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「これまで」と「これから」について - 株式会社フラミンゴの第二創業をはじめる

どうも。フラミンゴの金村です。今年の1月に28歳になりました。

今日から第7期が始まった。設立1年後くらいに『フラミンゴ』をリリースして、その後、住み慣れた京都から東京に引っ越した。資金調達もして、メンバーも増えて、順調に思えたが、2年前くらいに大きな壁にぶつかった。とてつもない大きな壁。

でも最近会社の調子が上向いてきた。2年間もがき続けたが、ようやくだ。上向いてきたと言っても、このまま緩まず走りつづける。てか、緩む余裕なんて無いのだ。

会社設立6周年をふまえて、これまでの悪かった頃を振り返りながら、調子が上向いてきた現在(いわゆる「第二創業期」とでも言うのかもしれない)までの過程を記しておこうかと思い、このnoteを書いている。

正直、こういったことを他人に見せるのはかっこ悪いなと思っていた。自分の中で消化して前を向けばいい話だと思っていたし、スッと乗り切って大成功できるすごい経営者に憧れていた部分もある。

でも書いてみることにした。

そんなスマートな経営者とは僕は違う。スマートにできないのに、スマートにやろうとしていた。そういうのは止めることにした。視座は高く持ちながらも、背伸びはせず、等身大の僕で勝負していこうと決めた。不器用に見えるかもしれないけど、本来の姿をさらけ出して、少しづつ成長してる姿をみんなに見てもらいたい。

これを読んでもらって、「フラミンゴはこんなところを目指していて、これまでダメダメだったけど、少しいい感じになってきて、これからも頑張りつづけるんだ」と知ってもらい、それを応援してくれるとうれしい。

前半部分は、この2年間の苦闘を書いた。後半部分は、現在の主力事業に至った経緯やこれからの決意、目指すところなどを書いた。前半部分は楽しい話ではないが、これがあったから今があると思うので、ぜひ読んでもらえたらなと思う。


苦しい二年間。多くのメンバーが去っていった

繰り返しになるが、この2年間はいろいろあった。心折れそうになったことは一度や二度では無い。何があったかを知ってる人もいるかもしれないが、詳細は省きつつ、簡単に説明することにする。

2019年2月頃、それまでフラミンゴを支えてくれていたメンバーの多くが会社を去っていった。理由はシンプルだ。僕の経営者としての実力不足。それに尽きる。

読みの甘い予算をたてたが、当然のごとく実績とは乖離していく。挽回をすべく手を打つが、ことごとく不発に終わる。心の余裕を失い、メンバーとのコミュニケーションも一層雑になっていく。

そもそもマネジメントに苦手意識を持っていたので、近しいメンバーにマネジメントを丸投げていた。僕が空回りをしている中でも何とか会社として成り立ってたのは彼と彼女のおかげであることは間違いない。しかし、彼と彼女とのコミュニケーションも疎かになっていき、結果去っていった。

残ったメンバーとコミュニケーションをとってみたものの、うまくいかない。そうこうしているうちに、一人、また一人と辞めていく人が増えていった。気付いたらほとんどの人がいなくなった。移転したばかりの広いオフィス。何もない砂漠にポツンと一人いるような気持ちになった。

頼りにしていたメンバーがほとんどいなくなってもお客様がいる。フルタイムのメンバーが10人くらいから僕を含めて4人くらいにまで減っていたけど、サービス提供の質を落としてはいけない。信じてお付き合いしてくださるお客様を裏切ってはいけないし、裏切りたくなかった。

人が減ってしまったことを投資家の方々に報告したとき、「3ヶ月後に振り返りましょう。一旦割り切ろう。お客様を見ましょう」というアドバイスをもらった。しどろもどろに、ベクトルが自分の方に向いてしまっていたので、ハッとしたし、なんだかうれしかった。申し訳ないという想いがあるなら、仕事をするべきだと思った。強がりながらも、そう腹落ちした。


