いつかこの日を思い出してきっと泣いてしまう

「役に立つ」僕の、「役に立たない」僕に対する、葬送曲。

「人間関係」の話

昔から、やさしい人が好きだった。

たくさんの素敵な人たちに出会ってきた。
僕は、中学生のときに多くのやさしさをもらった。

  • 風邪で休んだ時の多くの人からの心配の言葉。

  • 「君がいないとうちの班は静かだよ」。

  • ディズニーからのお土産。

  • 年明けLINEとおすすめの曲の中に込められたメッセージ。

  • 「大丈夫!私が友達になるからさ」。

  • 「たしかに君は話すってよりかは聞き上手だな」。

  • 「お前の手紙を読んで、俺は泣いたよ」。

  • 試合で負けた僕とすれ違いざまに「俺に任せろ」と言って出場する大将。

  • 「怒られるってことは、それだけ期待されてるってことだからさ、、」。

  • 先生に掛かって倒された自分に対する皆んなの心配。

  • 本当にしんどい練習での僕にしか聞こえない「大丈夫か?」

  • 倒れたときにすぐにビニール袋を持ってきてくれた先輩。

  • 下校時間が過ぎていると喚く先生に「過呼吸なんで」と一蹴して家まで肩を支えてくれた友人。

漠然と、人間関係において「やさしさ」という軸を強く持っていた。他人に対してやさしくありたい、さらには「深く」ありたい、と思っていた。

2018年2月4日のサイゼリヤで、僕は、人生で初めて僕と同様の志向性を持つ人との邂逅を果たした。(というより、その側面に気がついた。)

ぼんやりと抱えていた、人間関係によるよくわからない心の摩耗について、どちらが話し手であろうと、僕らは「共感」を繰り返した。
話していて、「仲間がいたんだ」と涙が出るような、そんな深いコミュニケーションをしたのは、初めてだった。
「やさしい人」「深い人」ってやっぱりいるんだ、という認識を強く持った。

その日以来、僕は「深い人になろう」という思いを強めた。
他人のことを深く観察するようになったし、他人のやさしい行為や自分がされて嬉しかったことを、積極的に自分に取り込もうと心がけた。
僕の中学時代の座右の銘は「以人為鏡」だった。

僕のことをありがたくも「やさしい」「気遣い」と評してくれる人がいるが、それは過去に他人からもらったやさしさを模倣しているからに過ぎない。
僕のうちには尊敬すべき、慕うべき、愛すべき友人たちがいるのだが、彼ら彼女らがその後成長していく過程においてどのような人と出会いどのように変わるのか、僕には知る由もないし、どうにかできるわけでもない。
だからこそ、僕は、素敵な人たちと別れるときには、素敵な人が素敵な人であり続けることを切に願うのである。

高校時代には、「やさしい」「深い」に加え、「かっこいい人」に多大な影響を受けた。

  • 高二の秋、放課後の教室で残っていた僕に「東大?俺も一緒。がんばろーな」と言った人。

  • 放課後の図書室前の書道作品の展示で、友人の作品を一人でまじまじと見ていた人。

  • どんな話でも笑顔で楽しそうに聞いてくれる人。

  • 仲良しグループに加わらず教室で一人で単語帳を見ている人。

  • 文化祭の準備で、放課後残って真面目に作業していていた人たちに「頑張っているから」と自腹でアイスを奢った人。

僕は、群れずに自分の軸を持って生きている「かっこいい人」に強い憧れを抱いていた。受験期は、この軸に貫かれて生活をしていた。

数人の、自分が「かっこいい」と思える人を模範として、その人たちに対して誇れる自分であろうと思って日常を送った。
「かっこいい」人たちの世界に自分の身を置きたいと願った。
友達と一緒に教室の後ろに座るのではなく、一番前に座っている僕の隣にやってくる人を友達にしようと思った。
自分が堕落することは、「かっこいい人」に対して憧れを抱いた過去の自分に対しての裏切りであると解して、なんとか「かっこよく」生きようとした。
それが分かるような受容力を有している人だけに伝われば良いコミュニケーションであると理解して、僕は孤独であろうとした。

一方で、どのような授業であろうと課題予習復習テスト全て含めて真面目に取り組んだし、文化祭も主要メンバーとして深く肩入れをした。
人間関係では、僕は「いつメン」「グループ」「群れ」のような境界線に強い抵抗感を覚えるので、クラスの誰に対してでも親しいような、人間関係の「潤滑油」を目指した。クラスの中に群雄割拠の「円」があるのならば、その「円」のどこにも所属しないがどこにでも入れ、その境界線を曖昧にすることができるような存在たろうと心がけた。(クラスの人で、思い出を語れない人は誰一人としていない。)

僕は、先生を含めたクラスの人から「クラスの良心」と呼ばれていた。

中学時代が僕の人格形成に大きな影響を与えた期間であるとするのなら、高校時代は僕の精神性を研磨した期間であると思う。
孤独との闘いや世俗的な世界との決別を強くした最後の一年で苦しさもあったが、卒業式の人間関係の答え合わせを迎え、僕は素敵な友人を多く持てるという結果を迎えたことを嬉しく思った。
今でも、卒業アルバムの最後の数ページを見ると、胸が熱くなる。

