ味のピザ・ベントーを袋に詰める。「取り出すとき熱いから気をつけてくれよ! アリガトな!」ドッグラン客を見送ったザックが、乗り出した首を引っ込め、一息ついた。手元の光が薄くなり、車窓に打ちつける風に細かな水滴が混じりだした。「「「ミーナミナミナミナミナ……」」」気怠げな応援チャントが遠い。

 タキは強張った腰をあげ、大欠伸をした。「……そろそろノボリ仕舞っとけ。つうかピザスキも来やがらねえし休憩だ休憩!」ザックはエプロンで手を拭いながら車外に降りた。「タキ=サン、すげえ助かったよ! やっぱり店長はダテじゃないんだな! 経験豊富って感じだぜ!」「これに懲りたらオレにナメた口きくんじゃねえぞ? マジで言っとくから」「わかったよォ」ザックは頬を打つ強風に片目を瞑った。

 「「「ヨッヨッヨッヨテーテーテ……」」」カァン。低く飛んだ打球が風に流される。だが……オレンジ髪の選手が俊足で横っ飛びに……キャッチだ! 勢いで前転しながらの見事な送球! ツーアウト!

「ヤッタ! 姉ちゃん!」ザックは拳を振り上げてから、暴れ出す黄色のノボリ布を引き抜きにかかった。「勝ってんだろうな?」「待ってくれよ! 雨が……エート……8回表。……今、どっちも0点だぜ」「はあ? アイツら試合になってンのかよ。しょうがねえな」タキが呆れた。「アレだ、負けたら残念会はピザタキってな営業を……チッ。おい客だ」タキはザックを顎でしゃくり、腰を上げてトッピングに取り掛かった。

「「「キッタッノ! キッタッノ! ウーセウセウセ……」」」バシィン!『ストラーイック!』「アー……」ベンチの呻き声にすら力がない。雨の中、消える魔球の攻略法すら見出せぬまま、試合は既に8回裏、0-0。

 ニンジャらしき助っ人バッテリーには屈辱的な敬遠を駆使し、どうにかここまで無失点で来ることができた。だが、無失点なのは向こうも同じだ。「イバカミ=サン、きつそうじゃない?」「9回イケる?」「ですが、リリーフのタイワ=サンが……」「出ました!」コトブキが叫んだ。打順の回ってこない面々は、キャッチャー・オダマキ老人の胸部サイバネモニタに顔を寄せあった。

「……ここです」コトブキは己の生体パネルから仁王立ち老人へジャックを繋ぎ、撮影したばかりの録画映像を再生する。キタノ側は、打者が2巡してもなお、消える魔球の片鱗すら掴めずにいた。もはや形振り構ってはいられない。中年選手たちが食い入るようにオダマキ老人の胸部を見つめる。

 白い粉をはたき、振りかぶって、予備動作からの――投球――スロー再生……一時停止。「おいおいおいおい落ちてるってモンんじゃねえぞコレは」「消えた!」「消えてる、マジだぜ」「落ちるボールじゃねえってことか」「はい」コトブキは重々しく頷き、画面を切り替えた。「ですが、ボールは依然存在しています」赤とオレンジのサーモ映像が、投手から放たれた投球軌道を示している。「見てください。ボールはこうして……このように。まっすぐ、正常な軌道で」……ミットへと吸い込まれていく様子がはっきりと。

 再び、高解像度撮影映像に切り替え、一時停止。「ここです。確かに消えています」「ちくしょうめ! あンな球を打てるわけがない」「だがアイツら野球は素人だぜ。見ろよ、コントロールも何もなっちゃいねえ、『ただ消えてる』だけだ。俺たちが振らされてるんだよ」「ピザスキ=サン! あれアンタんとこの助っ人なンだろ? なんか情報ないの!?」「アイエッ……スミマセン、スミマセン、私にも何が何だか……私のような店長候補社員ではなかったのか……」ニコダワはしきりに頭を下げ、汗を拭った。

 ニコダワは震えながら、消える魔球が繰り返しスロー再生される様を凝視した。ピザタキ・ワゴンに対抗するピザスキ・ワゴン出店申請は済まてきたはずだ。だが一向にやって来ない。IRC返答もない。差し戻されたのか。本社の意向は、あくまでミナミナ支店のスタートダッシュ支援重点だというのか――!

