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#13 自分のHISTORY~1998年音楽と美容について

皆さん、こんにちは。
ビューティークリエイティブエバンジェリスト(美容家)、美容師、ヘアメイクアップアーティスト、の柳 延人(やなぎ のぶと)です。
今回は、#12に続き、更なる新たなバンドとの出会いで、ヘアメイク人生の転機となるきっかけとなった、1998年の音楽と美容について書きました。

*タイトル画像出典
https://www.pinterest.jp/pin/653796070875940384/           https://www.universal-music.co.jp/marilyn-manson/products/uicy-20191/
https://jp.zekkeijapan.com/article/index/1447/

1.HISTORY

もうすっかりビジュアル系ヘアメイクとして、ある意味この業界ですっかり名が売れてきた頃、LaputaのマネージャーだったK氏から、他のバンドの担当になったと連絡をもらった。

そのバンドは、『PIERROT』

当時、インディーズシーンにて、PIERROT(この当時はPierrot)は、すでに快進撃を展開していた。

他にヘアメイクがついていたこともあって、仕事で関わることはないであろうと思っていたのだが、当時大流行していた番組『BRAKE OUT』のイベントでBRAKE OUT祭りに、Pierrotはほぼレギュラーで出演、レギュラーのヘアメイクがNGの日があり、トラ(動物の虎ではなく、代替えスタッフの事、エキストラの略)で入って欲しいと頼まれた。

とりあえず、数本のライブのみということで、受託した。
そして、初めてメンバーとの顔合わせに行った。

その時のPierrotの印象と言えば、ピエラーと呼ばれるファンを率いる宗教的なバンドで、歌詞も過激、どんなヤバそうなヤツらがいるかと思いきや(当時のバンドはヤバイヤツらが多かった💦)いざ会ってみると、めちゃめちゃ良いメンバー達で、くだらない会話を2〜3交わしてすぐに打ち解けることができた。

今まで、CDとMVのみでの情報だったので、ライブでのパフォーマンスを見たことがなかったのだが、初めてライブ現場で見た彼らのステージは圧巻だった。

ストーリ性や世界観を重視したステージづくり、演奏とキリト氏のMCのバランスが良く、メンバーのアクションが多く、ステージ狭しとパフォーマンスしまくる。

そして、もっとも驚いたのが、ボーカルのキリト氏の曲に合わせて行う『振り』を、ファンが乱れず揃って真似する様は、まさに「宗教」。

いろんな意味で、魅せられ、打ち抜かれてしまった。

その後、メジャーデビューを発表したPierrotはツアーを発表、それは、ファイナルがいきなり『日本武道館』というとてつもないライブツアーだった。

この頃には、すっかりメンバーとも仲良くなり、ほぼレギュラーでヘアメイクの依頼を受け、魅せられ、打ち抜かれた僕は、喜んでレギュラーヘアメイクとして、Pierrotクルーに参加することになった。

それからは、ピエラーにお馴染みになる程、PIERROT/Pierrotのレギュラーヘアメイクとして活動した僕は、ここではとても書ききれないほどの多々の体験をし、2006年4月解散に至るまで、共に時を過ごした。
(本当にここでは書ききれません。今となっては良き思い出ですが、とても濃い人生を過ごしました。機会があれば、別の機会でHISTORYを語りたいと思います)

その後は、キリト氏、KOHTA氏、TAKEO氏で編成された『Angelo』のレギュラーヘアメイクとして参加、共に時を過ごしたが、2011年の現在の編成となる機に、ヘアメイク現場を退く事を決意、その後今に至るまで、レギュラーでバンドのヘアメイクにつくことへなかった。

好きなロックバンドのヘアメイク、なぜ、現場を退こうと思ったのか、、、
理由は、大きく2つある。。。

1つ目は、現場に対して全身全霊を捧げてしまうことによって、他の事への影響が大きかった事。
仕事でありながらも、自分自身がファンとしてのめり込み、仕事以外のプライベートの時間も、彼らと時間を共にする事を常に選んだ。
朝まで呑み語ることはしょっちゅうだったが、直接的な仕事ではない、レコーディングやリハーサルにも時間が許す限り立ち合ったりして、メンバー分かち合うことを優先することで、正直、本業が疎かになっていた(それでもバブル期のおかげで生計は立てられたのだが)