「なんだか涙もろいな最近」と思いながらも歯を食いしばって取り組んだのが、メンバーの慰留だった。すごく恥ずかしいことなのだけど、僕はあんまり社交的ではないし、交渉とかも得意じゃない。さっきも書いたけど、マネジメントに苦手意識がある。

一番困ったのが、事業のパートナーである外国語講師の人たちとの関係維持や構築についてだった。自分ではうまくできる気がしなかった。その役割をしてくれているメンバーにはどうしても残ってもらう必要があった。

「どうしても残ってほしい」とカフェで話してみた。苦手なことだったけど、やるしかないと考えて、しどろもどろに話した。すると、「あ〜。はじめてわかりました。なんで金村さんが頑張っているのか、はじめてわかりました。なら条件とかは調整したいけど、一緒にがんばりましょう」って言ってくれた。うれしかったし、助かった。ありがたい。残ってくれたメンバーは今も一緒に頑張ってくれていて、僕にとってかけがえのない仲間だ。

あと、この出来事が、「自分の想いや頑張る理由は、そばにいる人にさえ、ちゃんと伝わっていない」と気づかせてくれた(この出来事は、この文章を書く動機のひとつと言える。)。

その後も、不運というか、備えが不足していたことによる辛いイベントが続き、しんどい日々が続いた。メンバーが次々に去っていくだけで相当キツいのに、何でこんなに辛いことが起きるんだ。目に見えない何かを恨んだりした。でも、恨んでも意味がないし、「お客様を見ましょう」というアドバイスを思い出して乗り切った。

僕もメンバーも疲弊しきっていたし、よく乗り越えたなと、過去の自分たちを褒めてあげたい。そりゃ、備えが甘かったことが悪いんだけど、乗り切ったことはシンプルに褒めたいし、乗り切った僕たちは強くなった気がした。人数は減ってしまったけど、強くなった。そう感じた。努力を続け、辞めていったメンバーにも、誇らしいと思ってもらえるチームになっていきたい。それが一番の恩返しだと思っているし、ぶっちゃけ「あの時に辞めたのは間違ってた」と思わせたい(笑)。


二つの反省があった

創業から現在まで「ここまでミスるのか」ってくらいミスりまくった。その過程でたくさんの方に迷惑をかけてしまったし、信じて頑張ってくれていたメンバーをはじめ、関係者の方にも本当に申し訳ないなと思ってる。人生の貴重な時間をフラミンゴに投じてくれたことに報いることができなかった。反省しかない。

でも、僕は未来をまだ信じているし、そこを目指してがんばりたいので、反省点を明らかにした上で前に進む。

反省すべきは2つだ。周囲の人とのコミュニケーションが荒くなっていったのは、以下の2つの課題から目を背けつづけ、自分の余裕がなくなったことが原因だと思っている。他に悪いこと、ダメなこともあったと思うけど、根本はこの2つだと整理した。

1つ目は「経営の仕方」がまずかった。

自分の経営能力を高めることを怠ったまま、根性論に近い経営をしてしまった。例えるなら、ドラクエの「はじまりの村」の装備で、中ボスくらいの敵に挑んでしまっていた。勝てるはずがない戦いなのに挑み続け、消耗してあえなく散った。残念すぎるし、申し訳ない。

すごい経営者の方に支援してもらっていて、それをハリボテの仕様で真似るみたいなことをしていた。これも失敗だった。経営のノウハウって、経営者自身の経験とセットじゃないとワークしない。創業数年で努力も足りない自分が使うには、あまりにも無理がある武器だった。まずはシンプルな剣を使いこなせるように努力するべきだった。経営の仕方、ドラクエ風に言えば「冒険の仕方」を間違っていたなと、今となっては思う。これが一つ目の理由。