『ストライッ! バッターアウッ!』ツーアウト!「アー……」「で、では私、投球練習を……ンアッ……」肘をかばいながら立ち上がった金券ショップオーナーの肩を掴んだ手がある。「イバカミ=サン。無理することはない。地区対抗野球は再来月もある、その頃にゃタイワ=サンも退院しとるだろ」オダマキ老人は厳粛に告げた。

「野球は楽しまねばな。体を壊しては元も子もない。長続きせんわい」映像配線を抜き、胸部モニタごと体内に格納しながら、オダマキ老はコトブキに向き直った。「コトブキ=サン。……今日のプレーはどれも見事だった。どうだい。初めての野球は楽しいかね?」雨と泥に汚れた頬で、コトブキは笑った。「はい! ピザタキでお話しするだけではわからなかった、地域の皆さんのこと……たくさん知ることができて、とても楽しいです!」コトブキの答えに、チーム最年長のオダマキ老人は片眉を上げた。

「どうも、先発を休ませたくてな。……9回表だけでも、投げてみるかい? 今日の記念に」「えっ」「気が進まないかね?」腰の曲がったオダマキ老人。コトブキは指を揉んだ。「あの、でも……私、ウキヨですから。力が……」「ハッハッハッハ! 儂のサイバネは五十年ものだ! 安心してどんと来るがよい! ウォーミング・アップだ!」「……はい! 頑張ります!」

「グワーッ! ギックリ腰グワーッ!」

 霧雨が降り始めた。
 コトブキは水たまりに膝をガックリとつき、涙目でオダマキ老人に縋った。「ああ……! すみません! そんな、私のせいで、オダマキ=サンが!」「い、いいのだ、コトブキ=サン……まだやれる。取れる、儂は取れる……」「無理すんなよ爺さん!」「オダマキ=サン! また腰かよ仕方ねえな!」「交換パーツはうちのローンにしとけって言ったろ! 変なパーツに手を出すからよォ!」

 パシャパシャパシャ。水たまりが跳ね、コトブキの横から、チームメイトの中年たちがオダマキ老人を慣れた様子でベンチへ引きずっていく。「変とは何だ! 五十年物の骨董品だぞ!」「グワーッ!」「骨董品だぞ!」「グワーッ!」「ヤメロ!」

『ストライク、ッツー!』審判の声が響く。はっと立ち上がり、コトブキはベンチへ駆け戻った。「ど、どうしましょう。オダマキ=サンが出られないとなると……メンバーが足りません!」「あ。そうだな」「ヤバいね」「マ? 誰か呼べない? ミボシ=サンとか」「ダメダメ」「ピザスキ=サン、店員さんすぐ来れる?」「いえあの、どうも……内部規定が」ざわめくベンチ!

 コトブキは、ごくりと唾をのんだ。「キタノ地区……ピザタキ社員であれば構いませんよね?」「タキか?」「タキの野郎か? そういや来てるな」「アイツじゃ無理だ」「じゃあガキの方か」コトブキはかぶりを振った。IRC端末を操作する。「なるべくならこの手は使いたくありませんでしたが……間に合うでしょうか」

 黒雲はせわしく寄せては離れながら、細かな雨でベースを湿らせる。「「「キッタッノ! キッタッノ! ウーセウセウセタータラギ!」」」タタラギは粘っている。見えないだけであれば、闇雲に振らなければ、ボールカウントを稼げるのだ。雲の切れ目、僅かにこぼれた日の光がベンチを照らした。コトブキは皆と共に応援チャントを唱える。だが……

『ストライーック! バッターアウッ!』無情なる攻守交代!

 コトブキは公園の時計を見上げた。キタノの面々は沈痛な顔で意見を交わした。ミナミナ・コークスに、試合中止を申し入れるべきか。肘に痛みのある先発投手イバカミを続投させ、経験不足のキャッチャーを投入し、ヤバレカバレでも試合を続行するべきか。強風がコトブキの髪を吹き流す。雲が重く垂れこめ、稲妻が走った。ベンチが白く光る。赤と黒の、長い影。