大学に入ると、「つよい人」という視点を持つようになった。
世俗と決別し、孤独を厭わず、自己の軸に従って生きている人だろうとある人を理解しては、「自分もそうなりたいな」と思っていた。

しかし、そのように理解した人たちの世俗的な側面を見ると、「つよい人なのではなかったのだろう」と思い、自分の定めた「つよい人」が「つよい人」ではないことが明らかになるにつれ、「つよい」という判断は僕の恣意的な基準によるものに過ぎず、僕は、自身が深層心理では望んでいるが実現には距離が遠い位置に自分が生きているために実現が難しそうなことを、「実現を望んでいない」と表層では思いこみ、それゆえその実現を忌避する志向性を有しているかに思われる人を「つよい」と評して自身の弱さを正当化していただけなのではないか、と思うに至った。
そうして、「つよい」という視点は崩壊を迎えた。

僕の人を眺める際の視点の変遷をつらつらと記述したが、やはり「やさしい」と「深い」は僕の視座に深く組み込まれている。

一緒にご飯に行ったときメニューを一人で長時間持ち続ける人や立て替えてもらったお金をきちんと払おうとしない人、相手の話を聞くというよりそれを土台に自分の話に持ち込みたい人や真剣な人を笑う人、ご飯粒を残す人や三席のうちの真ん中に座る人、とりあえず他人についていく人や人を排除する人。
そういう行為を見るたびに、「なるほどね」と思う。

政府高官や芸能人など、社会でそれなりの地位を占めている人の信じられないような発言・行為が時折報道されるが、それらはおそらく、彼ら彼女らがそのような地位を獲得したから起こったことではなく、学生時代から「やさしくない」「深くない」人であり、それを是とするような環境で成長したからなのだろうと、身の回りを見渡してみて、思う。

僕は、「やさしい人」「深い人」(誠実な人)に誠意を示したいし、その人たちにはついて行く。

僕は、ある1日に、2人の別の人から異なる文脈において「君ってめんどくさいよね」と言われた。
また、別日にバイト先の先輩から「オドオドしないで」と言われた。
僕は、悪口としてではなく人物評としてこの言葉たちを受け取ったが、とても面白いと思った。

「めんどくさい」
確かに僕は、自分の所属している組織において、自分が「おかしい」と思うことがあれば、忌憚なく主張する。「これを受け取る相手は嫌・めんどくさいだろうな」と理解しながらも言う。それと異なる意見を相手が持っていた場合、ちゃんと議論する。それによって新たな負担が生まれるのなら、きちんと背負い合う。これはなぁなぁに事を通したくないからで、言いたいことは言いたいのが現在の気持ちなので、これを否定するような風潮に社会・組織がなるのならば、僕は消えていく。現在、僕の主張を「敵意」ではなく「意見」として受け取ってくれている人たちに感謝をしている。

「めんどくさい」「オドオドしないで」
僕は、他者に対して「やさしい」存在であろうとするあまり、他人に迷惑をかけている、相手に負担になっている、と思うことが少なからずある。

  • 会話の流れの一部として相手に対してLINEを送ったとき「これ、相手返しづらいだろうな」と思う。実際、その後数日間返信は来ない。

  • 自分はどの選択肢でも良いから、相手に全ての選択肢を提示した上で判断を委ねる。自分はどの選択肢でも良く、相手に好きなものを選んでほしい、自分の一存に従わせるのは申し訳ない、という気持ちがあるが、結果的に相手に判断の選択を委ねることになっている。

  • 相手の真意を汲み取った上でコミュニケーションをしたいと思って相手の発言の意図を詳細に質問をし、「曖昧さ」をなくしてしまうと言うめんどくささ。

  • 講演会後に偶然居合わせた友達と帰ろうとするが友達は質問に向かう。もし僕が待っていたら相手は「急かされている」と感じるし、もし僕が帰ったら相手は「帰られた」と感じる。

  • 相手にとって最善の行動をしようと思って、相手の邪魔にならないような行動(相手が通るであろう場所を開けておく)や相手の迷惑にならないような行動(相手が忙しそうなら声をかけずに自分で処理しようとする)をしようとするが、結果として「遠慮がち」「オドオド」「仕事を溜め込む」となる。

「あなたのために」という言葉や行為は、結局のところ、利己であるのだろうと思う。「やさしさ」という普遍的のような価値観を免罪符にして自分を正当化し、自身を最大限犠牲にすることによって自分が責められる隙をなくそうとしているだけなのではないか、相手の行為によって自分が傷づく事を許容している一方で自分の行為によって相手のことを傷つけることを恐れておりそれを避けるために感情の負荷を最大限相手に委ねようとしているだけなのではないか、と思う。だからこそ、極端な「やさしさ」とかいうものは、「めんどくさい」「オドオド」という評価を受けるのだろう。結局、僕が実践していることになっている「やさしさ」というものは、自己保身のための「やさしさ」であり、純粋無垢な利他に基づく「やさしさ」では無いのだろう。

僕の行為・言動によってやさしい人が悲しむことはとても辛い。
やさしい人たちと交流を終えた後の時間は、とてももやもやした、重い気持ちになる。
同じ話をするのなら、ただ話を聞いて「ふーん」となったり作業をしながら聞いたりすぐに自分の話を始めたりする人ではなく、きちんと聞いて咀嚼して受け止めてくれる人に話をしたいし、そのような人たちと積極的に記憶を共有していきたい。