2つ目の理由。それは「自己理解の甘さ」だ。

自己理解というかセルフコントロールも甘かった。昔から根拠のない自信みたいなのがあり、それが悪影響した。当時、さすがにもうそんな悪い癖は治ったし、その失敗はしないと思っていた。でも治っていなかったし、自分の悪い癖は治らないから、仕組みや周囲の人に頼って解決しないといけなかった。傲慢だったし、アホだった。「ひとりでは大きな成功は得られない」という言葉の意味がわかっていなかった。

ちなみに、(正しくできているかどうかはわからないけれど)こういった反省ができたのは、コーチの支えがあったからだ。

偶然、組織が壊れた直後、『mento』というコーチングサービスを運営する木村さんから「サービスの運営について相談したい」と連絡をもらって、カフェでお話しをすることになった。僕なんかがサービスのアドバイスできるのかな?と思ったし、トラブル続きで「この世の終わりだ」と凹んでいたけど、頑張ってカフェに行ってよかった。

カフェで話し始めてすぐに木村さんから「おいおい、どうしたんだ。金村くんのほうがヤバそうな雰囲気だけど、なんかあったの?」って感じで相談に乗ってもらった。僕がサービスについて相談にのるはずが、僕のコーチングを引き受けてくれることになった。

木村さんのサービス相談の要望に添えなかったので、そこはすごい申し訳ないけど、めっちゃラッキーだった。木村さんの支えがなかったら、反省することなく終わってたかもしれない。2019年2月から継続的にコーチングしてもらっているので、2年以上、隔週で面談をしてもらっている。助かった。感謝しかない。


コロナ禍をきっかけに新しいサービスをつくった

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一旦、トラブルが過ぎ去り、反省を踏まえてコツコツやった。

新しく、法人向けの英語学習サービスやお子様向けの英会話レッスンサービスを展開した。僕自身もお客様のオフィスやご自宅に伺って講師を支援したり、オフィスで大量の事務作業に明け暮れていた。成功とは程遠い状態で、成長速度も遅鈍だった。でも、ようやく上昇基調に乗れたんじゃないかと感じはじめていた。「ここからもう一度頑張るぞ!」と意気込んでいた。

でもダメだった。

2020年の春、うちにもコロナの影響が出た。オンラインベースで営業したり、サービス提供をしたりするノウハウを持っていなかった。カフェ英会話のGMVもカコーンと落ち込んだ。そりゃそうなんだ。カフェがやってない。閉まっていた。売上が下がるし、コストの見直しが必要。2019年の経験を経て、現実を直視できるようにはなったのだけど、強すぎるアゲインストに泣きそうになった。いやちょっと泣いてたかもしれない。

でも諦めなかった。2019年の2月になんとか慰留したメンバーのおかげだった。外国語講師の苦境を救うことに心を燃やせるメンバーが揃っていた。僕らが先に諦めてはいけない。外国語講師のほうがキツイし、なんとか支えあって一緒に浮上しようという想いで、チームがひとつになっていた。ありがたい。

現場をメンバーにお願いして、僕は計画を練りはじめた。コロナ禍を外国語講師と一緒に乗り切る方法を探した。はじめは人材業も視野に入れたが、コロナなので当然人材業も厳しい。語学産業なんかよりもっと厳しい状況だった。何も見つからないと独りで悩んでばかりいてはやばいと思って、役員の方や周囲の起業家の友だちに相談してまわった。

結果、「オンラインで英語コーチングを提供してみよう」というアイデアに行き着いた。たしか、ただ単に英会話レッスンをオンライン化するのでは厳しいなと思ったとき、偶然話していた講師がアドバイスをくれたんだったと思う。たぶんそれがきっかけだ。

このアイデアをうまくいかせて、講師と一緒に再浮上する。それを目指してチャレンジすることにした。2020年3月25日にそう決めて、4月1日にリリースした。1週間でなんとかできたのは、英語コーチングに明るい渡辺さんという講師がいたことと、ノーコードでウェブサイトが作れるStudioがめちゃくちゃ便利だったおかげだ。助かった。リリース後の報告になってしまったけど、投資家の人たちからも「いいんじゃないか。まず試してみよう」と背中を押してもらえた。


なぜいまオンライン英語コーチング事業をはじめたのか?

