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盛夫の朝の備忘録#230


おはようございます😄

友人であるオガケンこと緒方賢一君が営む美容室sumire(スミレ)の14周年記念Liveが、昨日ライブハウスnavaro で行われた。

良かった😄
めちゃくちゃ良いライブイベントだった😊

Klagitz
水中、それは苦しい
ヤジマX
podo
4組のバンドが出演。

良い夜を過ごせた。

美容室の14周年記念でLiveイベントをやるって、中々ない発想ですが、オガケンの人生からすれば、ごく身近に音楽とライブハウスがあったから、その発想が生まれたように感じます。

生き様が発想を生む。
どのような生き様を歩んできたかで、発想の種は違ってくる。

そういった意味では、「普通」という概念はないのかもしれません。

様々な個性を持った人達が、それぞれの自分軸で生きているこの世界には、元々「普通」という概念が無かったように感じます。

最大公約数的に人の行動パターンを当てはめることは出来るだろうが、それが100%になることは少ない。

オガケンが別の人生観を持っていたなら、昨日の素敵なライブイベントは出来なかったわけです。

人それぞれ自分だけの人生を歩んできてるわけですが、法律や規則などで、物差しを当てたように均一化した社会には、どうしてもはみ出してしまう人が出てしまう。

法律や規則を否定するわけではありませんが、法律や規則を社会が活用するのであれば、余白やユルさみたいな概念がほしいと感じています。

音楽や演劇をやってる人達には、何処かネジがぶっ飛んだような人達が多くいます。

その意識で世の中を生きるのは大変だろうと思う半面、何処か憧れてしまう自分もいます。

稀である事を自覚して生きる人生。

その人生を歩む姿は、「普通」という概念との闘いの様にも見えて、彼らと話していると自分が小さな世界で生きている事に氣付かされてしまう。

人は誰しもが「稀」であり、誰一人として、同じ人生を歩む人はいない。

それぞれが「ご縁」で繋がり、社会に存在しているだけだが、音楽や演劇などの文化を身近に感じながら生きると「稀」を自覚するキッカケに繋がるように感じている。

人は誰しもが稀である。

それぞれが「普通」という概念を日常的に使うことで、誰かを苦しめてしまうなら、私は「普通」という概念を手放したくなる。

私は、ついつい日常化している事を自分の中で「普通」と思って、他者にその物差しを押し付けてしまいがちだが、そのことを意識して「普通」という概念を手放す努力をしてみようと思っています。

オガケンが開催した「普通の美容室」では、考えられない14周年記念Liveイベントを体験した。

とても良かった😊

おかげさまで、また一つ私の中で新しい発想の種を紡ぐことが出来た「ご縁」に感謝しています。

「おかげさま」で「ご縁」が「繋がり」「感謝の氣持ち」が「芽生え」て、また何処かに「繋がる。」

人生は、これらの沢山のご縁の連鎖で補い合い助け合って繋がっているならば、もう誰かを傷つけたくはない。

私は未熟者である事を自覚して、氣をつけて生きていこうと改めて感じています。

生き方は、人それぞれであるならば、私は人生を楽しみたい。
私の感じる氣持ち良い人生をこれからも歩み続けていこう思います😊

顔が晴れやかになる行動をしよう😊
#顔晴ろう 😊

#最後まで読んで頂きありがとうございました 😊

#皆さんに感謝しています 😊

#日日是好日 😊
#盛夫の朝の備忘録

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