栗木 京子『水惑星・中庭(パティオ)』より

雁書館, 1998.
底本は『水惑星』雁書館, 1984. および『中庭(パティオ)』雁書館, 1990.

『水惑星』
観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生

誰彼にベル鳴らしつつ自転車で春浅き日の橋渡りゆく

スカーフの赤も暮色に鎮まれば二人の舟を岸に漕ぎ寄す

溶け合へぬ気位を君も我も持ち夜更けて街へジャズを聴きに出づ

退屈をかくも素直に愛しゐし日々は還らず さよなら京都

坐す君の耳朶あたり夕暮れて背後の窓に雨垂りやまず

風の尾を捉ふるごとく手を伸べて友は緑の葡萄を捥ぎぬ

過ぎ去りし言葉還らず苑に立つ裸像の掌より雨は零れぬ

今はまだ物語など秘めてゐぬ下着を干しぬ早春の風

『中庭(パティオ)』
氷砂糖くちにころがし臥す吾子の内耳を小さき吹雪の過ぎむ

木星の浮かぶ宙にも満ち寄する夜の匂ひかとあゆみ来たりぬ

標的となるまでわれは華やがむ花びらいろの傘まはしあゆむ

耳かたむける仕種はなべて愛を帯び調律師光る絃に近づく

宙づりの胃の腑に熱きミルクティーそそぎ入れつつ春雷をきく

眠りゐる蕾を醒ますよるの雨 新種の病ひいづくにか在る

照りながらそばかすのやうな雨ふりて七月は髪の短き少女

置きざりのパラソルの襞めくる風 すぎゆく夏のページ真白し

鮎の腹裂けば匂へり魚の身をくぐりて春となりし真清水

天文台までのだらだら坂のぼる雲の航跡ふみしめむため

虹の弧をくぐりて訪ね来し人に生まれたる子の名前を問ひぬ

ころがらぬさいころてのひら深くもち緑雨にけむる駅に人待つ

濡るることいまだ知らざる傘の花ひしめきてショーケース華やぐ

曇天の重さをすくひあげながら観覧車のぼるさらなる濁りへ

傘の上を雨はななめにすべり落ち結末を知りつつも夢追ふ

星はねむり星をつつめる闇ゆれて平穏をうべなへと声する

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