危機を乗り越えるために生まれたオンライン英語コーチング事業。リリース直後は波に乗った。初月から想定以上のお客様に入会してもらえた。びっくりするとともに、このままいける。危機で生まれたサービスをそのまま伸ばしていこうと考えた。

でもそう甘くなかった。いわゆる死の谷ってやつがきた。新しいモノ好きの方や身の回りの方の流入が一段落した。既存の英語コーチング事業者の方がオンライン化を進め、マーケットは一気に混戦状況になった。

なので、一度立ち止まり、このまま行くか、それとも別の事業に取り組むか、検討してみた。結果、今まさに僕たちがオンライン英語コーチング事業に取り組むべきだと確信した。オンライン学習の体験が急速に浸透しはじめている今、英語初心者に寄りそった良いサービスを提供することで、大きな価値を生み出せる可能性を感じた。

これはチャンスだと感じた。リサーチやインタビューを通じてマーケットの規模やそれに対するアクセス可能性等を検討して、どれくらいの規模のビジネスになるのかっていう計算をしてみたりしても、いいかんじだ。これを突き詰めていこう。挑戦しようと決めた。


信じる未来は変わらない

よく質問されるのが、「外国人にやさしい社会というミッションなのに、なぜ語学なのですか?」だ。ずっと聞かれるくらいわかりにくいらしい。

あらためて言葉にすると、僕にとっての外国人とは「生まれた土地をいろんな理由で離れた人、離れる人」のことだ。移住者とでもいえばいいのかな。僕たちの強みを活かして、その「移住者」たちを応援できるサービスをやりたい。そのひとつが語学だと思っている。

コンフォートゾーンを離れてチャレンジする「移住者」を支える仕事を続けたい。僕は「移住者」ってカッコいいなって思ってる。

今後も移住者は増える。都市部やバーチャル空間への移住を中心に増えるらしい。これは確実な未来だ。コロナ禍がオンライン化を加速したことで、世界のどこからでも働くことができるようになった。住む場所を選ばないワーカーが増えた。コロナ後の熱狂も予想される。海外に行きたい、海外に住みたいというニーズが高まるだろう。移住者が増える。僕らはその未来を信じているし、その未来を先取りして生きていく。


その第一歩として、英話コーチングで移住に最低限必要な英語力を提供する

というわけで、移住者が増える未来にコミットしていく。英語コーチングはその第一歩だ。「脱英語初心者」を実現するプログラムを通じて、移住に必要な語学力を提供する。学習が続かないというお悩みを解決しつつ、効率的な自学自習を実現する。

リリースから1年。何度もアップデートを重ね、「意外と早く英語力が上達してしまいました。もっとがんばりたいので、より先を目指すカリキュラムやプランはありますか?」と催促が出たりするくらいまで、質があがってきた。新しく採用した優秀なメンバーのおかげだ。彼女はお客様に成功してもらうことに燃えている。僕よりもそこに情熱を持っている。頼りになる。

また、コーチとして活躍する優秀な海外在住日本人の存在が、僕たちが信じる未来を確かなものにする。彼ら彼女らは、海外移住者としての先輩だ。いますでに海外に住んでいる。日本を離れてチャレンジしている。そこにある一次情報が僕たちの事業の解像度を上げるし、もしかすると彼ら彼女らと一緒に次の事業をおこせるかもと思っている。海外移住者である前に、フルリモートで活躍できる語学堪能なビジネスパーソンだということが、僕としては一番すごいことだと思っている。可能性の塊だ。

