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独自性なんてものは、誰でも最初からはないとわかっているけれども、自分とおなじものに影響を受けたのであろう人が、自分とおなじようなもの、というか、自分が頭の中だけで描いていた世界観であったり、作品未満のものも含めた自分の好きなもの、言い換えれば、自分の一部、自分の大切な部分を、自分よりうまく表現できていると、なんとも言えない気持ちになる。まず、自己同一性を著しく脅かされる感覚と、でもそれは自分の好きなものから同じように影響を受けているので、絶対に好きなはずという気持ち、だからこそ、その作品を好きだと思うほどに、やられた、負けた(お前はなにかを作るという行為を積極的にしているわけじゃないのに?笑、実際は、負けたと悔しがる資格はないのだ)という感覚がないまぜになって、最悪な気分になる。だから僕は作品に触れるのが怖い。自分が好きそうな作品に触れるのが。その作品から影響を受けたり、その作品が影響を受けた作品に気づいたり、そういう全てがリスクの塊だ。こんなふうに怖がらずにいろんなものを吸収する人がいいものを作るのだと思う。僕は頑張りたい。怖がらないでたくさんの作品に触れたい。できるかな。どこでこんなに歪んだ表現者気取りを身につけたのか。(まとも「表現」をする気概もないくせに。)褒めてくれる人は少ないけれど、たまに褒めてくれる人がものすごく褒めてくれるから、僕は調子に乗ってしまうのだ。愛するべき人たちが僕のことを保育器の中に閉じ込めて、やさしく見守って、僕の精神を新生児のままにしてしまう。ママ!
まだ企画すら考えていないけれど、短いゲームを作りたい。(とずっと思っている。)文章を書くのとはまた違うから、きっと一人じゃできない。僕は友達が少ないから、そのときは君に手伝ってほしいんだ。ね?きっと、たのしいよ。僕は妄想とプログラムを担当する。チームメンバー募集中。ほんとうに。
僕は今から詩を書かなくちゃいけない。書けるかな。こんな自分に。自意識過剰で自分が世の中に見られている気がしていたけど、意外と見られていなかったとわかりはじめてきたから、大胆なことを書いても、案外人は気にしないのかも。

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