盛夫の朝の備忘録#240
おはようございます😄
今日は、ご縁の話です😊
昨日は元さんのお手伝いで山都町の道路の草刈り作業に行ってきました😊
如庵で知り合い仲良くさせて頂いています😊
炎天下の下の作業ですが、お互いが和気藹々とした雰囲気で、作業が出来たので楽しく作業に参加できました😊
さて、私も48歳のおじさんなので、沢山のタイプの人を見てきました。
良くも悪くも人には、特性とかタイプなんかがあるなと想う様になりました。
世の中にも、血液型、生まれた年の干支、星座、右利き左利きetcなど人をなんらか方法で見分ける考え方が沢山あります。
これは、私は人と接する時の知恵だと想っています。
もちろん、自分を知る為にも有効ですが、他人を知る情報としても有効だなと思っています。
人付き合いは、中々難しいです。
例えば、サイコパスやテイカーと呼ばれる人って、存在は知っていますが、本当に目の前の人が該当者かどうかなんてわかりません。
言ってしまえば、出会いも「ご縁」です。
そう言った「ご縁」が良い事も悪い事も運んでくるのは、実感しています。
ところがです。
人生を振り返って考えると、自分の状態で色んな「ご縁」を引き寄せている様に感じます。
何を言いたいかと言えば、「錯覚」「過信」「慢心」の状態に自分が陥っている時は、「悪縁」が引き寄せられるように感じます。
この「錯覚」「過信」「慢心」の状態を「自己欺瞞」に陥っている様に感じます。
自己欺瞞(じこぎまん)
自分で自分の心をあざむくこと。自分の良心や本心に反しているのを知りながら、それを自分に対して無理に正当化すること。自欺 (じき) 。
これはよく起こる現象なんですが、自分を正当化する時に作用する脳の機能です。
例えば、挨拶をしても相手が返事をしなかったら、勝手に自分の中で相手に対して嫌悪感を抱く様な場合です。
因みに相手は、知り合いでもなんでもありません。
ただ単に同じビルの違う職場の人とかです。
相手からすれば知り合いでもなく、ただ単に同じビルの違う職場の人でしかありません。
要するに、どちらでもいいのです。
ただ注意しないといけないのは、「自己欺瞞」に陥っている時は、他責的な考えで「相手が悪い」と考えてしまう傾向があります。
まさに「自己欺瞞」は、「過信」「慢心」「錯覚」の状態に陥っています。
こういう時には、例え自分の行いが誤ちだとしても正当化してしまう傾向があります。
犯罪者が、犯罪を犯しても「仕方なかった」と考えてしまう状態です。
「自己欺瞞」の状態に陥ると犯罪を犯しても、自分の事を何処かで正当化してしまいます。
こういった状態の時は、「ご縁」も「悪縁」ばかりになる様に感じます。
朱に交われば赤くなる。
という言葉がある様に、人は影響しあって存在しています。
なので、大丈夫だと思っていても、小さな「悪縁」が次第に連鎖し出して、ドンドン悪い方向に向かう様に感じます。
「日頃の行い」
「悪縁」を遠ざけるには、日頃の行いから相手に感謝して、「自責」的な考えを持ち「自己欺瞞」に陥っていないか、注意する必要がある様に感じます。
私は、まだまだ未熟者ですので、直ぐに調子に乗ってしまいます😅
なので私は、「過信」「慢心」「錯覚」の状態に陥って「自己欺瞞」で、すぐに自分を正当化してしまいます。
だから「自己欺瞞」の状態にならない様に注意して、日常を過ごしています。
そうやって日常的に「日頃の行い」を自分で観察しながら丁寧に過ごしていると不思議な事に「良縁」が連鎖的に繋がって行きます。
1年半前に如庵に巡り合ったばかりの時は、ドン底で孤独でした。
2月の寒い時期に松合の自宅で、朝陽を浴びる様になって、少しづつですが、虚勢を外していき、如庵で出会った二見さんや如庵メンバーの人達やWSで知り合った人達のおかげさまで「自己欺瞞」の状態から少しづつ抜け出していきました。
すると面白い事に、嫌だなと感じる人とは、あまり出会わなくなっていきました。
今では、殆ど出会う事がありません。
ですが私は、お調子者なので直ぐに忘れて調子に乗ってしまいます😅
先日、友人と話した時に「過信」と「錯覚」という言葉が引っかかったのは、私自身の「何か」が警鐘を鳴らしてくれたんだと想っています。
「自己欺瞞になってるよ」って私の中の「何か」が教えてくれたんだと感じています。
自分を正す。
日頃の行いを丁寧に過ごして、周りに感謝して、自己を正す。
結局は、「ご縁」も自分が引き寄せている事に最近氣付き出しました。
自分の状態を知ることで、「何か」から解き放たれるように感じています。
顔が晴れやかになる様に行動します😊
#ボチボチ顔晴ろう 😊
#最後まで読んで頂きありがとうございました 😊
#皆さんに感謝しています 😊
#日日是好日 😊
#快晴の不知火海 😄
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?