なんでこんなに苦しいのだろう。
やさしい人たちは、幸せになってほしい。
今まで出会った全ての人と、仲良くしていきたいな。

「行動」の話

「現場主義」を標榜する「社会の諸問題を学ぶゼミ」に「知り合いの妹が行方不明になっている。捜索のお手伝いをしていただけませんか。」という連絡が来たのは昨年の9月だった。

様々な用事があるだろうが、その百数十名を擁するゼミにおいて、その呼びかけに応答したのは2人だった。

捜索の大変さや一般市民の無関心さ・「遊び」感覚を、現場やオープンチャットで理解した。

その日から、「講演会」というものに疑義を呈するようになった。

その経験から、「自分や他人の薄氷のような日常など気にかけられない、居ても立っても居られない深い世界がある。どこかで誰かが深く悲しんでいる。それに気がついた人が、ものすごく頑張って、一緒に悲しんでいる。気が付かない人は幸せな日常を送っている」というような思いを抱くようになり、世の中にはひどい問題がたくさんあるにもかかわらず自身の華やかな日常に勤しむ人々の在り方に懐疑的な視線を向けるようになり、なんなら「講演会」ということも、結局は何も社会に対して変革をもたらしておらず、結局は恵まれた人々が自己満足に浸るための娯楽に過ぎないのではないか、信じられないくらい深い世界を知らないくせに我が物顔で世の中の問題を語るのは、愚かなことなのではないか、と思うようになりました。

11月開催のある授業の感想より

このような思いを抱き、僕は、「これを成し遂げたのなら/これを為している最中なら死んでも良いと思えるもの」を見つけ、それに人生をかけよう、それのためにたくさん行動しよう、と思っていた。そのために、その「何か」を見つけようと思った。

I submit to you that if a man hasn’t discovered something that he will die for, he isn’t fit to live.

キング牧師

そのため、可能な限り色々なところに行ってみようと思った。

「3.11のときには東北に居たい」と思ったから、(ある人には「遊べよ!」と言われたけれども)岩手での周年行事のボランティアに申し込み、一日中作業をした。
その前日には三陸海岸を巡り、その土地を肌で感じた。
明らかに建物の高さが低く、新しく、人の生活が感じられない街並みを一人で歩いた。
周年行事で「COSMOS」が地元中学生によって歌われたとき、会場に広がった啜り泣きを受け、胸が震えた。

中学校の国語の先生が「原爆ドームは、あそこだけ空気が違った。一度は行くべき」と中三の授業で言っていたから、広島にも一人で行った。平和記念公園の全ての像を見て周り、資料館の展示をほぼ全て読み、心を寄せようとした。

岩手でも広島でも、地元の人にご飯をご馳走してもらい、色々なお話もした。
とにかく、自分が知るべきであろうと思われる事柄に出会いに行こう、またそれによって心を痛めている人たちの傍に寄ろう、と思って色々と模索した。

そのような意識を持ちながらも行動を起こせない自分に、そしてグズグズして行動を起こさないうちにゼミで起こった「事件」とそれに無関心で出口に流れゆく人々を見て、「行動」ということを題目に葛藤が大きくなる日々を過ごしていた。

だが、かつて私淑していた先輩に「行動していますか」と聞いて「大学は学ぶところでしょ」と返答されたことや、私淑している先輩に「学問的探求は学問的探求で必要」と言われたことなどを受け、無理して行動を起こす必要はない、行動を起こすことが目標になってはいけない、と次第に思うようになった。
行動を起こすためにゼミ活動をしているわけではないし、行動を目的としたゼミでもないし、その構成員に行動を強要するものでもない。ただ、自分が「そのように生きたい」と思うような生き方をすれば良いのだと思うに至った。

私は、「社会問題」やそれによって苦しんでいる人の存在を知りながら、そういった問題の解決のために具体的な行動を起こすことなく自身の日常を充実させることは、・・・(中略)・・・どうにもそれが偽善的・欺瞞的に思えて、かといって自分が何か行動をしているわけではない(行動するにあたり、特定の問題に関して知見と自分の意見が十分でなくそれが行動するに足るものでないと自分自身で思っており、「まずは勉強しないと」と何もしないことを正当化していたように思います。)し、「特定の、自分が取り組みたい問題」を見つけたらそれに全力を尽くし、行動を起こしていこうと思って、それを先延ばしにしていました。そのため、〇〇さんの「▲▲問題を一生かけて取り組もうと決めているわけではない」というお話は私に取っては新鮮で、どのような問題に対しても行動を起こしても良いし自分が行動を起こすハードルはもっと低くてもいいのだ、「おかしい」「好きな人が傷ついている」という理由で行動を起こして良いのだ、と改めて思い起こさせてくれました。

6月開催のある授業の感想より

この「行動」に関わる問題は、僕の中ではある程度の落ち着きを得た訳だが、しかし漠然と持ち続けている問いがある。

  • 自分の豊かな生活がどこかの国の劣悪な環境下での労働によって成り立っているとき、自分はその快適な生活に安住することはできるのか?

  • 自分の安全な生活が特定の他者の排斥によって成り立っているとき、自分はその排斥を看過することはできるのか?

