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ミニマリズム・2020年4月〜6月

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メインコンテンツ「ミニマリズム」からの転載です。2020年4月〜6月分 #ミニマリスト #ミニマリズム
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#いま私にできること

烈日

ちょうど今くらいの時期、北半球は夏至となり、一年で最も日中の時間が長い時期になりますよね。わたしの住むところでは、この時期、日の出は朝5時くらい、日の入りは夜10時くらいになっています。 日の照っている時間が長くなると、当然、気温が高くなりますし、暑い。暑いと、もうそれだけで身体への負担が大きくなりますよね。何をするのでも、ダルイし、億劫になる。 梅雨の時期であれば、まだ太陽のあのギラギラした照りつけはまだかもしれませんが、気温が高いことには変わりありません。まぁ、でも真

マルチタスクは出来ない

アレもやって、これもやって、同時にモノゴトを進めていく、マルチタスク。最近よく聞くようになってきました。 わたしも仕事柄、どうしても「マルチタスク」を要求される立場にあるわけですが、これが苦手。 アレやってる間にコレやって、それもやって・・・ できますか?わたしは残念ながらスーパーマンでもなく、マルチタスクスキルも持たないただの人です。 できる人はできるんですが、できない人はやっぱりできない。 できる人からすると「なんでできないの?」「こんな簡単なこと、なんでできな

傘はひとり一本しかさせない

日本は梅雨の時期ですね。 雨と湿気の季節、嫌ですよね。家を出るのも億劫になるし、何より外は雨が降っている。 わたしは雨の日が苦手です。 雨に濡れないために、ひとつ手が塞がってしまうからです。そう、傘を差すとどうしても片手を使ってしまいますよね。 それが煩わしい。 行動が制限される、窮屈だ、要は「快適でない」んですね。 ミニマリスト界隈だと、「手ぶらであること」がひとつの目標になるんですが、一時的とはいえ、傘をさしてしまうと、手ぶらが手ぶらでなくなってしまいます。

モノを手放したら次は身体から不要なモノをデトックスしたくなる

モノを手放す、捨てるに注力しているので、目の前にある空間は着実に広くなっているのが実感できます。 それがある程度、満足のいく量、最適に近い塩梅になってくると、それで終わりじゃなくって、今度は「目に見えないモノ」「形のないモノ」に意識がいきます。 これ、モノが少ない生活が定着すると、自然とそうなる感じです。個人の感想に過ぎませんが。モノを手放したら次は身体から不要なモノをデトックスしたくなる。これ、どこか切っても切れない関係があるんじゃないかと思うんです。

ミニマリズム、ストイックになり過ぎるな!

モノを減らしてきて幾年月、この生活に慣れてくると、モノを減らすことに対してストイックになりすぎる傾向があります。 わたしも経験があります。 「これ手放したら、どうなるのかな?」 「これなかったら、代わりに何が使えるかな?」 「よし、試しに捨てて、様子を見てみよう」 ・・・はい。 これ、やりがちなんですね。 どこまでも、限りなく、どんどんモノを減らして、試してみて、そのギリギリのところを見極めたくなる。 変な誘惑?があります。 まぁ、この考え方はわたしの性格に

筆記用具は1本か2本で充分である

ここ数年、字を書かなくなっているなぁと、ふと思いました。なぜでしょう?パソコンやスマホの普及で、字を書かなくてもなんとかなってるからです。 わたしはサラリーマンですが、勤務中の文書作成、データ整理、メール、資料作成、殆どパソコンです。 手書きするのは、会社に申請する書類に名前や住所を書くとき、あとはメモを取るときくらいです。 日常生活ではどうでしょう? こちらも殆ど字を書くことありません。クレジットカードの決済のときにサインしたり、書類を申請するときに、名前と住所を書

ミニマリストネタで思いっきり稼ごうとするのをやめる。

原点に立ち返って、ブログを始めた理由を考えていたんですが、そうそう、思えば最初の取っ掛かりは下世話で申し訳ないんですが、ブログで稼ぐぞ!というのもひとつの目的でした。 もちろん、モノを減らして、生活を振り返り、快適な暮らしをしたい、などなど崇高な思いももちろんありますが、人間ですから、どこかに欲があります。 あわよくば、ブログで稼いでヘッヘッヘwwwって。 しかしですね、現実はそんなに甘くはありません。ブログで稼ぐようになるには、それこそ、血の滲むような努力を積み上げな

