中山 明『猫、1・2・3・4』, 『愛の挨拶』および『ラスト・トレイン』より
『猫、1・2・3・4』遊星舎, 1984.
寝ころびて午後のうさぎを待ちてゐるアンニュイをほそき雨は埋めつ
幻の駱駝を飼へば干し草のごとく時間は食はれゆくなり
水風呂に夏の陽のさすひとときをわれは水夫の眸をしておらむ
闇に立つ大樹の蔭にやどりゐて周縁に降る雨を聴きゐつ
やはらかき猫のまだらにやはらかききんいろの雨ふりてゐたりき
とほく聴く四声のカノンいづこよりまじりきたれる一声ありき
存在の夜の河岸 選ばれし闇に言葉はしづかに立てり
曇天の雲の断 (き) れ間をながれつつはためきてゐるか幻の帆は
みづがねの天にまなこをむけながら沈黙はつねにきみの城壁
夏蝉の森を過ぎゆく自転車のかがやく脚はいつまでも見ゆ
死して残すもののかずかず 落書きの猫の絵なども飾られありぬ
雷鳴にまぎれゆくまで天翔る機の爆音を見送りてをり
みをささへゐる風のなかわが耳よかなたひかりの降る音聴かむ
硝子扉の外はまばゆき朝なれば裁かるるごと風に入りゆく
普遍的に存在する猫!をおもひゐつ 哲学と云ふはかなしかりけり
石鹸の泡いく億の沈黙を閉ざし 浴槽のなかにはたそがれ
幾億の唇 (くち) は聖句を唱へむか 屈伏すべきものわれにあれよ
ひとたばの花にて充つる瓶なればいまだみたざる夢をこそおもへ
あるいは愛の詞 (ことば) かしれず篆刻のそこだけかすれゐたる墓碑銘
「猫、拾遺」遊星舎, 1985.
決断を迫られてゆく冬の道 いづこにも青き信号 (シグナル) みゆる
満天を映す硝子の珠ひとつ置きて駱駝の隊は去りしか
暁の千の隊商ひしひしとうすくれなゐの雪踏みて来よ
ゆめいくつ界を越えけむ うつしみのわれにとどきて鳴る鐘の音
『愛の挨拶』沖積社, 1989.
ひんがしのなみのはたてにねことゐてあそびくらすとひとなわらひそ
一艘の舟をささへてゐるだけの澄みてしづけきみづをおもへり
わたくしはわたくしだけの河に行く ゆめのほとりのきみに逢ふため
滲むごとき冬の夕焼け おづおづと生きてあまたのひとを忘れき
ことさらに長い汽笛を曳きながら遠洋航路の船は発ちゆく
かなしみにおぼれるやうにたしかめるやうにあなたの掌に触れてゐる
手渡してしまへばきっと戻れない径かもしれぬ 春の花束
容赦なく午後の陽射しが降り注ぐ白いボートのうへに僕たち
河風の吹き上げてくる窓辺にはもう恋人のやうな僕たち
霊長類進化系統図と云ふを眺めてはしたりがほにて過ぎぬ
万物の日暮れにあをき雨ふりてつひに熟さぬ実は堕ちにけり
ひっそりと朱に染まりゆく帝国の秋のはざまにグールドを聴く
泣き濡れて帰る夜道の暗がりの猫はしづかに抱くべかりけり
ひと去りてのちしづかなる一室に夜の大陸のごとく風充つ
忘却の河を渡ればまなうらによみがへるいちめんの向日葵
まぼろしの猫がまたいでゆく夢のどこかできみが呼んでゐるのだ
殉死者のごとくやさしくやはらかく未来はぼくを待ってゐるのだ
くらやみの猫のごとくにしなやかに寄り添ふものをかなしみにけり
〈狩猟図〉の奥へつづける径ありて遠近法のはてのゆふぐれ
いつまでもひとつの橋が渡れない一筆書きをもてあそびゐつ
黄昏に少女を渡す橋あればわれもさやぎてわたりけるかも
『ラスト・トレイン』1996年、オンラインで公開。http://www.ne.jp/asahi/kawasemi/home/last_train/last_train.htm
駆け降りてゆくたそがれのアスファルト 海峡を出る船腹がみゆ
みづいろの岬は夢の突端となりてかがやきゐたりけるかも
うつくしい夢をみすぎてゐるだけのわたしのための遠い食卓
きみがあかるい雲になるまで たそがれの海の鯨をおもひゐたりき
待ち合はせの恋人たちのそれぞれに仕掛噴水のしぶきがかかる
もうすこし悪い女になりなさい 街の噂をみんなあつめて
また今日もみじかい春の挨拶のやうな会話をして別れたり
かきつばたきけんな恋のつれづれに花の穂ひとつたづさへゆかむ
ずる休みのこどもにやうにそはそはときみに電話をしてゐる真昼
こんなことをしてゐるうちにアンニュイなあなたの風邪がうつってしまふ
きみの棲む街角だから温室のやうにはなやぐ窓はありたり
もうそんなに薬を飲むのはやめなさい こんなしづかな星たちの夜に
臆病な小鳥のやうにあたためておいた言葉はあなたのために
大学のある街だからそこここの路地には消えない夢がまどろむ
軽く手をつないで歩くキャンパスは五月の森のやうにあかるい
もうそこで別れてしまふ街角の歩行者信号灯が変はるよ
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