  • 自分が誰かともしくはある集団と仲良くすることによって排斥感を覚える友人、顔を曇らせている友人を見つけたとき、自分はその友人の心を重くしている状態で仲良くし続けられるのか?

他者の「不幸」のうえに自分の「幸せ」な生活が成り立っているとき、そしてその事実に気がついたとき、僕は「幸せ」な生活を享受し続けられるのだろうか?

「障害」の話

中学・高校・大学と、定期テストは全て一夜漬けだった。
課題も、アイディア出しも、資料作りも、全て前日の夜にならないと着手できなかった。
その「前日」の日中はどれだけ幸せであっても、その夜に向かいゆくという感覚が僕の胸を重くさせた。
その夜は孤独であり、苦しみであり、数時間前の夜ご飯の時間など人間であった時間を懐かしく思った。
まるで深淵を覗いているかのような感覚だった。その世界には追い詰められた自分しかいなかった。
鳥が鳴き、空が白み、家族が起き出してくると、「あぁ、戻った」と思った。

これは僕にとって本当によくあることで、度々実感することなのだけれど、自分が「夜」を前にして思っていたほど世界って厳しいものじゃなくて、「夜」を終えてみるとこの世界ってとても明るくて綺麗で幸せを享受する機会に溢れているのだと気付かされる。自分が自分に閉じこもり、自己反芻を繰り返して下に潜り込み深淵を見ているだけで、世界って思っているより美しいものなのだと思う。

辛くなったとき、もうどうしようも無くなったときって、とても狭い範囲でしか物を見ていないと思うんだ。一歩引いてみればいくらでも他に美しいものがあったり道があったりすると思うんだ。

2020年4月29日の日記より

最近、本当になんのために生きているのか、いっそ死んでしまった方が楽なんじゃないかとさえ思えてくる。毎日を無駄に過ごしているんだ。・・・でも頑張ってよ・・・未来はきっと明るいからさ・・・。

2020年6月13日の日記より

・・・僕は大して大きくないことを自分の中でとても大きくして自分自身を追い詰める癖があると思うんだ。そういうものって、いざ終わってみるとあっけないことが多いんだよね。ポジティブシンキング、、とはいかなくても悲観的になりすぎないようにしないとな。あと、自分を追い詰めないように日常から頑張ろうね。

2020年6月14日の日記より

この感覚を理解できる人とは、星の見える砂浜で、一緒に泣いていたい。

僕は、他人と連絡を取り合うこと、相手からの連絡を閲覧することにものすごく心のエネルギーを要する時期が、時たま到来する。
自分が相手の連絡を無視しているという事実や、相手にとって喜ばしくないであろう要件を相手に押し付けていることが心にのしかかってくる。
特に、連絡が遅れた・長期間の無視など、自分にとって非があるコミュニケーションの時には、連絡を見ることが本当にしんどくなる。
あるときはある連絡を開封するのに3週間かかったし、あるときは友人数人と雑談をし、力を借りて、2時間かかってやっと一件の連絡を開封することができた。

行うことに自分が困難を覚えるような行為を、他の大勢の人が卒なくこなしているという事実を知った時には、大きな驚きを覚えた。
「なんでそれが当たり前にできるの?」と疑問で仕方なかった。
インターネットで自身が当てはまるような要素の文字列を打ち込み検索してみては自身が当てはまっているかのように思い、自身の生きづらさに名前が与えられたとして、安心し、この世界から隔絶されたような悲しみを覚えた。

〇〇性障害は、それこそネットの自己診断を見たりして「自分がそうかもしれない」と思うようなものだったので、今回のお話は「自分ごと」として聞くことができたように思います。ご講演の内容も「わかる!」というようなことばかりで、切実なお話として聞いていました。(high状態では普段手を挙げないようなプロジェクトに手を挙げる。自身が鬱状態の時に全ての連絡を断ち切り、それにより「迷惑をかけた」と思い込み、さらに孤立を深めていく(異常な罪の意識を覚える)。自分で全部仕事を処理しようとしていた(人に頼ることができていない・仕事を溜め込みすぎている)。睡眠不足だとhighな状態になる。など)〇〇性障害は「エネルギー調整障害」であり、鬱状態を抑えるために躁状態を抑える、という考え方は私にとって新しい考え方であり、(自身を当事者として確定させているわけではありませんが、少なくとも生活を楽にしうる考え方として)生活に活用して行けたら良いなと思いました。

自分ごとに置き換えてみた時に、自分が「〇〇性障害」であると診断されることは、自身の抱えている生きづらさがある意味正当化されその生きづらさに名前がつき、自分が弱いが故・他の人に比べて頑張りが足りないが故の生きづらさでないとされることから、ある意味で楽になるということはよく理解できます。しかし一方で、今まで「健常者」として(生きづらさを抱えながらも)生きてきた自分が「障害者」とされ、社会でそのように扱われ、周囲の人からそのような目で見られ、さまざまな可能性を剥奪されることは何処か恐ろしく、それゆえ自分から積極的に自分の「生きづらさ」に名前をつけようと試みることにためらいを覚えてしまうようなこともあるのだろうと思います。しかし、そのように思うことは自身「障害者」になることへの潜在的な忌避感の表れのように思えて、「障害者」がinclusionされるような社会が実現されてほしいと思う一方で、自分は「障害者」になりたくないという、自己矛盾というか、心の弱さが露呈したのだろうと思います。「障害者」が「障害者」という枠組みで捉えられるのではなくいち人間として捉えられるような社会の実現を望みますが、その中で自分の表層的な願望と深層的な願望の間に齟齬があるかもしれない、と気付かされたお話でした。この問題についてはもっと熟考する必要があると思います。

