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盛夫の朝の備忘録#233 投稿し忘れ分😅


おはようございます😄

何があろうとも時間は止まらない。
優しいのか、残酷なのかわからないが、時間というものは止まらない。

生きてる間は、時間の流れを体感出来る。

それは誰でも知ってるし、誰もが忘れかけている事でもある。

「メメント・モリ」
意味は、ラテン語で「自分が必ず死ぬことを忘れるな」とか「死を忘れることなかれ」という意味。

如庵と出会わなかったら知らなかった言葉。

会社を退職してからの1年半ほどで、運命というものがあるなと、なんとなく感じる様になってきました。

昨日も雨が降らなければ、元さんのお手伝いで山都町に行っていたが、雨で中止となり一時的に雨が止んでいたので、ウォーキングに出かけたら雲が晴れて朝陽が見れた。

たった1時間程の時間であったが奇跡的に感じた。

「天の計らい」を感じてしまった。
全ては、自分の状態が運命を左右するんだなと感じてしまいます。

「その時」は常に訪れ続けているが、そんな事は感じずに生きてきた。

でも流石に鈍感な私でも、この1年半の間に、私が体験した数々の出来事は偶然とは思えないし、もし偶然とするならば「運」が良すぎてしまいます。

鬱病が原因で退職して、傷病手当と雇用保険で2年近く働かずに生活出来る環境でいること。
松合の実家に暮らすようになったこと。
如庵と二見さんと出会い沢山のWSや講演に足を運んだこと。
色んな事を実践しながら過ごした日々。
会社を退職して、体重が17kg以上減った事。
備忘録の投稿を毎朝するようになった事。
「熊本食材図鑑」というコンテンツが思い浮かんだこと。
小説創りを始めたこと。
地図創りを始めたこと。
ニート状態なのに色々と忙しい日々を送っていること。

行動変容を繰り返して、自分が変わり出して、私を取り巻く環境が変化し続けています。

これは流石に偶然とは思えないなと感じています。
偶然にしては、出来過ぎています。

運命の歯車が、私を何処かに導いているように感じてなりません。

一体全体何が起きているのかわからないですが、見えない力「天の計らい」によって背中を支えられているような感覚です。

これを「運命」というのならば、私は「運命」を信じるしかありません。

思えば2020年から全てが変わったと言えるし、48年前に私が産まれた時から仕組まれたレールを歩いてきた様にも感じる。

先の運命がどうなっているか全くわからないが、これまでの経験を振り返ってみると何一つ無駄な体験はなかった様に感じています。

不思議でならないが、全て必要だったから「今ココ」に私はいる。

「メメント・モリ」
(死ぬ事を忘れることなかれ)

私もいずれ何処かのタイミングで死ぬ。
「積極的に死に向かう」生き方でこれからは生きていこうと思う。
恐れはない。

それが今の私の死生観です。
そしてこの死生観すらも、これからも変わっていくように感じてならない。

常に訪れている変容を味わいながら「天の計らい」に感謝して、家族に感謝して、皆さんに感謝して、運命に導かれ行くのかな。

そして「天の計らい」は、私の味方でも敵でもない「大きな流れ」のように感じています。

なんなんだコレって感じです😅
漫画の様な展開を生きているように感じています。

如庵に漂着して、二見さんと如庵メンバーと出会い、この備忘録を読んでいる皆さんと出会い、行動変容を繰り返して「今ココ」にいます。

ありがとうございます😊
感謝しか湧きません😊
全てに感謝しています。

そんな事を感じる朝を迎えています😊

顔が晴れやかになる様に行動します😊
顔晴ろう😊

#最後まで読んで頂きありがとうございました 😊

#皆さんに感謝しています 😊

#日日是好日 😊
#盛夫の朝の備忘録 😊

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