トカトントン2022(ツーオーツーツー)

正直言って、営みのなにもかもがくだらなさすぎる。ように、この目に映っている。みたいだ。うまく思っていることを書けても、なんの意味もない。気がする。別に伝わっても伝わらなくてもいいと思っていた。気がする。でもそれならば、書かなければいい。ので、書く気も起こらない。外が寒くって、ちょっとセンチメンタルな気分になったから、noteを開いて何か書こうとしたけど。だめ、だね。意味がないことをしたくない。と思っているんだ。なら僕には何が意味あるものなのだ。きっとそれは、気持ちのいいこと。気持ちよくなれるなら、倫理も平和も健康も社会もニッポンも、どうでもいいね。気持ちよくなれるなら、生きていなくっても、関係ないね。どうしてこんなキュークツ。気持ちよくもなれないのに生きて、生きているのに、だいたい全部どうでもいいのに、素直に気持ちよくなれることを安直に求めずに、あっちにこっちにいって、かなしいふりをするのにも飽きて、かなしいふりをするのにも飽きたと言うことにも慣れて、なにがかなしみなのかもわからなくなって、そのうちお腹が空いて、適当なものを食べて、そこそこにうまくって、少し気持ちよくて、どうでもいいことでまたお腹が空くまで待って、そうして繰り返す。気持ちよくなりたいなあ。気持ちよくなりたいなあ。気持ちよくなりたいなあ。気持ちよくなりたいなあ。気持ちよくなりたいなあ。気持ちよくなりたいなあ。気持ちよくなりたいなあ。気持ちよくなりたいなあ。気持ちよくなりたいなあ。気持ちよくなりたいなあ。気持ちよくなりたいなあ。貧乏ゆすりがとまらない。

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