あと、最近は英語コーチングの受講を完了されたお客様が弊社サービスのコーチになることを目指すというケースも出てきた。カフェ英会話のC2C事業を基軸の事業としてやっていたときにしんどいなと思っていたデマンドサイドとサプライサイドの転換率が高くなりそうで、これまた期待だ。


会社としては再び上昇基調に戻ってきた

ちょっと込み入った話になってしまったけど、言いたいことはひとつ。「会社は上昇基調に戻ってきた」ということ。スタッフ、英語コーチ。言語学習のオタクが集まってきて、信じる未来を考え、実行していった結果、事業も会社も上向いてきた。

プロダクトも良くなってきてるし、売上もついてきている。まだまだ理想からは程遠いが、確実に上向いていることを実感できている。この2年は「スタートアップ」と呼ぶには程遠い状態だったが、2019年の「大きな壁」の前のような、未来を見ることができる状態に戻ってきた。いや、それ以上の状態かもしれない。


正直心折れそうな時もあったが、諦めないことに決めた

「なんで、そんな大変なことがあったのに、頑張り続けられるんですか?」って聞かれることも少なくなかった。ぶっちゃけ、何度も一人暮らしの部屋のベットから起きあがれなくもなったし、お腹が減らないのによくわからないファストフードを食べてしまう。夜な夜な渋谷の街を徘徊してしまう。というような、まあまあアカン状況にもなった(もし同じような状態の人がいたら、すぐに病院に行ったほうがいい)。

この2年間は100%の状態ではないまま、日々を過ごしていたと思う。でも諦めなかったし、ジョギングぐらいのペースで走り続けた。僕なりに工夫しながら、走り続けた。止まっちゃったら終わる感じがした。

会社を終わっちゃいけないのかどうか考えたこともある。「終われば良いんじゃないの?」と提案を受けたこともある。そんなフラフラな状態なのに、強がって、新しい関係者を増やしても誰も幸せにならないって言ってもらったこともある。正論だ。弱ってるとこういった正論にイエスとしか言えない。

でも諦めたくなかったし、心のどこかで信じていた。それに「続けることが合理」だと思ってた。今ほど恵まれている状況はないと思ったし、僕の人生を豊かなものにするには、想像する上で一番大きなことにチャレンジするべきで、それがフラミンゴにあると思った。

「視野が狭いのでは?」と思ったかもしれない。そこも課題だし、もっとたくさん本を読んだり旅をしたりしたい。新しいことを知りたい。最近はじめて立川に行った。良いところだった。

ふと、シードで投資を受けるときに言われた「金村さんは決して辞めなさそう。そこだけは確かだ」という言葉を思い出した。本当にそうなのかもしれない。続けるべきだと合理的に納得しているし、ここで諦めなかった僕は一生信じているし、やめられないのかも知れない。合理的に納得するところまで並走してくれたコーチ、ふらついている僕をソっとしておいてくださった周囲の皆さんには感謝しかない。


これからも未来を信じて頑張る

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大げさに書いてしまったかもしれないな、と思っている。読み返してみて、めっちゃかっこ悪いと感じたりもする。でも等身大な姿をさらけ出していくことに決めたんだ。それに、たくさんの方に支えてもらわないと、夢見る未来は実現できない。カッコつけてちゃ助けてくれないし、カッコつけたまま上手くいくようなすごいやつじゃない。どうか応援してもらいたいし、助けてもらいたい。

繰り返しになるが、僕はすごい恵まれている。周囲にいる人たちが最高だ。離れていった人たちにもすごい感謝している。活躍しているというような便りを聞くと、嬉しいし、いい刺激になる。ここまで僕がチャレンジし続けることができているのは、昔に触れあってくださった人たちがいるからだ。ありがたい。

この恵まれた環境に甘えることなく、しっかりと働き、信じる未来を実現したい。移住する人たちがどんどんと増えていく未来を生きるひとたちのパートナーとして働いていきたい。頑張っていく。


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