大衆に迎合できないときの疎外感に向き合う武器を選んでください

向き合うな!(最大の正解)


でも「向き合うしかない」となったら、武器は"いる"と思う。
なので今日は武器について考えたい。


世の中で流行ってるものに悉くハマれなかったとき、自分はなんてつまらない人間なのだろうかと思うし、世間はしばらくその話題でもちきりになるので、社会そのものから断絶された気持ちになる。

で、言うほど面白いかよ、なんて最悪の憎まれ口を叩いて、その作品のことを好きな人を傷つけることになる。

人を傷付けたいわけではないし、言葉選びを間違えてるのも理解してる。
ただ、自分にはまったく理解できないものを周囲がほぼ確定的に「良い」と判断しているとき、"それ"を理解できない自分の感性と浅学さにあまりに悲しくなって、どうにもできないことがある。

別に、そこそこに合わせてるだけという人もいるだろうし、こうも絶望するほどの話でもないのかもしれない。
それでも、ちょっとした疎外感ってキツいときはキツいよね。




さて、武器の話だったね。


①ひとりで分析を始める


これは悪手、まじで最悪。
だいたい袋小路になるし、分析してる姿自体が既に攻撃的だから、やってるだけでどんどん人が離れていく。それを気にしないならいいけど、気にするからこんなことを書いているのだ。



②人と議論を交わす


これに尽きる。
割といい方向に進むことが多い、ただ付き合ってくれる友達を探すのには難儀する。
付き合ってくれる友達、マジでありがとう。
ぶっちゃけ自分のなかではこれが一番良い選択肢。
でも、相手だって暇じゃない。




③好きなものに閉じこもる


できるならこれがいい。
ただ、気になってる以上はそっちに集中できない。
というか、そもそも何に魅力を感じて好きでいるんだ自分は。


そう、実はこの記事はそれがやりたかっただけ。
自分の「好き」分析です、つまり①、最悪。


直近、友人と話していて思ったのは、単純にエンタメに振ってるかどうか、という点で、これは最低限の要件だと思った。
ここでいうエンタメは「自分がそう思ってる」ことでしかないものの、物語としての指向性、テーマやドラマ性、ギミック、意外性、絵的な強さ、緩急があることだと思ってる。うーん、カタルシス。

逆をいえば「明確なポイント」のようなある種の様式的であったり、Aという議題に対して最終的にそれに対する答え(答えはない、各々の解釈に委ねるというのも、答えとして匂わされていればアリ)の用意、そこに向けての緩急が感じられないと、退屈だなと感じてしまう向きが強い。

そういう意味では、アクションものは「立ち向かうべき敵」「敵対する理由」「味方」みたいな指向性の太い軸のなかに、副次的な要素が組み込まれるので、道筋を見失わずに味わうことができる。
実際、主義主張含めたら嫌いとまで言える作品でも、魅力的だと感じるものはある。

と、ここまで書いたところで「作者の意図を答えよ」みたいな設問が大嫌いなのと結構近いということに気づいてしまったかもしれない。
「一般的にどう捉えるべきものか」とか「どう評価されているか」っていう話だろ!ってキレるタイプだったので。

いい時間だし、一旦ここまでにしつつ、余力があるときに好きな作品と、勝手な思い込みや妄想を書き出してみます。