2つ目は、自分が活動し続けることによって、後世代が育たないと感じたことだ。

当時、後世を育てようと思い、アシスタントも数名雇用していたのだが、自分がメインで活動すると、どうしてもアシスタントに仕事がまわっていかない、、、
昔の職人の考え方でいけば、親方の仕事を盗んで覚えていくのが当たり前だったが、時代が違う。。ビジュアルロック業界も、若い才能を持ったバンドが今後出現してくるのであれば、ヘアメイクも才のある若人がメインストリームに立つべきだと考えた。

現場を退くことで、新たな野望が生まれた。
後世を育てるための教育を行う仕組みを作る。そのために必要なことは何か、、、
柳 延人、教育事業の始まりである。

#14へ続く

2.MUSIC JAM

ここでは、僕の記事の内容の年代に流行っていた洋楽の中から、柳レコメンド曲を僕なりのライナーノーツとしてご紹介していきたいと思います。

濃いヘアメイク人生をおくるきっかけとなったバンド『PIERROT』に出会った1998年、この年の僕のレコメンド曲は、『 マリリン・マンソン』のアルバム『メカニカル・アニマルズ』の中から、『The Dope Show』です。

Marilyn Manson "The Dope Show"


そして、マリリン・マンソンといえば、最大の思い出があります。

「洋楽ファンのみなさん初めまして。僕らがあなたたちの大嫌いな日本のヴィジュアル系バンドです」
1999年、富士急コニファーフォレストで開催されたマリリン・マンソン主宰のロックフェス『BEAUTIFUL MONSTERS TOUR 1999』で、PIERROTのヴォーカル、キリト氏が言い放ったMCで、僕は、このロックな言動の、日本のヴィジュアル系バンドPIERROTに、益々惚れ込んでしまったのでした。
また、このMCは、『SUMMER SONIC』の前哨戦と言われていたこのフェスに対して、『PIERROTの出演を快く思わない』と発した音楽評論家に対する皮肉でもあり、当時のビジュアル系バンドの立ち位置が表されていたようにも感じました。

そしてこちらは、『洋楽ジャム』より、1998年のロック名盤ベスト10になります。

1998年
1. フォロー・ザ・リーダー / コーン  
2. ディザーターズ・ソングス / マーキュリー・レヴ  
3. ロングウェイ・ベイビー!! / ファットボーイ・スリム  
4. TNT / トータス 
5. ムーン・サファリ / エール  
6. RAFIリヴェンジ / エイジアン・ダブ・ファウンデーション  
7. サイエンス・フィクション / アンクル  
8. ルーファス・ウェインライト / ルーファス・ウェインライト  
9. ミスエデュケーション / ローリン・ヒル  
10. ミュージック・イズ・ロッテド・ワン・ノート / スクエアプッシャー  

3.BEAUTY

ここでは、僕の記事の内容の年代に流行っていたビューティーに纏わる内容をご紹介していきたいと思います。

1998年は、エステティックの一種として、セラピーがブームになった年です。
セラピーとは英語で『治療・療法』の意味ですが、『美容・痩身』のイメージがありますが、最近では、エステティックだけでなく、美容室でもセラピーメニューが増えています。
代表的なセラピーメニューには、香りで身体や心をケアする『アロマセラピー』、海水や海泥を使って、健康促進する『タラソテラピー』などがあります。

また、1995年6月に一部改正された理容師法・美容師法の学習要領の中には、伝染病学、皮膚科学などの他に、エステティックが組み込まれました。
今や、当たり前となっているエステティックの市場、今後はトータルビューティーの市場として、美容室などでのエステティックメニューの導入が進んでいくと思われます。




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