毒俺

自分という現象は、記述するにはあまりにもちっぽけで、電車の中でかためた決心も家に帰れば容易く紐解け、眠ってしまえば昨日の感傷も忘れてしまう。この猫のようにがさつで繊細なものに注意を向け続けるのは難しかった。僕は既に興味を失いかけていた。自分が正体がなんであろうとも、何も変わらないのだった。敢えての自己再発見への試みは、僕が僕に負けるというかたちで終わりそうだ。僕を発見するのが必ずしも僕である必要はなかった。ただ僕には、僕を見つけてくれる人がいなかった。もしや僕は、僕を見つけてくれる人を探すために、わかりきった自分のことについて、わからないふりをして、あれこれしていたのかもしれない。一存在は一存在そのものについて感覚できないのだ。僕の右手の親指は、僕の右手の親指なのに、何があっても僕の右手の親指そのものに触れることはできない。僕が僕である限りに、僕も僕の右手の親指と同様だろう。いま僕は、右手の親指を使ってこの文章を書いている。僕よ、君は僕のことが嫌いだろが、僕は君のことが好きだから、きっと見つけてあげようと思っていたんだ。という僕は何者か。鏡の中に僕を睨め付ける僕を見た。君は、怒っているのか悲しいのか、その目は笑ってしまうほどに寒々しい。誰かが君を見つけたとして、僕はそれを認められるだろうか。きっと僕は君が僕だけのものだと、今信じている。しかし君が認めるのなら、僕は僕を独占しているこの立場を退いて、そこに誰かが侵入するのを許さなければならないだろう。僕の問題というのは、一見、対人であるとか、社会であるとか、僕と僕の外側の間に生じているように見えたが、結局、結局のところ、僕の、僕に対する、深く歪んだ愛情なのかもしれない。手放さなければ。僕を解放してやらなければいけない。僕が僕でないものに傷つけられることを恐れて、僕を秘匿するのをやめさせなくてはいけない。できる、できない、できる、できない、できる、できない、できない、できない
たとえば僕は、僕を思い切り打ってほしいのだ。絶対的な他者に有無を言わさぬほどの力でねじ伏せられて、必死に守ってきた自己の壊されてしまうのを思い知らされたいのだ。そんなこと、他でもない僕が許さないだろうが。でも、君ならできるさ。さあ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?