6月開催の授業の感想より

僕は、「しんどい」「疲れた」という言葉を軽率に吐くことに躊躇いを覚えてしまう。
世の中の人は皆、おそらくなんらかのしんどさを抱えて生きている。
もちろん僕もその例外ではないと思うが、しかし、そのしんどさの程度にはグラデーションのような差異があるのだと思う。
社会においては相当に恵まれた環境に身を置き自身の存在を理由に自分の生を脅かされることのない僕が、生きることに関しては不自由のない僕が「しんどい」と繰り返すことによって本当にしんどさを抱えている人の「しんどい」というSOSサインを軽減させてしまうのではないかと、そのしんどさの表現方法が「しんどい」という発声に集中しているのならば、「しんどい」と公に拡声することで真に「しんどい」人の声を奪ってしまうかもしれない、と思うのである。

自分もしんどいがあなたもしんどい。
私のしんどさは私でなんとかできるから、私はあなたのしんどさを軽減したい。心が疲れている人と話をするときは、自分のしんどさなんてどうでも良いから、その人の心を少しでも軽くしたい。

自分の話をすることは、自分ががっかりするか、相手に迷惑をかけるか、自分の心がさらに重くなるかのいずれかだから、あまり好きじゃない。

併せて、僕は恋愛の話を大人数のうちですることもあまり好きじゃない。
なぜなら、それが「話のタネ」として消費されているから。
大人数のうちで「交換」し合っているような感覚を受けるから。
人というより「モノ」であるという印象を受けるから。
どこか、価値基準が統一されていて、ある種の強要感を覚えるから。

今でも、宿泊防災で輪となって話したことと、徹夜会で手を挙げさせたことに、罪の意識を覚える。

「価値」の話

職場における価値、受験市場における価値、学校における価値、私にとってのあなたの価値、私にとっての私の価値。
ここ最近「価値」について漠然とぐるぐる考えていたが、先日ある研究者の方のお話を聞き、それが僕の漠然とした思考を綺麗に整理することに役立つようなお話だったので、「障害」の話と併せて、その講演会の感想の全文を以下に引用する。
doingの価値=行為/言動によって成立する価値
beingの価値=存在によって成立する価値
と理解して良いと思う。

昨年も別の機会で〇〇さんのお話を聞く機会がありましたが、その時とは異なる内容のお話で、しかも私がモヤモヤと考えていたことに全て明確な言葉を与えていくようなお話であったので、大変興味深くかつ面白く、たくさんの示唆と刺激を受けました。お話の内容を組み替えて順序よく並べ直すことは非常に骨が折れるため、講義のお話順に強く印象に残ったことを列挙したいと思います。

まず、障害者運動には「①潜在能力を発揮できる社会の実現」と「②個人の能力と価値を結びつけない社会の実現」という2側面があるのだというお話は、「障害者」がinclusiveされる社会の実現の方向性を冷静に分析しており、そのような社会の実現を取り止めもなく考えていた自分の思考を整理してくれるように思いました。
現在行われているのは①のアプローチが強いというお話もあり、②は市民の規範や意識に最終的には委ねられかつ具体的な目標(とそれに伴う段階的な目標)が見えにくく公的にも取り組むことが難しいのだろうと思い、まだ社会の設計や制度整備によってのアプローチが可能な①の方が為されるのは納得がいくように思いました。〇〇さんの「今は①に力が置かれ過ぎている」というお話からはかつて②に力が置かれている時代があったということが推察されますが、それはどのような時代背景でどのような活動が盛り上がったのかについて知りたいと思いました。
また、①を突き詰めていけば(絶対的にそうであるかは関係なく)「潜在している能力すら見出すことができない」と見做される人々には価値がないという思想に繋がりうる、ひいては優生思想に繋がりうる方向性でもあるため、②のように能力主義に立たずして個々人の価値を語れる社会の実現は、それが理想郷的なものに過ぎないとしても、目指さなければいけない方向性であると思いました。

次に、親の「愛」のこもったリハビリというお話の、「リハビリのおかげで他者への信頼、社会への楽観視を獲得することができた」という語りが印象的でした。「障害」の有無に関わらず幼少期の経験はその後の社会・他者への眼差しに大きな影響を与えるとは思いますが、「障害」という現行社会において困難になるものを抱える人々にとってはそのような経験とその帰結として獲得した社会・他者への眼差しは自身の生きづらさに(想像でしか言えませんが)直結するように思います。〇〇さんが「障害」を携えながらも東京大学に合格し医者として働き現在研究の第一線で活躍されていることの基盤には、ご両親の愛があるのだろうと勝手ながらに想像しました。

