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手元、足元、身の回りが自分を現す世界😊

盛夫の朝の備忘録#763

おはようございます😊

世間は正月からバタバタとしてますが、報道を切り離して、ふと氣付くと私の個人的な正月としては、結構ステキな時間を過ごしております。

世間と自分は繋がっているけど、世間の流れを切り離して、自分の手の届く範囲だけで考えると、順調と言えば順調です。

手元、足元、身の回り。
これらが自分を現す最も身近な自分の世界。

そして、身近な人達を大切にして、自分と人との繋がりを大切にする事で、社会と自分が徐々に近づき、繋がりの輪が広がっていきます。

私は、好きな人が沢山います。
好きな人達が幸せなら、私が隣にいなくても全然構いません。

私は、寂しがり屋のくせに1人の時間が好きなので、いつも誰かと一緒にいる事が、実は苦手です。

でも、イチャイチャするの好きだから、恋人が出来ると、そばにいるとついつい無理しちゃいます。

理想は、A型の女性が好きなので、家族みたいに無理しない距離感で、一緒に暮らせる人がいいんですが、こればっかりはね〜って感じです😅

ちょっと話が逸れましたが、手元、足元、身の回りの自分を現す身近な世界が整ってないのに、外に出ても一緒だと感じたから、私は去年から日頃の行いの積み重ねからやり直しています。

おかげ様で、手元、足元、身の回り、を意識する様になってから、私の日頃の行いが変わりだし、変わった事で、良い流れが出来た感じかしてきました。

自分の状態を変えるには、日頃の行いの積み重ねが重要でした。

先ずは、手元、足元、身の回りの身近な手の届く範囲を見直す事でしたが、私は外の世界に答えがあると思い込んで、意識がずっと外に向き、手元、足元、身の回りを雑に扱って生きていました。

そりゃそうなる。
人生を振り返ると、私の人生は外に意識が向き、自分の内側を雑に扱い続けていました。

以前の私は残念ながら、他者と自分を比較して、少しでも優位性を高く見せようとして、見栄を張ったり、虚勢を張ったりしていました。

私は、暗示にかかっていた様に優位性と正当性の概念が染み付き、「〜せねばならない。」「〜べきである。」と何かしらの想いに取り憑かれ、自分の内側を傷つけて我慢していました。

私の心の歪みが裂けて、鬱病と診断されたのは、私自身の愚行の積み重ねの成れの果てでした。

40歳の時に離婚。
46歳の時に、鬱で無職となり3年。
49歳になって、やっと自律を果たす目前まで来れたのは、本当奇跡だと感じています。

ようやくここまで来れた事は、2021年から本当に奇跡的な出愛の連続のおかげでしたし、兎に角苦しかったから、抜け出したい一心で何でもやりました。

その事はこの備忘録に沢山書いてきたので、今日は割愛しますが、スゲー沢山試して、トライアンドエラーを繰り返してきました。

おかげさまで、何とかここまで登って来れた様に感じます。

考えても動かないなら、1ミリも世界が変わらない事も理解出来たし、継続して積み重ねないと結果が伴わない事も理解出来たました。

知識が「知ってる」から「理解」に変わり、自分にしか出来ない自分の内側の世界を救う事で、初めて自己実現の夢に挑むスタートラインに立つ事が許された氣分がしました。

そして、自分の内側の世界を救う事が、繋がり合って外の世界への道標となるわけですが、それを世界中の80億人の人達がやってるとすると、そりゃ色々な人がいますよね。

自分の内側の世界を救う事で、自分と繋がっている外側の世界と繋がり合える。

自分の手元、足元、身の回りが自分の状態を現しています。
その事を理解すると、変わりたくなります。

自分を救えるのは、世界で唯一自分なのです。
外の世界は、あくまで手を差し伸べる程度の事しか出来ません。
ですが、その差し伸べられた手に触れる事で、救われる想いも沢山あります。

差し伸べられた手に触れる時に溢れる想い、それが感謝の想いです。

自分の内側に触れる想い。
そのキッカケは、実は外側の世界からですが、キッカケに氣付けるかどうかは、その人の状態次第です。

氣付けない限りは、ずっと同じ事を繰り返すだけです。

その事に氣付けると、自分の道筋がぼんやり見えてきますが、それが出来るかどうかは、やってみないとわかりません😅

感謝の想いが湧いて、相手と感謝の想いが循環出来た感覚が芽生えると、凄くhappyな氣分になれます😊

「ありがとう」が循環する世界が私は好きです😊

最後まで読んで頂きありがとうございました😊

皆さんに感謝しております😊
皆さん御自愛ください😊
良き1日を😊

日日是好日😊
2024年1月3日(水)
正月、冬至、雪下出麦。
松合より😊

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