「呼んだか」テック・パーカー姿の青年が立っていた。「ニンジャスレイヤー=サン!」コトブキは歓声を上げ、土手際に現れた青年に駆け寄った。


「なんか様子がおかしいぜ」ワゴンからグラウンドを見つめていたザックが振り返った。「試合が止まっちまった」「アー?」タキは生返事でザックの視線を追い、繰り返し瞬きした。霧雨は濃く、視界は悪い。だが、確かに先ほどから応援チャントが止んでいる。「中止なのかな。だったら店も閉めなきゃならないし。俺、聞いてくるよ」「アッ、オイ!」ザックはいったん受付窓を閉め、ピザワゴン後部出口から雨のグラウンドへ飛び出していった。

 キタノ・ヤキイモーズは、ミナミナ・コークス側にメンバー補充のための緊急タイムを要請し、認められた。ミナミナ・コークスのピザスキ・バッテリーからの異議が唱えられることはなかった。稲妻が空を白く彩る。芝生の草が風雨に湿る。

「理解していただけましたか」コトブキはかいつまんで説明を行った。マスラダは腕を組み、答えた。「試合中止だな」「そんな!」「おれには野球経験がないぞ」「ミットを構えて、キャッチしてくれるだけでいいのです。投球は私がやります。お願いします!」コトブキの訴えに、マスラダは眉根を寄せた。

「姉ちゃん、試合はどうし……あっ、アニキ! 何でこんなところに?」雨の中を、少年がベンチに駆け込んできた。「ザック=サン」コトブキは濡れたザックにタオルを渡す。コトブキは手を敵方ベンチへ打ち振り、熱弁した。「そ、それに。敵のバッテリーには……ニンジャの疑いがあります」マスラダはミナミナ・ベンチを見た。「……確かにな」「やはり……!」「え!? あいつらニンジャだったのか。なんかずるいぜ」

「それで。攻撃されたのか? 『消える魔球』とやらで?」腰を抑えて横になるオダマキ老人が呻いた。「いえ、オダマキ=サンはギックリ腰で……で、ですが! 地域住民の憩いの草野球が一方的な試合に……このような卑劣なやり口を見逃すのですか!?」

「話がずれている」マスラダは顔をしかめた。「お願いします!」コトブキは深く頭を下げた。「俺からも頼むぜ」イシモ!「頼むよ、コトブキ=サンの顔に免じて!」タタラギ!「アニキ!」ザック!「野球は一人ではできぬ……」オダマキ老!

マスラダは溜息をついた。「……ユニフォームを寄越せ。忠告はした」

 頬のオモチシリコンを細かな雨が濡らす。手に白い粉をはたき、コトブキはゆっくりと深呼吸した。「スー……ハー……」視界は不良。ミナミナ・コークスのバッターボックスに立つのは、4番打者だ。右腕サイバネの、バイクショップのツーブロック壮年店員。ヘルメットに刻まれた細かな傷跡と磨きこまれた艶が、彼が長い年月、ネオサイタマで草野球に長年慣れ親しんできたことを示していた。キャッチャー位置でミットを構えるのは、黒髪の若い男。コトブキは頷く。濡れそぼったポニーテールが揺れる。

「「「ミーナミーナミナミナミーナ!」」」ミナミナベンチから応援コール。「「「ヨッヨッヨッヨテーテーテ! ミーナミーナミナミナミーナ! ヨッヨッヨ!」」」コトブキは、片足を上げ、大きく振りかぶって……「イヤーッ!」投げた! スパァン! 『ストライーック!』「……や、やりました!」「ナイスピー!」「ナイス!」背中からかけられるチームメイトの心強い声援に、コトブキの心は浮き立った。

「「「ミーナミーナミナミナミーナ!」」」ミナミナベンチから応援コール。「「「ヨッヨッヨッヨテーテーテ! ミーナミーナミナミナミーナ! ヨッヨッヨ!」」」コトブキは、再び片足を上げ、振りかぶって……「イヤーッ!!」 投げた! スパァン! 『ストライーック! ツー!』歓声! 頬に流れる水滴を拭う。

「「「ミーナミーナミナミナミーナ!」」」ミナミナベンチから応援コール。「「「ヨッヨッヨッヨテーテーテ! ミーナミーナミナミナミーナ! ヨッヨッヨ!」」」コトブキは、三度みたび片足を上げ、振りかぶって……「イヤーッ!……あっ!?」 ボールはストライクゾーンを逸れ……大きくキャッチャー後方へ……マスラダが立ち上がるも届かない! 暴投だ! 4番打者は1塁へ!