また、「インペアメントの可視性」というお話も印象に残っています。
私は、「健常者」としてみられている軽度の精神障害者の人々にとっては、自身の「障害」が「障害」として理解されず個人の能力の問題に帰責されるこの社会はとても生きづらいだろう思って、「障害」の境界や軽度精神障害、社会構造などに漠然と関心を抱いていましたが、どのようにしてその「不条理」を乗り越えれば良いのかはわかっていませんでした。
そのため障害者間のある種の「格差」を埋めるための「当事者研究」という分野を知り、当事者を客体としてではなく主体として社会を眺めることは今まで見えてこなかったものを可視化できるため社会の変革に対して強い力を持ちうると思ったし、自分の見えている「世界」を絶対唯一の世界として解釈し改革を試みるのではなく、色々な人の「世界」を知ることは大事だと思いました。
一方で、「当事者研究」は今まで社会を眺めるレンズの作成に関与できなかった/してこなかった人々が主体(視点)となる研究であるという理解ですが、その当事者と同じ環境に置かれていない人がどのようにしてその人の世界への眼差しを体得し代弁するのか、語ることのできない当事者の声をどのようにして聞くのか、そもそも「当事者」を探しにいくのか、などと純粋に疑問に思いました。
しかし「当事者研究」の一つの成果としての「解釈的不正義」は考えたこともなかったけれど納得のいくもので、既存の枠組みを揺さぶる手法として、またDiversity&Inclusionを推進する手法として「当事者研究」は非常に有効であると思いました。

「障害児を殺した母親への減刑運動」というお話では、以前別の機会で「優生保護法訴訟」の原告の方のお話を聞いた時のことを思い出しました。
その原告の方は、障害を持っていないのに強制的にかつ何の告知もなく不妊手術を施されたという被害を受け、優生保護法体制の酷さを聴衆に訴えました。
そのお話を聞いていると、「障害を持っていないのに、事前告知なしに(騙されて)かつ強制的に不妊手術を受けさせられたことはあまりにも酷い人権侵害だ→(聴衆たる「私たち」にも被害が及ぶ可能性があった→)そんな無差別的かつ強制的に不妊手術を行うことを是認する優生保護法は酷かった」というような思考法になりうると思って、もしかすると「(障害者の人たちが手術を受けることについてはともかくとして)私たち「健常者」が被害にあっていたからひどい」という論点になるように思えて、(その講義の中では、「障害者の被害・権利」ということに眼目が置かれていたという印象がありません。)もっとも私の受け取り方の問題もあるとは思いますが、全ての人間が等しく有する人間としての尊厳・権利についての確固たる意志を持たなければ、優生主義の歴史は繰り返されうるのだと、危機感というか、優生主義の話は過去の遺物ではないのだと強く思いました。

「ファストフードのかたい椅子」というお話も印象的でした。これも私が思うことに近く、大変共感しました。「かたい椅子」に座ることが余儀なくされるその「店」において、「店の外に出る」「店の中に止まる」という「自由」な選択を許容するという方向性で「自由」な社会を実現するのではなく、まず「椅子」を快適なものにしたいし、そのような方向性に向かえる自由な社会にしたいと思いました。

最後に、「doingの価値」と「beingの価値」というお話も強く印象に残りました。ここ最近、私自身「価値」について考える時間が多く、様々な示唆を与えられました。
私は、たとえば職場における「価値」とは「洗い物のはやさ、要領の良さ、人当たりの良さ」などであり受験に向かいゆく学生における「価値」とは「学力の高さ」であり、またいじめやハラスメントは他人からの自身の「価値」の毀損であり、社会一般における自身の「価値」とは他者によって定められるものだろうと、しかし、なぜ自分の「価値」を他人に決められなければいけないのだろうかと思い、自分の「価値」は自分の中で定められていればそれでいいのだと思う一方で、しかしそのような「価値」は自分にとって意味があったのだとしてもこの社会で(物理的に)生きていくためには実際的には役に立たず結局他人から自身の「価値」を認められなければいけない、などとぐるぐる考えていました。
この思考は、〇〇さんの言葉を借りるのならば「doingの価値」を基準にした考え方なのだろうと思います。
お話を聞いて「個人能力と価値を結びつけない社会の実現」には「beingの価値」の認め合いを媒介とした人間関係の拡大が非常に有効(?)なのだろうと思いましたが、まず実際問題この現行社会においては「beingの価値」のみによって生きていける構造でなく「doingの価値」に晒されそこで自身の「価値」を認めてもらえなければ生きていけないという問題はあると思いましたし、また「beingの価値」はとても素晴らしいと思うのだけれども、その概念の実践・普及に向けた「ガイドライン」が乏しく、結局その実践は個人の心の「深さ」に拠るのでは、という思いは抱きました。
しかし、それは全くもって「beingの価値」を否定するものではないし、むしろそのような価値基準が広く浸透しているような社会が実現されれば良いな、と思います。これは他人事というか距離のある研究室での話ではなく、質疑応答の際の〇〇さんの受け答えを見るにおそらくこの分野はまだ先端的な領域で確固とした結論は出ていないため、理想とされるような社会の実現に向かって研究・実践・普及を担うのは私たちの世代なのだろうと思いました。