ひとり暮らしの理想の住まい

モノを持たない人たちにとって、最大級に悩むのが家・住まいの問題です。家を持つか?それとも持たざるべきか?これは一般的に、持ち家か?賃貸か?論争があるのはご存知なことと思います。 だから、どっちがいいと、一般的には甲乙つけがたい問題。 ミニマリストにとっても例外じゃなく、持ち家・賃貸の問題は考えるに足る問題です。まぁ、持つ持たないはケースバイケース。その人にとって、持つのがいいのか、持たない方がいいのかは、その人次第です。 ミニマリストだから、家は持ってはいけません。

衣替えという季節イベントを忘れた

いくつも持っているモノとして、衣服があります。 季節の変わり目に衣替えというイベントがありますが、取捨選択して衣服の枚数を必要最低限にした結果、衣替えというイベントに終わりを迎えました。 衣替え、やってますか? わたしはというと、衣替え、ここ数年やってません。そういえば衣替えするという意識すら忘れてました💦 そう、衣服が少ないと、衣替えというイベントすら、忘れてしまうのです! それって、いいことなのか、悪いことなのか。 生活の中においては、衣替えというのは一大イベ

【決定版】手放すには惜しいモノを3ヶ月以内に手放せる具体的な方法

手放すには惜しいけども、でも、手放したいなぁと思うモノも、ずーっと処分していると、出てきます。 手放すのを躊躇うモノ。 迷うな!と言われてもどうしても、迷ってしまうモノです。買う時もそうですが、手放す時も納得のいく手放し方をしたいですよね。 手放すまでにじっくりモノと向き合って、思い出に花を咲かせてもいいでしょうし、なんで買っちゃったかなぁ・・と悔悟してもいいです。 とにかく、手放すまでには何かと時間がかかります。 それでもどうしても手放したい、それでも愛着のあるそ

一生のあいだに「一生モノ」に出会えるのは、はっきり言って奇跡みたいなモノ

モノを購入するときに、動機付けとして用いられる手法に「これ、一生モノだから」という言葉があります。 もう少し深く掘り下げると「一生モノと位置付けているから、これ以上、似たようなモノはもう買わないぞ!」あるいは「一生モノだから、これ以降、死ぬまで使い続けよう」というところでしょうか? わたしも経験あります。一生モノ。 しかしどうでしょうか?実際、一生モノになり得ているでしょうか? わたしもまだまだ、人生道半ば、まだ「一生をいつ終えるか?」見えていない状態です。まぁ、明日

40歳から始める終活

早すぎると思いますか?この歳から終活。 まだまだ、人生これからでしょう?なんて思いますよね。いや、別に今日明日死のうと思っているわけでもないし、体調が激悪なわけでも、ない。 多少、身体に無理がきかない年齢になってきたかな?っていう感じですが、改めて、死後のことを考えたら、「そろそろ、考え始めてもいいのかな?」と思うわけです。 終活。

人と比べない。我が道を行く。自戒

Twitterで一時話題となった、自戒。 ミニマリストであっても、そうでなくても、なかなか難しいのが、「自分と他人を比べてしまうこと」です。 テストの点数だったり、営業成績だったり、足が早い遅い、語学堪能か、全く喋れないか。。。比べようと思ったら、枚挙にいとまがありません。 わたしたちは「他人と比べてしまう病」に冒されているかのよう。 昔読んだ、「嫌われる勇気」という本では、ざっくり理解したことは、「自由になる、幸せになるには、人と比べないこと。ただ、人と違うのだとい

部屋を伽藍堂にしなくていい

ミニマリストの部屋の中、公開!となると、多いのが何もない、伽藍堂(がらんどう)な場合が多い。これ、かなり強烈なようで。 わたしもモノが少ない生活を長く続けていると、そういうのを見ると、これは「ふーん。」くらいな感想で、伽藍堂である状態をみてもあまり感動はない。 むしろ似たようなモノだし。 これが、一般の人たちからすると、驚愕なようだ。 一度、実家の両親に部屋を見せたことありますが、「おいおい、こんなんで生活できるのかよ」と言った感じで、理解はされませんでした。 まぁ