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アイヌ・西成・水俣を考えた。

盛夫の朝の備忘録#156

おはようございます😄

昨日は、上之裏で異業種交流会のランチ会に参加した後に水俣に移動して、「アイヌ・西成・水俣を考える会」の勉強会に参加した。

異業種ランチ会からの地域紛争の勉強会という、まあまあ特殊な体験をさせて頂いた。

正直、水俣市が抱える現在の水俣病の問題に関しては無知でした。
1956年に水俣病が発生して66年が経ち、今だに水俣市の中では紛争状態と言える現状を知り心を痛めてしまいました。

アイヌ文化にしろ、大阪の西成地区にしろ、水俣病にしろ現在進行形で問題解決に関わる人達がおり、分断と差別の問題が生々しい状態です。

勉強にはなったが、私にはどうする事も出来ない問題なので、多くを語れません。
ただ知ることが出来ただけで、心は痛みました。
私の思考にとっても、新たな考える回路が出来たように感じています。

さて、水俣病、アイヌ文化、西成地区の問題、色々と根深い問題を持った地域は、他にも全国各地に存在します。

知ることが出来ても、当事者ではない私は、運動に参加しようとも思わない。
問題解決に正解などないが、各々の当事者の人達には、各々の都合により問題解決のプロセスが違い、その事でまた新たな争いが生まれるような事が起きている。

私のような部外者は、どのような考えで観察すれば良いか考えさせられました。

対処療養か根本治療か。
人間の病で例えると、このように例えられるように想います。

元々健康であり、一時的に病にかかり薬を飲む事で、回復出来る状態であれば、対処療養で充分であろう。

しかし体は病に蝕られていて、薬だけでは対処出来ずに生活習慣から食生活までの行動変容をしいられ根本的な治療をしないと改善しない状態だと時間もかかる。

地域紛争を病で例えると各地域によって、取組みも対処療養的か根本治療的かと各々のスタンスがあり、当事者の人達は「なにかの選択」を強いられる。

各地域によって取組み方は、様々であり関わる人達の問題意識も様々である。

今回の勉強会を通して、部外者としての関わり方を考えさせられました。

部外者である私は、活動には参加しない。
活動に参加しない者は、どのような気持ちで観察すれば良いかわからない。
ただ目の前の火事を呆然と眺めている心境になり、虚しさが込み上げてきました。
答えなき問題を与えられた氣分です。

昨日知ったからと言って、今日答えが出る問題ではない。
なんとも複雑な心境に駆られ、昨日は水俣を後にしました。

起きた問題に対する部外者の心境は、正直に言って「他人ごと」です。
「他人ごと」であるが故に関わり方や考え方が問われます。

私は、「関わらない」し「調べて学ぶ」ことは大切なように思うが、逆を言えば「調べて学ぶ」ことしか出来ない。

部外者の私には、どうすることも出来ない「蚊帳の外」感があり、あえて首を突っ込んで関わったりしようとは、現時点においては思えない。

部外者とは、それほど関わり方が難しい。

部外者は、寄り添えすら出来ない状態。
知れば氣持ちは動きます。
ですが当事者が部外者に求めるものはわかりません。

話を聞くこと、調べて学ぶことも機会があれば考えるでしょうが、私の今の生活環境において、何も関わりがない。

確かに酷いことが起きている事は知れました。
だからといって、「活動団体に寄付をするか?」とか、「その地域に行って活動のお手伝いをするか?」と言われればしない。

部外者だからこそ、考えさせられました。
「部外者」って、なんなんだろうか?
手の差し伸べ方って、本当に難しいなと感じ考えています。

部外者であるが故に氣付き、発見できることもあるでしょうが、今の私には思い浮かびません。

ただ感情を揺さぶられ氣持ちが痛みました。
今はそんな状態です。

答えなき問題が故に私は考えてしまいます。
正解なき問題に対して、私は部外者として考えています。

ただの部外者として。

#今日も顔晴ろう 😊

#最後まで読んで頂きありがとうございました 😊

#世界の平和を祈ります 😊

日日是好日😊
#盛夫の朝の備忘録 😊
#朝陽 😊
#不知火海 😊
今朝の不知火海の朝陽です😊


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