自分の過去の行動を振り返ってみると、自らの「beingの価値」を評価してくれている人(大抵の場合、その人はやさしい人です。)への寄りかかりたい気持ちや身を投げ出したい気持ちを抱いていたり、また他人から認められなければ、しかもそれも常に絶え間なく継続的に認められなければ自身の存在意義(=「価値」)が認められないと感じて自己顕示行為を繰り返していたりすることなどが思いあたり、「beingの価値」への希求と「doingの価値」による自身の存立の確信を繰り返していたように思います。
私は他者にとって「自分のbeingの価値を理解する存在」でありたいと強く思いますが、「beingの価値は意識的に認めるものではない」という〇〇さんのお話を聞いて、自身の考えが揺さぶられたように思いました。
他人の「beingの価値」を認めることが意識的でないとするのならばそれは自然発生的なものであり、従って(先天的後天的かはわかりませんが)個人に備わる資質に拠るのだろうと改めて思いました。
私が眺める一般の人間関係において「あなたが何をしようともあなたがあなたという理由だけであなたがいてくれて嬉しい」という関係性を築くことのできる人はそれほど多いようには思いませんが、私は、他者の発言や行為によって成り立つ人間関係ではなく、(大変な「聖人」になる必要があるようにも思われますが)存在を理由とした人間関係を築けていけるような人になりたいと思ったし、ひいてはそのような価値観が浸透する社会の実現に何らかの形で貢献できたら良いな、思いました。

6月開催の授業の感想より

僕が、「この人は掛け値無しに友達だ」と心から思える人たちは、振り返ってみると、みな僕の「beingの価値」を認めていると、僕がどうであろうと価値を認めていると、僕に理解できるかたちで表明してくれた人ばかりだった。

僕は、できれば全ての人に対して「beingの価値」に基づいた人間関係を築きたいと思っているが、とりわけやさしい人とはそのような関係性を築きたい。

思うに、やさしい人・深い人・受容力のある人というのは、過去に自身が苦しみ傷ついた経験を持つ人が多い。
そして、そのような人たちは自身の「being の価値」を低く見積もり、暗さを溜め込み、反芻し、1人で沈んでゆく。
遠慮や恐怖や疎外感を抱え、人に頼ることが得意でない。
僕は、そのような人たちに、好意を伝えにいきたい。
遠い海に出掛けて、隣に座って、波の音をずっと一緒にきいていたい。



現在大学で参加しているある授業では、「役に立つ」人間になるための極意がたくさん伝授される。
経団連が出している「学生に求める能力」ランキングを提示されこれらを身につけることが必要だと言われ、「リーダーシップ」「組織論」「就活」などの話を聞く。
話の中では、「職場でやってはいけないことリスト」が示され、その説明とともに「ダメな人」「使えない人間」という言葉が乱用される。
また、企業の体質・社会の構造は「解決できない、組織の構造的な問題」として、自身がその世界でどのように賢く立ち回るかについての説明を受ける。

その授業に向かう足取りは、常に重い。

「仕事のできる人間」「仕事のできない人間」「使える人間」「使えない人間」「ダメな人間」

自分を「役に立つ人間」へと嬉々として成形していくその過程。

人と積極的に会話をしなかったら、自分の意見を言えなかったら、仕事を抱え込んだら、メールの返信が遅かったら、ストレスを抱えたら、飲み会に参加しなかったら、「ダメな人間」なのか?
ハラスメントを繰り返し精神的に追い詰め健康を害してくる上司とコミュニケーションを断ち「冷戦」状態になることは「あり得ない」「最悪」なのか?
組織や社会の構造的な問題は「解決できない」問題なのか?

僕は、そうは思わないし、思いたくない。

そういう価値観のもとで成功していく人々を「勝ち組」というのなら、僕は勝たなくてもいいや。

「人生」の話

真面目に人生を捉えることは、「不幸」への近道なのだろうか?

僕は「キャラ」というものが好きではない。

まじめキャラ。おっちょこちょいキャラ。少し変なことを言うキャラ。いじってもいいし馬鹿にしてもいいし笑ってもいいキャラ。

なぜ、多面的で複雑な個人/私の生を、「キャラ」と言う一言に押し込められなければならないのだろう?
なぜ、「キャラ」から逸脱したような行為・言動をとるとその場の空気は冷えるのだろう?
なぜ、自分の生の在り方を他人の一元的な理解によって「理解されたように」語られなければならないのだろう?

僕は他人の発言を安易に笑うことが苦手になった。

なぜ、面白くないことで皆笑うのだろう?(なぜ、「法律家にはミソジニーが多い」で笑うのか?なぜ、刑法の現実離れした状況設定、「偶然日本刀を持っていたとします」で笑うのか?なぜ、「鬱病の研究者には鬱病の人が多い」で笑うのか?なぜ、「面白い」とされている人の発言には皆笑うのか?)
なぜ、真剣な主張である可能性が残されている相手の話を笑うことができるのだろう?
なぜ、誰かが傷つくかもしれない話を笑うことができるのだろう?(自分が大切にしているものを「ネタ」にされ笑われた経験はないだろうか?)