「「「ミーナミーナミナミナミーナ!」」」応援チャントが沸いた。「「「ミーナミーナミナミナミーナ! ヨッヨッヨッヨ!」」」コトブキは唇を噛んだ。「オチツイテコ!」「ドンマイだ! コトちゃん!」すかさず味方の声援! 深呼吸だ。深呼吸。キャッチャーマスクの奥を見る。マスラダが頷く。コトブキは……!

 ……コトブキは9回表を投げ切り、キタノ・ヤキイモーズは1失点。0-1で攻守交代。コトブキは、拳を握りしめながら、どこか晴れ晴れとした顔でベンチの……オダマキ老人の元へ戻り、頭を下げた。「ありがとうございます。良い経験をさせていただきました」「楽しかったかね?」「ハイ。でも、……悔しいです」「ハッハッハ!」

 マスラダは、キャッチャーマスクを外して汗を拭い、ミナミナ・コークスのベンチを見た。「ニンジャスレイヤー=サンも。ありがとうございました。無茶を言ってすみませんでした」「……ああ」コトブキは微笑む。「次の、次がニンジャスレイヤー=サンの打順ですが……もう充分です。代打は他の方にお願いしますね」「あてがあるのか」コトブキは、霧雨越しに、黄色いピザワゴンを透かし見た。

「そうですね……ニンジャスレイヤー=サン、タキ=サンを呼んできていただけますか?」「タキ?」「はい」コトブキは頷いた。マスラダはグラウンドを見た。ミナミナ・コークスの守備陣が位置につこうとしている。ピッチャーの視線が、ベンチからまっすぐにニンジャスレイヤーを射抜いていた。

「いや……」ニンジャスレイヤーは、溜息をついた。「おれが打つ」

(これまでのあらすじ)
 キタノスクエアvsミナミナスクエアの草野球地区対抗戦! 両チームともチームメンバーが不足し、両地区の所属店舗から助っ人が参加している! キタノ地区はピザタキのコトブキ、ピザスキ・キタノ支店のニコダワ係長。そしてミナミナ地区は、卑劣にもピザスキ・ミナミナ支店の応援として、本社営業課のニンジャバッテリーが派遣されていた! 恐るべき消える魔球に手も足も出ないキタノ・ヤキイモーズ!
 試合は9回裏を迎えて0-1のビハインド。
 このままでは、消える魔球を攻略しなければ、キタノ地区の負けが決まってしまう……。どうする? どうする、ニンジャスレイヤー!?

「ニコダワ=サン!」「大丈夫かよ!」「ピザスキ=サン! 無茶しやがって……!」「ですが、もう私には……こんなことしか……」キタノ・メンバーに囲まれて、ピザタキ・キタノスクエア支店、ニコダワはベンチで肩を抑えて啜り泣いた。代走として、イバカミが一塁ベースに走っていく。

 9回裏、最初の打者はピザスキ・キタノスクエア支店の助っ人、ニコダワであった。だが……本社の意向で、キタノスクエア支店より新規店舗であるミナミナ支店を優先されたことを思い知らされ、消沈していた彼を励ましたのは、これまでピザスキが見下していた小汚い中年の男たちであった。

 ニコダワは、せめて彼らの思いに応えるべく、消える魔球の前に自らの身体を故意に投げ出し、デッドボールで出塁したのであった。彼がニンジャの投球をその身に受けながらも生存しているのは、おそらくピザスキ間での手加減がなされていたためであろう。しかし、ニンジャの投球はプレーが続けられなくなるほどの激しいダメージであった。

 キタノ・ヤキイモーズにこれ以上補充のメンバーは期待できない。
 延長戦、すなわち、負けである。

 マスラダはバッターボックスに立ち、バットを足元に据え、ミナミナ・コークスの助っ人捕手を睨んだ。「……ドーモ。ニンジャスレイヤーです」キャッチャーマスクの奥、ハム卵柄のリネン生地メンポにくぐもった電子音声が応えた。「ドーモ、ハジメマシテ。ビスマルク、デス。ソシテ奴ガ」

