省察Ⅰ

再びものをかく特訓をしようと思う。
それで、ものをかくのに情緒に依存しているのはよくないと思った。
描きたいものと書く気持ちの両方がなくては書き始められないのは、不安定だ。都合が悪い。
投稿を始めた頃は、常になんというか、むらむらと、もんもんと、いらいらとしていて、しょうがなかったけれど、残念なことに最近は落ち着き始めている。老いである。
ただ、「今、感じているそれ」しか書けないのは、なかなか、三流という感じがする。落ち着き始めたからこそ、以前に感じていた何かを客体化し、冷静に効果的に描くことができるのかもしれない。そう思ってやってみよう。
病める人の書くものと、病める人を描くものは、別物である。
さてどうしようか。さて。

ものをかくことについて最近思ったことがもう一つある。人に向けて書くほうが断然やりやすいということだ。私はなにかと、自分をモデルにした人物を描写しようとしたり、自分を救済するとか、記録するとか、そういうことばかりを考えてしまうが、それよりも、他人をイメージしたり、他人のために書いたりしているときのほうが、自然と手が動く。内容もよくなるのではないかと思う。どこにも投稿していない、人のために書いた物語がパソコンの中にあり、ふとしたときにそれを読み返したのだが、なかなか面白かったのだ。そういう心がけをすると、多少マシなものが書けるかもしれない。誰に?という問題はある。同じ人をイメージしてばかりではつまらないから、バリエーションは豊富にしたい。そうするには、人を知らなさすぎ、経験が足りなさすぎる。なんとかしたいと思う。
バカ!

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