僕は相手の話を真剣にしか聴くことができなくなった。

「冗談」や「ネタ」を真剣に受け取ってしまうようになった。
話を聞き流すことや、その人を蔑ろにして別の人と話すことが苦手になった。
日常の種々の場面で、他人と比較衡量されてその結果の行動から「自分の方が軽い存在なんだ」と理解する瞬間を、しんどいと思うようになった。

僕は(特にSNS上での)粗雑なコミュニケーションが苦手になった。

「草」や「ww」をはじめとするさまざまなネットスラングや略語をコミュニケーションで使いたくなかった。
既読無視や一方的な会話の遮断はしないように注意した。
相手のメッセージには、全ての内容に誠実に応えるように心がけた。

僕は人を誘うことが苦手だった。

誰かを誘うことによって誰かを誘わないことになり、そこに境界線を引いてしまうことに心の負荷を感じた。
自分が誘う相手の時間を奪うことに幾許か申し訳なさを感じた。
自分が相手の時間を充実させられるという自信がなく、他の人と他のことをしている方が充実しているのではと思った。

「社会問題」に取り組み、勉強に取り組み、さまざまな活動に挑戦し、人ときちんと関わり、徹底的に誠実に生きようとする。
真面目に人生を捉えようとする。

それは、この社会における(大学)生活の「主流」「一般」から逸脱し、数多くの「悦び」を見過ごし、多くの人と距離を置き、孤立して生きるということでもある。

遅刻の連絡は必ず入れ、感想は妥協せずに数時間かけて記述し、誕生日プレゼントはきちんと考え、ミーティングは無断欠席せずできる限り参加し、(特にSNS上の)粗雑なコミュニケーション・連絡は避け、思ったことは主張し、他人の話は笑わず真剣に聞き真剣に応答し、他人の発言は全て真実だと思い込み、未成年飲酒は避け、他人に気を遣い、感謝は伝えようとした。

その結果、僕は「幸せ」になったのだろうか?

「境界線」の内側に入ることに失敗し、他者との距離が大きくなっただけなのではないか?

真面目に人生を捉えることは、「不幸」への近道なのだろうか?

僕は、「幸せ」「不幸せ」は主観的なもので、すなわち解釈に拠るものだと現状理解している。
すなわち、「真面目に人生を捉えること」を「不幸」だと認識しているのなら、さっさとその生き方をやめ、「幸せ」だと思う生き方をすればいい。もしくは、「真面目に人生を捉えること」を「幸せ」と定義し直せば良い。

だけども、自分ができないことを「誠実でないこと」と定義して忌避し、自分の弱さを正当化しているという側面があるために、簡単に生き方の鞍変えを行うことはできないだろうし、何より僕にはこの「真面目な」生き方をやめられるようには思わないし、積極的にやめたいとも思わない。

だから、僕はこの「不幸」な生き方を続けることになるのだと思う。

この生き方を「幸せ」と定義できるようになれば良いな、そのような生き方をしている/そのような生き方をしている人に気が付ける人、とたくさん出逢えたらいいな、と思う。

「最後」の話

ある人に対して自分の一部を流出するとき、その瞬間はとても甘美で幻想的でこの世界に二人しかいないように錯覚するけれども、その相手と再び会うときには、どういうわけか気まずさというか、コミュニケーションの齟齬を覚える。

自分を開示するということは、客観的な「自分像」を確定させているという意味で、他者とのコミュニケーションの可能性を狭めているということでもあると思う。

しかし、思考を他人に開示するか否かは個人に委ねられるが、僕は僕の友人を信用するし、共鳴してくれる人も少なくないだろうと思っている。
この開示によって離れていく人がいるのなら、それが僕なのだから、無理に仮面をかぶって取り繕い関係を繋ぎ止めることもないと思う。
僕は、僕という複雑で面倒臭い存在を、その存在として理解した上で、受け止めてほしい。
だから、文章を書く。

僕には、日常生活の中で無秩序のままに蓄積していく思考のメモを一度どこかで纏める必要があった。

また、「役に立つ」人間になることを是とする環境に反旗を翻したい一方で、自身が様々な能力や経験を積み重ね獲得し「役に立つ」人間になることを志向する/そのような人間に憧れを抱くという自己矛盾をどこかで解消する必要があった。
さもなければ、僕は「役に立たない」人間として生を送り続けるか、自己矛盾によって引き裂かれることになっただろう。

夢を見ることをやめてこの世界で生き抜いていくために、「役に立たない」僕に手向けの花を送りたく、それゆえそれまでの足跡として、この文章を残すのである。

いつかこの日を思い出してきっと泣いてしまう。

みんなが幸せになれたらいいな。


最後に、ここまで読んできてくれたあなたへ。
大変骨の折れる作業だったと思いますが、僕という人間に興味を持ち読み通してくれたことに、多大なる感謝を申し上げます。

人生において、苦しいことや辛いことは多々あると思うし、その度に視野狭窄に陥り自身の価値を自身で毀損してしまうこともあるのではないかと思います。
だけど、僕はここまで読んでくれたあなたの「やさしさ」それだけであなたの存在は僕にとって価値のあるものだし、それはどのような状況であっても変わりません。
僕に何ができるのかはわからないけれど、しんどいときには一人で沈んでゆかずに頼ってほしいし、僕も時には頼らせてほしいです。

ありがとう。

ここは天国じゃないんだ かと言って地獄でもない
いい奴ばかりじゃないけど 悪い奴ばかりでもない
ロマンチックな星空に あなたを抱きしめていたい
南風に吹かれながら シュールな夢を見ていたい

世界中にさだめられた どんな記念日なんかより
あなたが生きている今日は どんなに素晴らしいだろう
世界中に建てられてる どんな記念碑なんかより
あなたが生きている今日は どんなに意味があるだろう

聖者になんてなれないよ だけど生きてる方がいい
だから僕は歌うんだよ 精一杯でかい声で





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