 ビスマルクが、ミットを構えた。マスラダは、二、三度素振りをし、投手を睨みつける。「ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン。……マルゲリータです。所詮はしみったれた連中のしみったれた草野球よ。住民感情に適度な勝利の高揚感を与えてウチアゲ・パーティ会場をピザスキ・ミナミナ支店へと誘導する。新規出店地区の住民感情を上方コントロールし、売上スタートダッシュにさらなるキックを捧げるだけのくだらん任務だ。まともにやり合うまでもない」「ああ、くだらんな」マスラダは吐き捨て、バット先で土を削り、掌に唾を吐いた。「どうでもいい」

 両足を開いて構え、肘を引き、強くバットを握り締める。雷鳴が轟く。湿った風がいよいよ強まり、タマリバーほとり公園の芝生が波打った。

 マルゲリータの投球予備動作!「イイイイ……イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは見る。BOOOM! ボールが指を離れ……重い風切り音とともに、鈍化したニューロンの視界を、高速で飛翔する! 白球が……消えた! 
 バシイイィィン! ビリビリと空気を震わせ、ボールはビスマルクの構えたミットに吸い込まれていた。ニンジャスレイヤーは微動だにしない。

 マルゲリータの投球予備動作!「イイイイ……イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは見る。BOOOM! ボールが指を離れ……重い風切り音とともに、鈍化したニューロンの視界を、高速で飛翔する! 白球が……消えた! 
 バシイイィィン! ビリビリと空気を震わせ、ボールはビスマルクの構えたミットに吸い込まれていた。ニンジャスレイヤーは微動だにしない。

 (((コシャク! ステルス・ジツの亜種! だがしょせんは球遊びの戯言よ)))「わかっている」ニンジャスレイヤーは、息を深く吸った。そして言った。

「貴様の魔球は、だいたいわかった」

「小癪な! しみったれた貧弱個人経営ピザ屋のしみったれた始末屋ごときが! イイイイ……イヤーーーーッ!」マルゲリータの投球! BOOOM! ボールが指を離れ……重い風切り音とともに、鈍化したニューロンの視界を、高速で飛翔する! ニンジャスレイヤーの身体が……おお、見よ! 黒炎に包まれ、熱で周囲の空気が歪んでいる!

 ニンジャスレイヤーは片足を大きく上げ、力をため……両の眼をカッと見開いた!「イイイヤアアアアアーーーーーーーーッ!」ガキィン! ファウル!「「何ぃ!?」」驚愕の声を上げるビスマルクとマルゲリータ! ニンジャスレイヤーは顎をしゃくり、投球を促した。

「この……始末屋ごときがァ! イイイイ……イヤーーーーッ!」マルゲリータの投球! BOOOM! ボールが指を離れ……重い風切り音とともに、鈍化したニューロンの視界を、高速で飛翔する! 黒炎に身を包んだニンジャスレイヤーは……片足を大きく上げ、力をため……両の眼をカッと見開いた!「イイイヤアアアアアーーーーーーーーッ!」ガキィイイイイン!

 ニンジャスレイヤーの打球は、空高く、稲光を割って、高く、高く……飛翔し……雷鳴轟くタマリバー上空へと消えた。ゴウランガ! 9回裏! 逆転サヨナラ・ホームラン! おお……ゴウランガ、ゴウランガ!!

 ニンジャスレイヤーは、イバカミを追い抜かぬようにゆっくりと塁を回り……ホームベースを踏んだ。「ウチアゲ・パーティーはミナミナ地区のオゴリだぜ!」「ざまあ見ろだ! ニコダワ=サン! アンタが功労者だ! キタノスクエアのピザスキでいいよな!?」「ハ、ハイ!」

 浮かれ騒ぐキタノスクエアの面々を背に、ニンジャスレイヤーはメットを外した。コトブキが駆け寄る。「ありがとうございました! タキ=サンにもザック=サンにも声をかけて、皆さんで打ち上げに行きましょう! 今日は敵も味方もありません。少し残念ですが……ピザスキで、スペシャル・ピザ・パーティーです!」

ニンジャスレイヤーは、コトブキを制してニューロンに呼び掛けた。「タキ」『ああ!? いきなり何だよ! オレは忙し……』「おれは店に戻る。スシのデリバリーを頼む」


楽しいことに使ったり楽しいお話を読んだり書いたり、作業のおともの飲食代にしたり、おすすめ作品を鑑賞するのに使わせていただきます。