自己紹介[vol.2]

2022年9月25日の夕方。
自転車で横田基地に向かっている、その道中だった。

「私の高校同期の妹が行方不明になっています。捜索に参加できる人は連絡が欲しいです。」

グループラインに投稿されたその要請を見たとき一瞬にして心が重くなった。自転車を呑気に漕いでいる場合じゃない。交差点の前で止まり、頭の中の予定表を確認し、参加できる日を急いで伝えた。すでに決まっている予定を除いて、それよりも重要なことが僕の日常生活にあるとは思えなかった。

翌日、千葉県某市で10時から捜索が始まると知ったのでそれに間に合うように家を出た。到着したのち、オープンチャットでの指示に基づき自分なりに捜索を開始した。僕は「矢切」という地区を捜索しようと思ったので、駅を出て西に向かい、川に突き当たったのち川沿いを南下した。

1時間ほど川沿いの見通しの悪いところを詳しく見たり、放棄されている物品を調べたりしながら南下していると、「捜索していると聞いたが、捜索に同行しても良いか?」と連絡がきた。僕は彼女に自分の捜索範囲や状況を仔細に伝え、駅で落ちあうことにした。

彼女もグループラインの投稿を見てそれに呼応した一人だった。二人とも土地勘はなかった。彼女は、その日クラスディズニーの予定があったが、捜索を優先していた。結局、呼びかけに応じたのはこの二人だった。

行方不明になった場所、そしてオープンチャットで指示される場所を中心に二人で捜索した。8時間歩いた。途中、同じように捜索していると思われる人がそれなりにいた。行方不明になった公園では記者に声をかけられた。近所の高校生は変わらない日常を送っているように見えた。

結局、この日には見つからなかった。
その子が見つかったのは、2週間後だった。

僕は、ものすごい悲しみに暮れ切実に助けを求めている人がいる世界と、僕たちが日常生活を営む世界が同じ時間に同時に存在していること、そして隔絶されていることにはじめて気が付き、驚きを覚えた。オープンチャットでの必死の呼びかけや市内を流れる防災無線に対して、高校生の日常会話・通勤電車・インスタグラムのストーリー。なるほど、世の中って深い世界に気がついた人が物凄く頑張り悲しんでる一方、何も気が付かない人は幸せな日常を送っているのだと思った。これは全ての問題に対して当てはまるのだろうと思った。

もちろん、僕自身この経験を「利用」していることは否めない。完全にその子を思っての利他的行動であったのかと問われると、僕は確証を持って首を縦に振ることはできない。しかし、この経験が僕の考え方に大きな影響を与えたことは確かであると思う。自分は何の問題に対してなら一生涯を捧げても良いと心から思えるのだろうか?僕もいずれ死ぬ訳だが、何を成し遂げたのなら/何を為している最中なら死んでも良いと思えるのだろうか?

高校三年生の時、卒業アルバムで使う写真を会議室で撮る日があった。教室から各自好きなタイミングで会議室に向かい、写真を撮るというシステムだった。タイミングを指示されるわけではないので、各々が何かを待っていた。誰かが立って教室を出た。皆が立って教室を出た。僕も立って教室を出た。揃って廊下を歩いた。だけど僕は、どういうわけかひどい嫌悪感を抱いてしまって、ひとり引き返し教室に戻った。そこに思考はなかった。脊髄反射のようなものだった。

大学一年生の時、ある縁で食べ放題の店に行った。時期柄もあって、店内は多くの団体客で賑わっていた。次から次へと出てくる飯と酒。食べ物で散らかった机。笑い声。面白い行為。笑い声。残飯。なんか、人間ってきれいじゃないんだなと思った。食べ放題って、もしかしたら醜いことなのかもなと思った。

中学生の時から、何かをやらないといけない時は一夜漬けだった。テスト、課題、手紙、アイディア。その夜を迎えるたびに悲しい世界を覗いた。中学生の時には顔も見たことのない人たちに助けを求めた。高校生の時には自分に酷使される自分の身体をなんとか労ってあげようと思った。はやく人間に戻りてぇなと思った。そして、無事に人間に戻れたことを喜んでは砂上の楼閣を築いてきた。

努力家って言ってくれてありがとう。
でも、もしかしたら、そういった自分像を見せたかっただけなのかも。

いい人だって言ってくれてありがとう。
でも、もしかしたら、人から嫌われたくないだけなのかも。

友達多いね、って言ってくれてありがとう。
でも、もしかしたら、僕自身どこでそういう風に思われたのかわかっていないのかも。

なんだろうな、嬉しいことを言ってくれたその人を否定しているんじゃなくてその対象である自分を否定しているんだよな。

どんな選択をしても選択しなかった事柄とその先の人生というのは常に存在するわけで、それは現世においての自分の人生中には実現しない訳で、必ず後悔というものは生まれると思うんだよな。

大学生になってから一年が経った。僕にはやりたいこととすべきことの区別を明確につけることができない。僕は、どのような大学生活を選択するのだろうか。僕は、どのような人生を選択するのだろか。僕は、何を後悔するのだろうか。僕は、何を誇りに思うのだろうか。

この、選択する主体は自分なのに、その決断を未来の自分に委ねているところまで含めて、以上、僕の、自己紹介。


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